【大阪城観光】大阪人が誇りに思っている城 太閤秀吉の大阪城へ行こう!
「太閤秀吉が造った、大阪城」そう大阪人は、小さい頃から頭に叩き込まれてきた。
この前の熊本地震では、熊本市の中心地にある熊本城も壊滅的な被害を受けた。その時TV報道で熊本の人々の嘆いている多くのコメントが映し出されていた。
もし大阪城も何らかの災害を被ったなら、大阪人も同じコメントをするだろう。大阪の街に溶け込み、普段は気にしていないが、心のどこかで誇りに思い、大阪人の象徴的な存在、それが大阪城なんです!
では、大阪城天守閣の綺麗な水鏡や石垣に印された刻印、または昔を忘れてはいけない空爆による射痕まで・・・色々な顔を持つ大坂城への旅をご案内しましょう。
▼大阪城の撮影スポットはこちら
【大阪城の撮影なら】おさえておきたいおすすめ撮影スポット
▼大阪城公園で遊ぶなら
【子連れで行きたい】子供が喜ぶ新しいあそび場ボーネルンド プレイヴィル大阪城公園を紹介します
目次
1.地下鉄谷町線の谷町4丁目駅から
大阪城に向かうコースは幾通りかありますが、今回は地下鉄谷町線の谷町4丁目駅から東に向かう、正門から入るコースで大阪城に向かいます。
駅から大阪城に向かう道すがら、南側にNHK大阪放送局、北側には大阪府警が見えてきます。さらに大阪府警の北側には大阪府庁の建物もあり、この辺りは大阪府の中心地ともいえる場所です。
上町筋を東に渡り、城の西外堀を眺めながら大阪城天守閣へと向かいます。
大阪城は、豊臣秀吉が石山本願寺跡に天正11年(1583)から3年の月日をかけて築き、元和元年(1615)大坂夏の陣で落城し焼失しました。そして江戸時代 徳川幕府により再建されましたが、再び明治元年(1868)大部分を焼失。昭和6年(1931)天守閣を復興し、さらに平成7年から3年間大規模な改修工事を行いました。
現在の大阪城は、江戸時代に再建された重要文化財もある一方で、梅林や西の丸庭園など、自然に包まれた都会のオアシス的な公園として親しまれています。
特にウォーキングやジョギングを楽しむ人々が多く訪れています。
公園の外周を回るだけで4、2kmの距離があり、他にも3つのコースが設定され、運動するのに最適な場所となっています。
▼こちらでもアクセスについて詳しく紹介しています!
2.大手門
まず初めに出迎えてくれるのは、重要文化財 大阪城の正門 “大手門”(おおてもん)です。古くは追手門とも呼ばれていたそうです。
寛永5年(1628)徳川幕府に再建され、幕末の嘉永元年(1848)に修復、昭和31年(1956)に解体修理されました。この重厚な造りを見ているだけで、戦国時代の敵を寄せ付けない威圧感を感じさせてくれます。
3.多聞櫓(たもんやぐら)
続いて見えてくるのが“多聞櫓”(たもんやぐら)。これも重要文化財の指定を受けています。
寛永5年(1628)の創建、天明3年(1783)に落雷で焼失し、その後嘉永元年(1848)に再建されました。そして昭和31年に解体修理されました。他の櫓は、全て焼失しているため、城内の多聞櫓はここのみとなっています。
各地の城に多聞櫓は見られるが、その規模や大きさにおいては、大阪城に現存する総高14.7メートルのこの多聞櫓が随一と言われています。
4.西の丸庭園
天守閣に向かう途中に“西の丸庭園”があります。ここは豊臣秀吉の正室・北政所の屋敷があった場所と言われています。昭和40年(1965)、総面積約64,000㎡の芝生庭園となり、有料の公園として開園しました。天守閣や石垣が美しく眺められ、絶好のビュースポットとなっています。さらに春はソメイヨシノを中心に約300本のサクラが咲き、花見の名所としても有名です。
またこの場所は、様々なイベントスペースとしても使われ、訪れた時(2017年)もNHK大河ドラマ“真田丸”をモチーフにした3Dプロジェクションマッピングが開催されていました。
5.豊國神社(ほうこくじんじゃ)
歩を進めると、内堀を挟んで天守閣が見えてきます。天守閣のある本丸に入る前に訪れたいのが、豊國神社。
鳥居をくぐると、堂々と建つ豊臣秀吉像あります。ここの神社の主祭神は、豊臣秀吉、豊臣秀頼、豊臣秀長です。
1879年(明治12年)11月、京都市の豊国神社(とよくにじんじゃ)の別社として創建されました。創建当初は大阪の中之島に鎮座していましたが、移転を繰り返し、1961年(昭和36年)にこの場所に移りました。毎年8月18日には、その日に亡くなった豊臣秀吉を慰霊する「太閤祭」が催されます。ここで手を合わせて大阪城を訪れたことを伝え、天守閣へと向かいます。
▼豊国神社を詳しく紹介!
