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【日本文化遺産】日本最古の官道・竹内街道を歩こう!

竹内街道

グーグルマップをぐいっと拡大してみると、道路に「国道○号線」とか「○○通」、「○○筋」という道の名前が出てきますが、実は古の街道の名前も出てくるんですよ。

誰でも一度は聞いたことがある「東海道」。大阪と東京を結ぶ新幹線の路線の名前ですが、これも街道の名前で、地図をぐーっと拡大してみると道に「東海道」と出てきます。(もちろん土地開発などで昔のまま残ってるわけではありませんが)

むかーしむかしは当然ながら現代ほど隅々まで道路整備が行われていたわけではありませんが、主要な都市を結ぶ道中には宿屋や茶屋があったりと整備されていました。
大阪は昔々から栄えたまちなので、街道もたくさんあります。

大阪から高野山へお参りに行く「高野街道」、熊野詣に行くための「熊野街道」、江戸時代に大阪城・岸和田城・和歌山城を結ぶために整備された「紀州街道」、京都と大阪を結ぶ「京街道」などなど…
そんな中でも最も古いのが、堺と奈良を結ぶ「竹内(たけのうち)街道」。およそ1400年前、飛鳥時代に整備された国内最古の国道であり、日本文化遺産にも登録されています!

でも、あんまり知られてない気がするんですよ…
私自身、古墳にハマり出してからその名を知ったくらいで、歴史の教科書に出てくるわけでもないので知らなくても仕方ありません…

しかし、よくよく考えてみてください。
1400年前の人が歩いた道が、今でも残っている…すごいことじゃありませんか?
しかも一部は現在の国道にもなっているんです。つまり、今なお重要な道として日々多くの人が利用しているという事実。

1400年前の人が見た景色を、1400年の時を超えて見るというロマン…
車で1時間で行けちゃうようになった今、あえて歩いてみませんか…!!!!!

1.竹内街道の歴史

堺市から松原市・羽曳野市・太子町を通り、二上山の南麓・竹内峠を越えて、奈良県葛城市にある長尾神社へと至る約26kmの竹内街道。
その始まりは推古天皇21年(613年)といわれており、日本最古の官道として2017年に日本文化遺産に認定されました。

姫松なつき
姫松なつき
竹内街道が大阪にとって初の日本遺産!
2017年当時はまだ古墳にもハマってなかったし、全然知らんかった…もっと大盛り上がりしてくれてたらよかったのに!(知らんかっただけで盛り上がってたんかな…?)

〜Episode0〜石の道

国道として整備されるよりも昔から、二上山を目指す人々がいました。その目的は、石。
1400万年前の二上山周辺の火山活動により、サヌカイトや凝灰岩、金剛砂が生み出されました。
旧石器時代、石器の材料として石は狩りなどの生活に欠くことのできない貴重な資源でした。古墳時代には石棺の材料として、奈良時代には研磨剤として使用するため、これらの石を求めて古代より人々は二上山を目指しました。初めは道なき道だったところを、古代の人々は荒野に道を刻んでいったのです。

〜Episode1〜日本最初の国道の誕生

聖徳太子が生きた時代、難波津は外交の玄関口でした。遣隋使や遣唐使は難波から大陸へと発ち、そして大陸から難波へ帰ってきて、政治の中心であった飛鳥へと多くの文物がもたらされました。
推古天皇の御代613年に、難波津と飛鳥・小墾田宮(おはりだのみや。推古天皇の宮殿)を結ぶ「大道」として、およそ40kmにも及ぶ国道が整備されました。

「大道」は、難波宮(現在の大阪城があるあたり)から金岡神社へとまっすぐ南下する「難波大道」と、堺から河内を抜け葛城へと至る「竹内街道」、さらに奈良盆地を東西に走り三輪山へと至る「横大路」、そして横大路から飛鳥へ至る上・中・下の三つの道から構成されます。

難波大道沿いには四天王寺があり、竹内街道沿いには聖徳太子ゆかりの寺院をはじめとする古刹が多数建立されました。さらには二上山の麓の太子町には王陵の谷と呼ばれる、敏達天皇・用明天皇・推古天皇・孝徳天皇・聖徳太子を祀る陵墓があります。

姫松なつき
姫松なつき
飛鳥朝廷の大切な地だった近つ飛鳥。街道沿いには世界遺産の百舌鳥・古市古墳群もあるし、古代の重要スポットをなぞるように続くこの道が、いかに重要な道だったかがわかるよね!
日本の国家としての歩みは、この道から始まったんやで!!
そしてなんといっても、大道こそがシルクロードの東端なんよ!!

