【大阪最古】日本の中心は浪速にあり!日本国土そのものの神を祀る生國魂神社
大阪最古の神社、生國魂神社(いくくにたまじんじゃ)さん。
「いくたまさん」の通称で知られ、「生國魂祭(いくたままつり)」は大阪の夏の三大祭りのひとつとしても有名ですね◎(※三大祭りは、愛染まつり・天神まつり・住吉まつりということもあり。でもどれも歴史あるお祭り!)
境内にはご利益のある摂末社もあり、中でも鴫野(しぎの)神社さんは縁切りのご利益があるとSNSでも拡まっているので、ご存知の方もいらっしゃるのではないでしょうか?
生國魂神社さんの歴史は、約2700年。それはつまり、大阪を知る上で決して見逃すことのできない超重要な神社ということ。
「古い神社だからご利益がある!」とか、「縁切りの鴫野神社行きたい!」とか…ちょっと待って!どんな神さまがお祀りされているのかを知って、そしてぜひ、大阪の歴史をよくよく知ってからお参りください!!
それに、太古の昔から超重要なスポットやったんやから!!
これ読んでみ、大阪の見方変わるで…!
1.生國魂神社のはじまり
さて、何があった時でしょ〜〜か!
1-1.神武東征と生國魂神社の創祀
天照大神の子孫である磐余彦尊(いわれびこのみこと)は、兄・五瀬命(いつせのみこと)とともに、葦原中国(あしはらのなかつくに。地上の世界のこと)を治めるべく日向の高千穂より東へと向かいました。
日向(宮崎)から宇佐(大分)、筑紫(福岡)、そして安芸(広島)、吉備(岡山)と瀬戸内海を通り、そして辿り着いた先は浪速。
太古の大阪は大阪平野のほとんどが海。かつては生駒山あたりまで海水が来ていたといいます。時とともに淀川や大和川からの砂が溜まって河内湾は河内潟へ、そして次第に淡水化して河内湖へと変化してきました。
この頃上町台地は細長い岬になっていて、その先端は「難波碕」と呼ばれていました。この地に辿り着いた磐余彦尊が生島大神(いくしまのおおかみ)と足島大神(たるしまのおおかみ)をお祀りしたことが、生國魂神社さんのはじまりと伝えられています。(※難波碕は現在の大阪城を含む一帯)
その後、磐余彦尊一行は生駒山を越えて中洲(なかつしま。奈良盆地)へと抜けようとしましたが、大和最大の敵を前に兄・五瀬命が負傷。「自分たちは太陽神の子孫なのに日の昇る東に向かって矢を射ったから負けたのだ」ということで紀州半島をぐるりと一周して、熊野(三重)より再上陸して太陽を背にする形で見事勝利しました。
そうして磐余彦尊は橿原の地にて天皇に即位されました。
橿原宮で即位されたのが、紀元前660年1月1日。
これは旧暦で、新暦にすると2月11日。今年で建国2684年、日本って世界で最も古い国なんやで!