6.桜門(さくらもん)
神社の向かいに見えるのは、本丸への入り口 桜門(さくらもん)。これも重要文化財の指定を受けています。
桜門は正面入口で、桜門を額縁のように天守閣を望むことができます。豊臣時代、この付近に見事な桜並木があったので、桜門と名付けられたと言われています。
7.巨石~蛸石~
桜門を抜けると城内の1番の巨石“蛸石(たこいし)”があります。蛸石の大きさは、高さ約5.5m、幅約11,7m、畳36敷分あり、重さは約130トンと推定さています。
その名は、 石の表面左端に茶色い蛸の頭形のシミがあることから名付けられたと言われています。
8.日本庭園
昭和6年の大阪城天守閣復興にあわせ、大阪市の手により、当時東側に建っていた紀州御殿の庭園として整備された純日本庭園です。ここでバードウオッチングをする人もおられます。
中央には池があり、池の南側からは天守閣が池に映りこむ水鏡が見られます。”逆さ大阪城”ですね。
▼他にも大阪城天守閣を撮影するおすすめのスポットを紹介しています。
次はいよいよ天守閣へ!
9.大阪城天守閣
やがて、威風堂々した大阪城天守閣が見えてきます。天守閣前の広場では間近に見る事ができます。
豊臣秀吉が造った大坂城は、およそ400年前の元和元年(1615年)大坂夏の陣で落城し、現在は全て土の下に埋もれています。この井戸状になされたマンホールの下にも豊臣時代の石垣があるそうですよ。
豊臣石垣の公開事業に取り組んでいる 大坂城 豊臣石垣公開プロジェクト があります。
今まで見てきた石垣や堀は、徳川時代に築いたものです。この天守閣にいたっては昭和3年から3年間に渡って再築されたもので、秀吉時代1代目、徳川時代2代目、そして3代目となります。
さらに平成7年から“平成の大改修”が行われました。
耐震性、耐久性を備えた建造物に生まれ変わり、平成9年“登録有形文化財”に指定されました。天守閣は、昭和の再築時から歴史博物館として生まれ変わり、多くの資料を見学できる施設となりました。
10.天守閣に登ってみよう
天守閣は、8Fの展望台までフロアがあり、車椅子のご利用者やお年寄りも気軽に見学できるよう エレベーターも設置されています。
1Fは、大坂城を築き天下統一を成し遂げた豊臣秀吉の生涯を描いた5タイプの映像を見られるシアタールームがあります。日本語、英語、中国語、韓国語の字幕がでます。
2Fは、大坂城や城についての基礎知識をパネル展示し、さらに理解して深めるために、大坂城の外観を彩る鯱や伏虎などの造形美術の原寸大レプリカを展示しています。
3Fは、豊臣秀吉ゆかりの資料や大坂城の資料を展示。なかでも圧巻なのは、秀吉が造らせた黄金の茶室を再現しています。一見の価値ありです!他にも当時の本丸のミニチュア模型も展示され、豊臣時代と徳川時代のものが二つあり、比べながら見ると時間を忘れてしまいます。
4Fは、2か月ごとに展示を入れ替えますが、豊臣秀吉が戦った戦国時代の資料を中心に展示されています。
5Fは、豊臣時代の大坂城最後となった“大坂夏の陣”のミニチュア模型と屏風が展示されています。ミニチュア模型には、真田幸村隊と松平忠直隊の激戦風景がリアルに再現されています。
またパノラマビジョンが設置され、放映される映像では、“大坂夏の陣”を描いた屏風のストーリーを紐解いてくれ、歴史を深く知ることができます。日本語、英語、中国語、韓国語の字幕がでます。