〜Episode2〜中世・経済の道としての発展

都が京都へと移り、幕府が誕生した後も、大道は町々を結び物資を運ぶ街道として大いに利用されてきました。
室町時代、堺は南蛮貿易や日明貿易の港湾都市として自治都市が築かれるほどの大きな経済力を持つようになり、フランシスコ・ザビエルをはじめ多くのキリスト教宣教師が堺へと訪れ、様々な海外の製品や技術が堺へとやってきました。

姫松なつき
姫松なつき
金属鋳造技術の拠点も堺。東大寺の大仏修復や鎌倉大仏の鋳造にも関わったんやで!
戦国〜江戸時代に鉄砲・大砲・刀を作ってたのも堺。今でも堺の包丁は世界的にも有名やし、“ものの始まりはなんでも堺”って言われるくらい、中世になっても大阪湾が外国との玄関口やったんよね

街道の西端にあたる堺に対し、東端の奈良県の今井町にも寺内町からの自治都市が築かれていました。織田信長との抗争の後に降伏するも、明智光秀や堺の豪商の仲介を経て和解すると信長より自治権が与えられ、大和の経済の中心地となっていきました。

〜Episode3〜近世・伊勢参りへ向かう信仰の道

江戸時代になると、伊勢神宮や高野山、西国巡礼などの参詣者で賑わう信仰の道として発展しました。
街道沿いには旅籠や茶屋が賑わっていたとされる面影が今でも残っており、太子から葛城に至る道中には、伊勢への道しるべとなる灯籠や道標が見られます。竹内街道を超えた先、横大路の今井町は今も江戸時代の街並みを残し、伝統的な建造物が並んでいます。

姫松なつき
姫松なつき
江戸時代の庶民にとって、お伊勢さんにお参りに行くのが一生に一度の夢みたいなもんやってんて!
当然ながら徒歩で行くしかないんやけど、それでも大阪からでも江戸からでも、九州からでも東北からでも(!)、とにかく「お蔭参り」っていうのが当時のブームやったんやって〜

〜Episode4〜現代

1400年の歴史の中で、様々な人・物・文化が行き交った最古の国道は、今でも国道になっているところが多々あります。羽曳野市の白鳥交差点から葛城市の竹内集落付近までの区間のほとんどの区域が国道166号に指定されています。また、堺市内は街道のすぐ側に中央環状線が走り、日々多くの人々が通っています。

姫松なつき
姫松なつき
普段何気なく通っている道は、むかーしむかしの人も歩いた道かもしれへん…。
聖徳太子が隋の皇帝へ宛てた「日出る処の天子、書を日没する処の天子に致す」という有名な書物。
これを託された小野妹子が竹内街道を通ってまずは難波へと向かったわけやん。妹子さんが歩いた道を私も歩けるなんて、ロマン…!!

2.実際に歩いてみた!

サァ、そんな歴史深い道を、現代の庶民である姫松が実際に歩いてみることにしました!

昔の人は大阪から伊勢まで3〜5日で歩いたといいます。(※今でも大阪は玉造から伊勢まで170kmを歩いていくイベントが開催されています。4日で歩くらしい…)
竹内街道はおよそ26km。昔の人なら堺から奈良までなんて余裕で半日くらいで歩けたことでしょう。が、多少歩くのが好きな程度でろくに普段運動もしていない現代の庶民なので、安全を期して2日に分けて歩くことにしました。

竹内街道のおすすめルートなどを記したサイトがあるのでそれを参考にしつつ…でも、そういうのには旅の途中に寄れそうなお店とか載ってないんですよね。普通の旅行雑誌とかならモデルルートにはランチやカフェの情報も載っているけれど、あいにくそういうのが見つからなかったので、それなら我らが「We love 大阪」で理想的な竹内街道モデルルートをご案内しようじゃないかと!そういう次第でございます。