1-2.神社の樹を伐った孝徳天皇
神武天皇の東征の際に難波碕に生島大神・足島大神をお祀りしたのが創祀であると社伝にはありますが、史実としての創祀時期は明らかではありません。
生國魂神社さんが文献上最初に登場するのは、『日本書紀』の第36代孝徳天皇の項。
孝徳天皇は仏法を尊ぶあまり神道を軽んじたとされる、「生國魂神社の樹を伐った」ことが記されています。
いくたまさんは大阪城築城の時に現在の地に移されてて、それ以前は難波宮があったあたりにお祀りされていたと考えられてるねん。
つまり、孝徳天皇は難波宮造営のために神社の樹を伐ったのではないか…と。天皇たるお方がなんてこと〜(汗)
創祀時期は明らかでないとするも、孝徳天皇の時代に難波宮の資材になるほどの樹木があったということは、それ以前からお祀りされていたことは間違いありません。
1-3.ご祭神について
生國魂神社さんの主祭神は、神武天皇が難波碕にお祀りした生島大神と足島大神の2柱です。
生島の神は国土の生成、足島の神は国土を拡大成長させ充足させる国の守護神であり、日本国土の神霊です。
日本においてとても重要な神さまなのですが、生島の神・足島の神は、『古事記』や『日本書紀』に登場しません。
そんな重要な神さまなのに記紀に登場しないって、どういうこと?と思うでしょうか。あるいは日本神話を知っている人なら、「日本の国土を作ったのは出雲の大国主神じゃないの?」と思うかもしれません。
イザナギ・イザナミ、アマテラス、スサノオ…他にもいっぱい、いろんな神さんのことはすべて記紀に書かれていると思ってたから、そこに登場しない神さんって何者?って。
古来、日本ではあらゆるものに神さまがいると考えられていました。太陽には太陽の、雨には雨の、風には風の、岩には岩の、川には川の…自然的なものはすべて、その神霊が形を成したもの。
今よりもはるかに自然が身近だった時代、自然に対する畏怖の念はもっと強かったと思う
難波の地は、陸のない海だったところに川から流れてきた砂が溜まって、いくつもの島ができてきました。それが次第にひと繋がりの陸地になって現在に至ることを今の私たちは理解することができますが、太古の人々にとって、海に島が生まれてやがて大きくなって緑も育っていく様子を見たら、どうでしょうか。
島が生まれ、島が満たされてゆく…それは、“生島の神と足島の神が、八十島(日本列島)の形をとって現れた”ということなのです。
だから、いろんな天皇とか豪族とかのルーツになる神さんの話が書かれてるねんな。
ほんで、『日本書紀』は、いわば外国向けに日本って国の成り立ち紹介を記したもの。
どっちにしても、生島・足島の神は誰かの先祖っていう神さんじゃぁないから、記紀に登場せぇへんだけやねん
なお、日本神話において国造りを行った大物主神(おおものぬしのかみ)が相殿神としてお祀りされています。社伝では、大物主神は1558年の社殿造替時に境内社から本殿に遷座されたといわれています。
《ご神徳》
生成発展・五穀豊穣・健康長寿・縁結び・社運隆昌・家内安全
日本国土そのものである生島・足島大神には、大地に生を受けるすべてのものを生かし、育て、守護されるという、広大無辺のご神徳があります!
1-4.難波八十島祭
生島の神・足島の神は、天皇の即位儀礼の一つである八十島祭(やそしままつり)と関わりが深いと考えられています。
天皇が即位されると様々な儀式が行われますが、何よりも重要なのは三種の神器を継承すること、そして国内外へ即位を披露し、即位の翌年に大嘗祭(おおなめまつり)を行うことです。
天皇が即位した翌年に行われる新嘗祭を大嘗祭といって、国家・国民の安寧と五穀豊穣を感謝して祈念するという行事やねん
かつてはそれに加え、大嘗祭翌年に「八十島祭」が行われていました。
平安時代、850年の文徳天皇即位の際が史料上の初見ですが、6世紀の欽明天皇の頃には形が整っていたとされています。1224年まで続いた八十島祭は、その後鎌倉時代の動乱で途切れてしまいました。
難波津の「八十島」を日本の国土“大八洲(おおやしま)”に見立てて、島々の神霊を天皇に遷すというもので、新天皇の乳母が生島巫(いくしまのみかんなぎ)という専門の巫女となり、宮中より難波津へ赴き、天皇の衣の入った箱を揺り動かすという儀式でした。
だから天皇の衣をフリフリして、そこに神の御霊を吸収させる…ってイメージ