7Fは、豊臣秀吉の生涯をジオラマで描き、さらに史実 真説太閤記として秀吉の生きた歴史を分かり易く解説しています。
そして8Fからは、大阪城と大阪の街並みを地上50メートルから望む展望台があります。
同じように大阪の街並みを見ていたであろう、秀吉の目線を感じることができます。そして面白いのは、目の前に大阪城の金の鯱が見られます!車椅子でも展望台に出ることが可能です。また大阪の昔の風景を見られるステレオスコープなにわ風景なども設けられています。
11.隠し曲輪(くるわ)
山里口出枡形を過ぎ左へ行くと、”隠し曲輪”があります。入口は狭く多くの人は素通りしていきます。大坂城の本丸に唯一築かれた帯曲輪(おびくるわ)で、江戸幕府による大坂城再築時のものです。出入り口が狭くて気付かれにくく、兵士を隠す場所だったことから、「隠し曲輪」と呼ばれたそうです。
ここには石垣の築造を担当した伊予大洲藩(丸に十字)、丹波園部半藩・但馬出石藩(丸にニ八)の刻印を間近に見る事ができます。
中央付近には、ずらっと一列に並んでいる刻印が見られます。
12.刻印石広場
この刻印石広場でも色々な刻印が見る事ができます。この刻印の中には、大名の家紋を刻んだものや、石の産地を表したもの、奉行の姓名を記したものなど、様々なものがあります。
13.山里丸石垣の機銃掃射痕
看板に書かれている説明から
石垣の表面に残る傷は、第二次大戦末期の空襲による被害の痕跡で、機銃掃射によってついたものと推測される。昭和20年3月から終戦前日の8月14日まで大阪は8度におよぶ大空襲を受け、陸軍の中枢機関や軍事工場があった大阪城も標的となった。山里丸ではこの他にも爆弾によって南側石垣上部が吹き飛ばされ、北側内堀に面した石垣も数ヶ所ひずんだ。現在はいずれも修復されている。
とかかれています。天守閣の石垣も空爆によるものだと思われる ずれが見られます。
14.秀頼・淀君らの自刃(じじん)の地
そして最後に訪れたいのは、天守閣の北側にある“秀頼・淀君らの自刃(じじん)の地”です。大坂夏の陣で徳川軍に追い詰められ、豊臣秀頼とその母 淀君は、山里丸にあった櫓に身を潜め、自害したと伝えられています。現在の山里丸に、昭和9年この碑が置かれました。
まとめ
難攻不落の城とまで言われた大阪城は、大坂夏の陣で徳川軍に敗れ、落城しました。戦国時代の人々が、大阪城や大阪を守るために懸命に戦ったという証を忘れないために…
そして、その悲しい歴史を語り継いでいくために…
いまなお大阪の人々は、大阪城を愛して、誇りに思っているのかもしれません。
紹介した以外にも当時の歴史を伝えている遺構が数多く残されています。
ぜひ!戦国時代へタイムトリップできる大阪城へ来てください!
今回、大阪城のボランティアガイドさんにも色々な大阪城の説明をしていただきました。ありがとうございました。大阪城のあちらこちらに居られます。みなさんもガイドさんを見つけて案内してもらってくださいね。色々な発見がありますよ。
大阪城施設・駐車場情報
■大阪城天守閣
〒540-0002 大阪市中央区大阪城1-1
電話:06-6941-3044
開館時間:9:00~17:00(入館16:30まで)
■大阪城パークセンター
〒540-0002 大阪府大阪市中央区大阪城3−11
電話:06-6755-4146
受付時間:9:00~17:30
【車で大阪城観光】大阪城公園・大阪城ホール周辺の駐車場と料金について詳しく紹介しております。
▼大阪城・大阪城公園周辺の駐車場情報はこちら