▼というわけで、最初の計画は以下の通り▼

街道途中にはたくさん史跡がありますが、全部寄り道して日が暮れてしまうのが心配だったので、史跡には寄らずに突き進みました。

《1日目》8:13大小路駅スタート→12:03嶺塚公園(ランチ)→15:15上ノ太子駅着
《2日目》9:36上ノ太子駅スタート→紆余曲折あるも14:15長尾神社着

しかし実際のところ、道中の石碑など撮影をしつつ比較的ゆっくりめに歩いても、余裕で日の高いうちに終わることができたので、体力があるなら史跡にも立ち寄ることをおすすめします!

姫松なつき
姫松なつき
姫松おすすめの竹内街道プランを紹介するよ〜〜☆

1日目(スタート大小路〜上ノ太子)

阪堺電車「大小路駅」へ降りたってすぐ、竹内街道の石碑と案内板があります!全てはここからスタートですよ!!まだ時間も早く、ワクワクが止まりません。軽く屈伸などストレッチして足の筋肉をほぐしておきましょう。
竹内街道のスタートは、現・大小路筋です。阪堺線が走っている道は大阪城と和歌山城を繋ぐ紀州街道!大小路駅は竹内街道と紀州街道の交差点になります。

姫松なつき
姫松なつき
私は早めに出発したけど、9時くらいにスタートした場合、堺市役所展望台に上がって古墳を見るのも◎
9時過ぎてたら堺東駅前にある施設「ジョルノ」に寄ってキレイなトイレで用足しとくといいよ!

大小路筋をまっすぐ東へ進むと南海高野線堺東駅に当たるので、右折。
堺中央線を少し南へ歩き、〈新町〉の信号を左折して線路を越えて道なりに進みましょう。
道なりに進んでいると、道が2手に分かれます。分岐点の真ん中に石碑がありますね。
分岐点を右に行くと西高野街道、つまり高野山へ行けます。そして左に行くと竹内街道。ごく普通の住宅街ですが、昔の名残を示してくれる指標が今でもあるんですよ!
少し進んでまた石碑。
もう少し進んでまた石碑。そして視界が開けます。正面の大きな道は中央環状線(府道2号線)。ここから少し、中環沿いに東へ進んでいきます。

【おすすめスポット①仁徳天皇陵古墳(みくにん広場)】

(滞在時間目安:15分)

中環を東進せず交差点をまっすぐ7分ほど行くと三国ヶ丘駅があります。三国ヶ丘駅の上は「みくにん広場」と呼ばれるスポットになっていて、仁徳天皇陵古墳を見渡すことができるのでおすすめです♪
仁徳天皇陵古墳は言わずと知れた世界遺産、百舌鳥・古市古墳群の一つであり、日本一大きな古墳です。その大きさはなんと486メートルで、エジプトのクフ王のピラミッドや中国の始皇帝陵よりも大きく、世界三大墳墓の1つと数えられる世界に誇る文化遺産!
正直あまりに大きくて、みくにん広場からの景色は森が広がっているだけに見えちゃうんですが…よければ世界遺産を間近でご覧になっていってください♪

姫松なつき
姫松なつき
でも、古墳は古墳だけで巡るのが一番おすすめかも!
仁徳さんってどんなお方か、とか、古墳時代ってどんな時代なのか…とか、色々語りたくなっちゃうんやけど、詳しくは百舌鳥・古市古墳群を紹介する記事を見てみてー!!