史料の上で八十島祭と生國魂神社さんの関係は明らかになっていませんが、『延喜式』に「生島御巫が生国・足国の2神を祀る」と記されていることなどからも、生國魂神社さんがその祭祀に関わっていたと考えられています。
2.中世の生國魂神社
平安時代、隣接していた法案寺と神仏習合し、法案寺は生國魂神社さんの神宮寺となり、やがて両者は一体化して「生玉宮寺」と呼ばれていました。
でも、法案寺南坊として中央区島之内(道頓堀の近く)に今でもあるよ。
法案寺南坊は「大阪七福神」巡りの霊場にもなってる!詳しくは「大阪七福神めぐり」の記事を見てみて〜
1496年、法案寺の所有地に、生國魂神社さんに隣接する形で蓮如上人が大坂御坊(後の大坂本願寺)を築きました。
第8世・蓮如(れんにょ)上人とは、室町時代の浄土真宗のお坊さんであり、浄土真宗の宗祖である親鸞の教えを広め、積極的に布教を行った方。阿弥陀仏の前でのすべての人の平等と浄土での救いを説き、多くの信者を集めましたが、次第に信者たちは教えの範囲を超えて広がり、自衛のために武力持つ自治組織が出来上がってきました。
蓮如さんは、過激になっていく門徒を破門にしたりもしたけど、民衆の勢いが止まらなくなっていって…戦乱の世の突入よ
蓮如上人は京都に山科本願寺を建てて平和を望み教えを説き続け、法主を息子の実如(じつにょ)へと譲り隠居した後も布教活動を続ける中で、大阪に坊舎(大坂御坊)を建てられました。この時はまだ小さなお寺でしたが、蓮如上人亡き後次第に本願寺は武装化していき武士勢力との抗争が始まり、山科本願寺が焼失してしまうと、各地の本願寺が大阪の御坊へと集結。次の法主証如(しょうにょ)は大坂を本拠とし、石山本願寺と改称しました。
石山本願寺の寺領は上町台地の北端にある小高い丘の上。周囲にも小高い山や川が多く、大変守りに適した土地でした。山科を教訓としてさらに守りを強くして、なかなか落ちることはありませんでしたが、織田信長と10年に渡る合戦の末、1580年に石山本願寺もろとも生國魂神社さんの社殿も焼失してしまいました。
織田信長が明智光秀に討たれた後、豊臣秀吉が大阪城の築城を始めると、生國魂神社さんと神宮寺の法案寺は現在の地に遷座されました。この時、秀吉からは社領として300石が寄進され、秀吉の息子・秀頼の命により社殿が造営されました。
その後大坂夏の陣で社殿が焼失してしまうも、江戸幕府により社殿が復興されました。
3.上方芸能を育んだ地
戦乱の世が明けると、武士たちはいわゆる役人・公務員のような立場になり、特に大阪では町民が主役の時代になっていきます。
江戸時代、生國魂神社さんの境内には芝居小屋や見世物小屋が屋台のように連なり、漫才や文学、三味線や人形遣いなど様々な芸達者な人たちが集って賑わっていたそうです。
町人出身で芸事を極めた人が増えてくると、道頓堀に芸能専門の小屋ができてったんやって〜。
「なにわのブロードウェイ」って呼ばれるくらい昔の道頓堀には芝居小屋がたくさんあって大阪文化の中心地やったわけやけど、いくたまさんこそが上方文化芸能発祥の地なんやで!
3-1.上方落語の祖・米澤彦八
こちらは上方落語の祖となる初代・米澤彦八の碑。
彼もまた、生國魂神社さんで芸を披露していました。彦八さんがするのは、「当世仕方物真似(とうせしかたものまね)」という、いわゆるモノマネ。同時代、京都や江戸でも京都落語や江戸落語の祖と呼ばれる人物が登場し、お笑いが文化として盛り上がっていました。しかし昔の笑話本を元に話を作った他の落語家と違い、彦八さんのはオリジナルものが多く、しかも立烏帽子や大黒頭巾、編み笠や湯呑茶碗などの道具も駆使して派手に人目を引き、公家や大名の立ち振る舞いを面白おかしく演じたそうです。
でもいくら町民のまちとはいえ、大名をバカにしたら役人たちに目ェつけられて捕まえられそうになったこともあるらしいんやけど、捕まえにきた役人さえも笑っちゃって、バツが悪くて捕まえれなかったらしいよ…(笑)
一歩間違ったら殺されかねへんのに、本気で笑いに命をかけた男…米澤のひこはっつぁん。
大阪人の鏡やでぇ
彦八さんの碑が建立された平成2年、その翌年より上方落語協会主催のファン感謝祭「彦八まつり」が毎年生國魂神社さんで開催されています♪コロナで長らく中止されていましたが、今年5年ぶりに開催されるそうです!5月18日・19日の2日間、ぜひどうぞー!
3-2.俳諧師・浮世草子作家 井原西鶴
大阪の俳諧師である井原西鶴は、生國魂神社さんにて俳人200人を集めて大規模な万句興行をしたり、24時間かけて4000句を詠むという矢数俳諧(やかずはいかい)に成功するなど、生國魂神社さんにゆかりがあります。
単純計算で1時間に166句、1分で3句くらいのペースで俳句作るって、頭の中どうなってんの…!?
そうしてたくさん詠んだ句に自ら描いた挿絵も載せて、自身の作品の俳書を刊行しました。
また井原西鶴は、『好色一代男』をはじめとする浮世草子の作者としても有名。浮世草子は江戸時代に生まれた前期近世文学の主要な文芸形式のひとつであり、当時の文学界に新風をもたらしたものでした。
文化人としても優れた方なのですが、それ以上にすごいのが、“自ら作品を出版した”ということです。
それ以前、文学作品が出版されたことはありませんでした。もちろん紫式部の『源氏物語』など古くから文学作品はありましたが、当時は気に入った人が各々書き写していくシステムでした。経典などを印刷することはあったので、印刷技術がなかったわけでもありません。
西鶴さんの時代の大坂は天下の台所!町民の経済力も高まり、士農工商すべての階級で文字の読み書きができる人が増え、さらに印刷技術も向上し、そこに着目した西鶴さんが初めて出版業というものを生み出したのです。
3-3.浄瑠璃・歌舞伎作家 近松門左衛門
近松門左衛門といえば『曽根崎心中』が有名ですね。『曽根崎心中』というと露天神社(通称・お初天神)さんこそがゆかりの地というイメージが強いですが、生國魂神社さんも作中に登場するのですよ!
勤め先の店主に勝手に婚姻話が進められていた徳兵衛。店主が話を進めるために徳兵衛の継母にお金まで渡していたことを知った徳兵衛は、なんとか継母からお金を取り戻すも、「そんなに自分が勧めた娘と結婚したくないなら大坂から出て行け」と言われ、どうしたものかと悩んでいた時に恋人である遊女のお初と会ったのが、生國魂神社さんなのです。
けど、徳兵衛さんはそのお金を親友に貸しちゃってて、間ァよくその親友も通りがかったから「そろそろお金返してくれよ」と言ったらよ、「俺はお前から金を借りたことなど一度もないぜ」と嘘つきやがる…
そんな泥沼のシーンの舞台がいくたまさんで、紆余曲折あってお初天神で心中しちゃうんよね
4.ご縁の神様・鴫野神社
生國魂神社さん境内社でも一番よく知られている、鴫野神社。むしろここへお参りするために生國魂神社さんにいらっしゃる方もいるのではないかと思うほど、ここだけ他の摂末社よりも参拝者が多く、奉納される絵馬の数も抜きん出ています。
何故そんなに人気なのかというと、縁結びや縁切りなどの“ご縁”にまつわる神さまだから。
でも、ご縁っていうと人と人との繋がりだけをイメージしがちやけど、例えば「タバコ断ちたい!」とかいうのも縁切りの一つ。
何かの習慣を断ちたい時にもご縁の神さん!