中環を東へ進み、向陵中町の交差点で道が3つに分かれますが、真ん中の道が竹内街道。
横断歩道を渡った先に、「緑の一里塚」と刻まれた石標があります。
「一里塚」というのは、江戸時代に全国の諸街道に1里(約3.9km)ごとに設置された塚のことで、旅の道標でした。塚の側には木が植えられていることが多く、その木陰は休憩場所にもなっていました。
2013年に竹内街道敷設1400年を記念して、大阪市・堺市・松原市・羽曳野市・太子町の街道沿いに「緑の一里塚」が整備されました。

姫松なつき
姫松なつき
緑の一里塚は一里ちょうどずつあるわけではないけど、道中ちょこちょこ出てくるから、水分補給スポットにしてみてね♪

(左上)街道を歩いていると、あちらこちらでお地蔵さんが祀られているのを見かけます。こちらは「黒土西町地蔵尊」とあり、この地に古くから祀られてきたのでしょう。石柱に刻まれた年号を見ると、1845年に建てられたことがわかります。街道をゆく人々を見守り続けてくださってるいんだろうなぁと思って、旅の安全を願ってお参りしてみたり。
(右上・左下)少し歩けばまた石碑。電柱にも日本遺産を示す看板が貼られています!ほんとにごく普通の住宅街の道路だけど、日本遺産なんですよ。
(右下)住宅地の中の小さな公園、長曽根竹之内公園には、街道を紹介する看板があり。

姫松なつき
姫松なつき
朝から元気に遊んでいる子どもたち…君たちは今、妹子さんと同じ空気を吸って遊んでるって気づいているかい…!?(笑)

府道28号線(大阪高石線)を渡り、とにかく道なりに住宅地の中を進んでいきます。堺市立金岡小学校の前には、この辺りの竹内街道を中心とする街並みが描かれている壁画が。この地図を見ると、さっきの公園のあたりには遺跡があったことがわかります。

【おすすめスポット②金岡神社】

(滞在時間目安:15分)
さらに5分ほど歩くと、神社の鳥居が見えてきます。こちらは金岡(かなおか)神社さん。それほど広い境内でもなく、街道沿いにあるのでぜひお参りください♪
境内には大きな楠があり、暖かい日は木陰が心地よいです。
堺市北区金岡町という地にあるので、地名がついた神社かなと思いきや、巨勢金岡(こせのかなおか)という平安時代の絵師をお祀りする神社なのですよ。

(本殿横にもすごい枝ぶりの大きな木…!)

社伝によると、創建は仁和年間(885〜889年)、竹内街道沿いに住吉大神をお祀りしたのが始まりと伝えられています。後に素戔嗚命(すさのおのみこと)と大山咋命(おおやまくいのみこと)を配祀し、一条天皇の御代(980〜1011年)に巨勢金岡が合祀され、金岡神社と称するようになったといいます。
巨勢金岡は平安時代前期の貴族であり、宮廷画家として活躍したお方。唐風(中国風)の絵画が主流であった時代に、日本独自の絵(やまと絵)の基礎を築いたとされ、日本画の祖といわれる人物です。

姫松なつき
姫松なつき
この辺りには昔、河内絵師と呼ばれる絵が上手くて技術を持った人らが住んでたらしいんやけど、金岡さんはその中でもトップに立ってたんやって。
金岡神社さんがあるあたりは金岡さんの隠棲の地で、近くには金岡さんが絵筆を洗ったという池(金岡淵)もあったのだとか。(今は石碑が残るのみ))

芸事の神さまがお祀りされている神社は数あれど、絵師が神としてお祀りされている神社は全国的にも稀です。絵が上手くなりたい人はぜひ、よくよくお参りくださいませ!(姫松、めっちゃお祈りしてきました。その割には…とか言わないで〜(笑))

【金岡神社】
住所:堺市北区金岡町2866
地図を見る
電話:072-258-2127
アクセス:大阪メトロ新金岡駅より徒歩15分 南海高野線白鷺駅より徒歩15分

金岡神社さんの前の交差点にも竹内街道を紹介する案内板があり、角には石碑と小さな祠もあります。街道は金岡神社さんの境内南側の道を進んでいくのですが、交差点渡る前にぜひおすすめしたいパン屋さんがあります!