鴫野神社は、その名の示す通り、元々は鴫野(城東区。大坂城の東側)にありました。現在の大阪ビジネスパークのあたりはかつて「弁天島」と呼ばれていて、その一角で弁天さんをお祀りしていたのが鴫野神社です。
この弁天社を篤く崇敬されていたのが、豊臣秀吉の奥さんである淀殿でした。大坂城落城の際、大坂城から弁天社へと向かう白龍が見えたと伝わっています。この白龍は淀殿の魂であり、淀殿の体(遺骨)は梅田の太融寺さんに納められていますが、心は鴫野神社にお祀りされているのです。
親の言う通りに、相手がどんな人かもわからず結婚するのがほとんどやった昔は、女の人生は結婚相手で決まるっていうても過言じゃないわけ。
淀殿は今でいうファーストレディーみたいなもんやったから、淀殿のようなご縁にあやかってエエ人と結婚できますように!って願う女の人がいっぱいいたんやって
明治時代に鴫野に砲兵工廠が建設されるにあたり、鴫野神社は豊臣秀吉とゆかりの深い生國魂神社さん境内へと遷され、現在に至ります。
5.境内いろいろ
生國魂神社さんへの入り口は2か所。境内東にあるこちらの大きな石鳥居(現・サントリー創業者の鳥井信治郎さんの奉納)と、
生玉真言坂から入る北門があります。この北門にある石灯籠は、かつての八軒家浜(現・天満橋)にあったものです。
坂本龍馬や幕末の志士たち皆、この灯籠を見てたはずなんやで…!
5-1.本殿
まずは拝殿にてご祭神にお参りを。
祈祷中でなかったので、特別に拝殿の中からご本殿を拝見させていただきました!
本殿と幣殿をひとつの流造で葺き下ろし、千鳥破風・すがり唐破風・千鳥破風の3つの破風備えた、複雑で独特な造りをしています。これは「生國魂造(いくたまづくり)」といい、神社建築史上ほかに例のない様式。戦後の建て替え時にコンクリート造になりましたが、豊臣期大阪城天守閣と姉妹関係にある桃山時代の遺構を今に伝えています。
よかったら大阪公式観光情報のウェブサイトには、高いところから撮影された写真があるからよかったら見てみて…
とんでもなく複雑な屋根の形がよくわかるから。
昔の人がこれを木で造ったとか、信じられへん
5-2.摂末社
拝殿向かって右側に彦八さんの碑があり、その隣に住吉神社・天満宮・皇大神宮があります。
彦八さんの手前に、生玉の杜へと通じる道があります。鴫野神社さんへはこちらから。
西鶴さんの像と、法案寺南坊跡の石碑。
その左手前方に、
オダサクこと織田作之助さんの像があります。
織田作之助さんは生國魂神社さんのすぐ近くの生まれとのことで、その作中にも生國魂神社さんが登場します。
オダサクさんは『西鶴新論』を著すほど西鶴さんを尊敬してはったから、矢数俳諧をする西鶴さんを時代を超えて見つめる形で像が置かれてるねんで!
織田作之助さんの像の奥に、4つの神社が並んであります。
5-2-1.浄瑠璃神社
向かって一番右にあるのが、浄瑠璃神社。
近松門左衛門をはじめ、文学関係の物故者がお祀りされています。文学関係者以外にも、舞踊家や演劇関係、作家さんなどからの信仰があり、またお稽古事の上達の神さまとして崇敬されています。
5-2-2.家造祖神社
浄瑠璃神社の左隣にある家造祖(やづくりみおや)神社は、大阪城築城の際に家造りの祖神として建立された神社です。ご祭神は手置帆負神(たおきほおいのかみ)と彦狭知神(ひこさしりのかみ)であり、どちらも天照大神が天岩戸に隠れられた時に瑞殿(みずのみあらか)という御殿を造営した神さま。それゆえ土木建築の神様として、大阪城築城とともに祀られ、現在でも大手ゼネコン会社をはじめとする建築業の方々からの信仰が篤く、また各家庭円満の神さまとしても信仰されています。
5-2-3.鞴神社
さらに左隣にあるのは、鞴(ふいご)神社。ご祭神は、鍛冶の神である天目一箇神(あめのまひとつのかみ)と、三種の神器の一つである八咫鏡を作った石凝杼売神(いしこりどめのかみ)、火の神である家具土神(かぐつちのかみ)の3柱です。鞴とは火おこしの道具のことで、大阪市中央区鎗屋町(やりやまち)に住まいした鍛冶・製鉄・製鋼・鋳金、機械工具等を商う金物業界の人たちの守護神として現在も崇敬されています。
11月8日の例祭では、刀剣鍛錬の奉納があり、刀匠による作刀の所作を拝見することができます。
5-2-4.城方向八幡宮
一番左にあるのが、城方向(きたむき)八幡宮です。
武運の神である八幡神こと誉田別命(ほんだわけのみこと)と、その母である氣長足媛命(おきながたらしひめのみこと。別名神功皇后)と、初代・神武天皇の母である玉依比賣命(たまよりひめのみこと)がお祀りされている神社で、大阪城鬼門の守護神として城の方向(北)を向いて鎮祭され、大阪城や武家を守護していることから城方向(きたむき)といいます。
方除、厄除、勝運の神さまとして崇敬されています。
5−2−5.稲荷神社・源九郎稲荷神社・八兵衛大明神
城方向八幡宮より右手に進むと、さらに3社並んでいます。その一番手前にあるのが稲荷神社。
佐賀県祐徳稲荷の分霊をお祀りしたもので、鍋島藩とその蔵屋敷に出入りしていた商家から篤く崇敬されていたと伝えられます。
お稲荷さんなので、五穀豊穣・商売繁盛・除災招福のご神徳があります。
稲荷神社の右にあるのが、源九郎稲荷神社です。
同じお稲荷さんですが、こちらは奈良県吉野の源九郎稲荷の分祠と伝えられています。
奈良の源九郎稲荷神社さんは日本3大稲荷の1つとも言われる有名なお稲荷さんです。
源義経が兄・頼朝の討手を逃れて吉野へ来た時、義経の重臣に化けた白狐が義経と静御前を守ってくれたんやって。
狐と気づいた義経が「どうして守ってくれるんだい?」と尋ねたら、「静さんが持つ鼓、両親でできてるんです」と。
それを慕って2人を守ってくれた狐に同情した義経が、感謝のお礼に自分の名前「源九郎」を狐に与えたんだって!
なお、こちらに合祀されていた八兵衛大明神は現在、境内北東の新社殿に遷されお祭りされています。
歌舞伎役者や松竹新喜劇の方々に崇敬されていた芸道の神さまです。
芝居好きな狸が人間に化けて、浪速の中座にやってきてたらしいんやけど、お金の中にたまに葉っぱが紛れてることから怪しまれ、見張の番犬に噛みつかれて死んじゃってんて。
その後中座の客入りが悪くなって、「芝右衛門の祟りだ」なんて噂されたから芝居小屋に芝右衛門を祀るようにしたら、また客足が良くなった、と。
平成11年に中座が閉館された時、実家の洲本と、上方芸能発祥の地の生玉さんに祀られるようになったんやって〜
5-2-6.鴫野神社
源九郎稲荷神社の隣、境内一番奥にあるのが鴫野神社さんです。縁の神さまとして、多くの人がお参りにいらっしゃいます。
鳥居の横には占いの鑑定所があります。(土日10〜16時のみオープン)
「崖縁占(がけっぷちうらない)」という名前は、ここが崖の上だから!
ここの占い、よく当たるらしいよ!気になる〜
5-2-7.精鎮社
ネットが張り巡らされていますが、ここは池になっていて鯉が泳いでいます。
かつては表参道に池があり、その池に祀られていたお社。ご祭神はえべっさんと弁天さんで、漁師や釣り人、鮮魚を取り扱う商人に信仰されています。
6.授与品いろいろ
オールマイティーなお守りから交通安全、健康、学業、さまざまな授与品がありますが、縁に関するものをご紹介♪
6-1.えんむすび
ピンクとブルーの、縁結びのお守り◎
ひとりで好きな色を持つもよし、好きな人とお揃いで持つもよし。
6-2.心願成就のお守りと絵馬
ころんとした小さなお守り。心に鍵をかけている絵が、縁を結ぶ、また悪縁を切るという強い意志を感じさせますね。
心願の絵馬は、鴫野神社さんへお納めくださいね!