《おすすめグルメ①虹のパン》

案内板の右側にあります、「虹のパン」さん!
今回私は、こちらで購入したパンを街道歩きのお供にしました♡
こぢんまりとしたお店ですが、パンの種類がめちゃくちゃ多くて、そして全部美味しそうで悩むこと必至…!
(右下の写真は、美味しすぎたので後日また伺って家に持って帰ってきた分♡クリームパン・メロンパン・ミニ栗食パン・シナモンロール)

地元の人が朝からたくさん訪れて、昼過ぎにはスカスカになってしまうくらい人気のパン屋さん!外側カリカリ中ふんわりなメロンパンと、小ぶりだけどキュッと香ばしい生地にたっぷりクリームの詰まったクリームパンがすごく美味しかったのでおすすめです♡

姫松なつき
姫松なつき
朝から歩いたら小腹も空くやん?パンやったらちょこっとつまみながら歩いたりもできるからおすすめやで!
食パンも美味しかったから、街道歩き関係なく行ってみてほしい〜!

 

店名:虹のパン
住所:堺市北区金岡町2214-1
地図を見る
電話:072-242-8475
営業時間:平日 8:00〜19:00 土・祝 8:00〜18:00
定休日:日・木曜
アクセス: ・大阪メトロ新金岡駅より徒歩15分
・南海高野線白鷺駅より徒歩15分

(左上・右上)パンを買ったら街道歩き再開です♪神社の横の道を通り、道なりにまっすぐまっすぐ、閑静な住宅街を進んで行きます。
(左下・右下)再び中央環状線に出ると、正面に見えるのは大泉緑地!奥に見える信号を公園側へ渡って、公園沿いの道へと入っていきます。
ここからしばらく、正直…あまり楽しくない道のりが続きます。
というのも、ここまでは古の道の雰囲気はさほどなくとも、石碑を見つけながら知らない住宅街を進んで行くのが割と楽しいのですが、2時間近く経過して若干の疲れも感じてきたあたりで、地味な道に突入するからです。
地図を見ても分かる通り、中環沿いなので工場が多く、街道はその裏道になるので景観が楽しくない上に車通りが多い(汗)

姫松なつき
姫松なつき
大泉緑地〜ゴルフ場〜工場〜池…と、景色の変化が少なくて、なんだか進んでる実感がない〜。
でも、所々に石碑はあるし、道路や電柱に竹内街道の印があるから見つけて歩いて!!

(左上・右上)頑張って進んでいくと、橋が現れます。橋の下を流れるのは、一級河川の西除川!!ここを越えると、松原市に突入しまーす!!
(左下)松原市に入ってまもなくある岡公園という小さな公園に、竹内街道の案内板を発見。松原市に入ったので堺とは違う情報が載っていて、この辺りは昔「茶屋筋」と呼ばれ、伊勢参りの宿屋や料理旅館が建ち並んでいたとあります。
(右下)さらにちょっと進んだ先にあるコミュニティーセンターの前にも案内板あり。この交差点を左折して25分ほど北に歩けば近鉄河内松原駅があるので、お疲れの方はここで一旦終了しても◎
街道はまだまだまっすぐ東に続いていますが、元気に余裕がある人はちょっと寄り道をどうぞ★

【おすすめスポット③来迎寺】

(滞在時間目安:15分)

交差点を右に曲がって中央環状線に出て徒歩5分ほどのところにある、来迎寺(らいごうじ)さん。
融通念仏宗の寺院で、中本山格六別寺の一寺です。1131年、融通念仏宗の開祖である良忍上人が念仏の教えを広めるため、丹南の地に阿弥陀如来を安置する堂を建てたのが始まりです。時の上皇や天皇が良忍さんに帰依していたことから融通念仏の教えは各地に広まりましたが、良忍さん亡き後は衰退し、お寺も荒廃してしまいました。
鎌倉時代末期、融通念仏宗を復興した法明上人により丹南の阿弥陀寺も中興され、来迎寺と寺号を改められました。大坂夏の陣により丹南一帯が焼け野原になった際、来迎寺さんも焼失してしまいましたが、新たに丹南藩1万石の大名となった高木氏の庇護のもと、源通上人により復興されました。
こちらの本堂は1653年に上棟され、その後1732年に再建され現在に至ります。境内墓地には初代高木正次や11代高木正明の五輪等が祀られています。
(山門前にある高木氏の陣屋址の顕彰碑。)

姫松なつき
姫松なつき
境内には樹齢600年といわれるイブキがあるねんて!
600年やから、法明さんが中興したころからあるってこと!
イブキってだいたい小さい木なのが多いんやけど、高さ15メートルもある巨大イブキは松原市を代表する名木として大阪府指定天然記念物になってるよ!一般公開はされてないけど、中央環状線沿いから覗き見ることができるよ〜