住所:大阪市天王寺区生玉町13-9
電話:06-6771-0002(9:00~16:00)
アクセス:
・大阪メトロ谷町九丁目駅より徒歩5分
・近鉄上本町駅より徒歩10分
7. 最寄りの素敵なお店
生國魂神社さん最寄りの谷九周辺って、オシャレなお店がいっぱいあるんですよ♪その中でも3つご紹介〜〜!
7-1.はじかみ喫茶
生國魂神社さんから徒歩5分!谷町筋沿いにある3階建てビルの3階にある「はじかみ喫茶」さん。
店名の「はじかみ」とは山椒の「椒」。「椒」には“山の頂”“香りが良い”という意味があり、息子さんと親子経営されている山椒好きのオーナーさんが、「いろんな世代が交流できる場所、癒しの空間」になるようにと命名されたそう。(オーナーさんは長年エステサロンを経営されている、すっごい美人で輝いてる女性…!)
ジャズが流れる落ち着いた店内。奥には大きな窓があって晴れた日は明るく開放感がありますが、私が訪れた時はあいにくの雨…。でも、曇り空の日はまったりとした穏やかな雰囲気で、雨宿りにはうってつけ。
喫茶店らしい軽食メニューもありますが、私はバスクチーズケーキをいただきました。ほんのり温かいケーキの上にバニラアイスとホイップ…♡
エスプレッソ方式で淹れられたコクのあるカフェラテとの相性は抜群で、美味しい♪
喫茶店らしいクリームソーダもおすすめです!メロン・イチゴ・レモン・ブルーハワイの4色あって、推しのカラーで映え写真も撮れちゃいます★
オーナーさん自身が本当に美味しいと思ったものだけを提供されているので、何をいただいても間違いない美味しさです◎
また、「品物を提供するだけではなく空間も提供するもの」というお考えで、本当に居心地が良いんです。
友達同士で来るのもいいですが、1人でまったり過ごすのに最適な空間で、コワーキングスペースとしても利用できるとのこと!
いくたまさんの帰り道、はじかみ喫茶さんでほっこりまったりしてみてください♪
住所:大阪市天王寺区生玉前町1−16チェリービル3F
電話:070-8544-5055
営業時間:昼11:30〜17:00 夜19:00〜22:00(夜はカフェバーになります)
定休日:火曜
アクセス:
・大阪メトロ谷町九丁目駅より徒歩1分
・近鉄上本町駅より徒歩3分
7-2.タルトメッセ
生國魂神社さんより徒歩4分、小さなケーキ屋「タルトメッセ」さん。80歳のパティシエマダムが現役で作り続けている、昔から地元の人たちに愛されているお店です♪
すごく人気で、昼過ぎに伺うとショーケースがすでにスカスカ(汗)オープンからケーキを求めるお客さんがたくさんいらっしゃるそうで、私が伺った15時台も続々とお客さんが。
お店の一番人気はなんといってもこちらの「洋梨タルト」。50年近く前、専業主婦だったマダムが子どものおやつにたまたま作った洋梨のタルトが偶然にもイタリアンレストランのオーナーの目に留まり、1980年から18年間家庭からレストランに洋梨タルトを納めていたのだとか!28年前に「タルトメッセ」をオープン。芸能人のファンも多く、安倍元総理も召し上がられたそう!
こちらは期間限定の「紅玉りんごのチーズタルト」。マダムの作るケーキはどれも、小さな子どもも安心して食べられるようにと良質な素材を使用。そのためあっさりだけど自然な甘みやコクがあって、ぺろっと食べられちゃう美味しさなんです!サクサクほろほろのタルトには、マダムの優しさが詰まっています♡
イートインだと小さなクマさんクッキーも付いてきてかわいいですし、テイクアウトでご家族みんなでもどうぞ◎
住所:大阪市天王寺区生玉前町2−11
電話:06-6774-0804
営業時間:12:00〜18:00(14:00〜14:30は休憩時間)
定休日:月・火曜
アクセス:
・大阪メトロ谷町九丁目駅より徒歩2分
・近鉄上本町駅より徒歩5分
7-3.Tea Room Grand Tour
生國魂神社さんより徒歩5分のところに、本格的なティールームがあります♪
本格的ではありますが、ホテルのアフタヌーンティーほど高級ではないし、敷居が高すぎるという雰囲気ではありません。
お店の外側はガラス張りで明るく、白とロイヤルブルーの壁紙が鮮やかで美しい店内では、ご近所さんや常連さん、初めてのお客さんも多く訪れ皆さんそれぞれ楽しくお茶をいただいていらっしゃいました◎
本格的なアフタヌーンティーセットの他に、ランチにもぴったりなセイボリー(おかず系のパイやタルト)のセットや、シンプルにお菓子と紅茶のセットなどあります。
私は「ティータイムセット」で、おすすめしていただいた「いちごのメレンゲルーラード」をいただきました♡
甘さ控えめのクリームを甘くサクサクのメレンゲで包んだ軽いお菓子で、甘酸っぱい苺との相性は抜群◎
苺の季節以外では、レモンやマロンのルーラードがいただけるとのこと。
こちらのお店のお菓子はテイクアウトできるものも多々ありますが、ルーラードはイートイン限定!
ミルクティーが好きなので、紅茶はイングリッシュブレックファーストをいただきました。種類がたくさんあるので、わからない方はお店の方に好みを伝えるとおすすめを教えてくださいますよ◎
茶葉は良質で高級なものを、そして食器も白とブルーの美しい英国バーレイ社のものを使用されています。
セイボリーやお菓子は、定番のものから聞いたこともないようなマニアックなものまでいろいろ!特別なひとときをぜひどうぞ♪
住所:大阪市天王寺区上汐3-7-6グローリ上汐101
電話:なし
営業時間:11:30〜18:30(LO.17:30)
定休日:月曜、第1・3木曜
アクセス:
・大阪メトロ谷町九丁目駅より徒歩4分
・近鉄上本町駅より徒歩5分
8.まとめ
2700年の歴史がある生國魂神社さん。その歴史は、大阪、そして日本の歴史に関わるとても重要なものであることがわかりましたね!
生島の神、足島の神をお祀りする神社は全国でもわずかしかありません。しかし、現在の日本があること…他の国々は幾度も変遷してきた中で、日本という国だけは神武天皇から今生天皇まで脈々と続いてきたことは、太古より生玉の神を信仰してきたからなのではないかと思わずにはいられません。
昨今、先進国の中でも何かと劣っていると言われる日本ですが、日本が誇れるものもたくさんあります。でも、何よりも誇れるのはその歴史だと思います。
ギリシャ神話もその他外国の神話のほとんどは、遠い昔にあった国のお話です。しかし、日本神話、日本の神々は、現在の日本人のルーツとなるものであり、そして今なお信仰されています。(※少数民族の中では神話が現在にも続いている部族もいるかもしれません)
ご利益を求めるだけでなく神社の歴史に触れてみると、日本の素晴らしさに気づくきっかけにもなります。
私たちの住む国がこれから先も続いていくことを願って、生玉さんにお参りにいらしてみてください。それから、自分の厄介ごとを縁切るために鴫野神社さんへお参りくださいね!
<参考文献>
・KOBECCO「上方落語の祖 米沢彦八ってどんな人?」
https://kobecco.hpg.co.jp/34133/
・公益財団法人 関西・大阪21世紀協会「なにわ大坂をつくった100人」
https://www.osaka21.or.jp/web_magazine/osaka100/019.html
・源九郎稲荷神社ホームページ
https://gennkurouinari.jimdofree.com
・芝右衛門についてはウィキペディア