 

【来迎寺】
住所:松原市丹南3-1-22
地図を見る
電話:072-332-8971
アクセス:近鉄バス「岡」または「丹南」より徒歩6分

(左上)コミュニティーセンターの角まで戻って来て再び出発。1分も歩かぬうちにまた案内板と石碑あり。ここは昔、竹内街道と、京都・大坂から高野山へ向かう道・中高野街道の分岐する所だったとあります。この道標は寛政9年(1797年)に建てられたもので、長い間地中に埋もれていたのを近年復元されたもので、「右/さやま/(三日市)/かうや」「左/ふちゐ寺/上太子/やまと/道」とあり、右に行けば“かうや”、つまり高野山へ、左には葛井寺と上太子(叡福寺)、そして大和へ続く竹内街道であることが刻まれています。

(右上)2つ目の緑の一里塚です!ごく普通の市営住宅の下の公園の植木に見せかけた一里塚。このあたりは立部遺跡と呼ばれる遺跡があり、この市営住宅が建て替えられる際には平安後期〜鎌倉時代の鋳物師の工房に関わるものが多数検出されたそうで、大規模な河内鋳物師の工房が存在したと考えられています。また旧石器時代の遺物も発見されており、古来より人々が生活していた地であることがわかります。

(左下)ところで…歩き始めておよそ3時間、空腹が限界になってきたので、一里塚でひとやすみ。虹のパンさんで買ったパンを♡さっくりパイ生地としっとりした生地、クリーム、ナッツがいく層にもなっていて美味しい…!空腹に染み渡る〜〜!

姫松なつき
姫松なつき
一里塚…とはいえ、普通の住宅のベンチもない公園でパン食べるのはちょっと恥ずかしかったから、お行儀悪いけどもぐもぐしながら歩き進めたよ…(笑)

(右下)一里塚を越えるとすぐに阪和自動車道が現れます。高架下をくぐった先にも案内板。松原市はここで終了、まもなく羽曳野市に突入します!

(左上)新ヶ池という池の横のガードレールに竹内街道を示す看板を発見。羽曳野市のキャラクター「つぶたん」がいる!
(右上)またまた一里塚。さっきの場所から一里どころか1キロも離れてないけれど(汗)
(左下)落ヶ池にて、竹内街道を歩いている団体さんと出会いました!仲間に出会えると嬉しい◎

《おすすめグルメ②羽曳野ご当地カフェ・ビッキーノ》

落ヶ池の手前の交差点を左へ曲がって府道31号線に出たところに、おすすめのお店があります。私は「虹のパン」さんのパンをこの先にある公園でお昼ごはんにしたんですが、暑すぎる日とか寒すぎる日はどこかお店でゆっくり食べたいですよね…。それなら、「羽曳野ご当地カフェ・ビッキーノ」さんでランチタイムにするのがおすすめ!!
入り口にハンバーガーの置物があるとおり、ハンバーガーがいただけるお店。
木の温もりのある、アメリカンな雰囲気の店内♪ハンバーガーが人気ですが、カレーやガーリックシュリンプ、ホットサンドや自家製パンにチーズケーキなどもあり◎
こちら、“羽曳野ご当地カフェ”と名がつく通り、お料理には羽曳野産のものをふんだんに使用されています!
羽曳野といえばブドウとイチジク★ハンバーガーのバンズには羽曳野産ワインが練り込まれ、ドレッシングソースには羽曳野産イチジクが使用されています♡
さらに、羽曳野って実はさいぼし(馬肉の干し肉)が有名で、ビーフパテの上に刻んださいぼしが!おまけに碓井豌豆(うすいえんどう)のフライドチップもパラリ。

姫松なつき
姫松なつき
まさかさいぼしが羽曳野のソウルフードとは知らんかった!
それにうすいえんどうなんて超身近すぎて、まさか大阪発のモンとは知らんかったんやけど、明治時代から羽曳野市の碓井地区で栽培されてるのが名前の由来らしい〜。…え、関東の人は豆ごはんって食べへんの…?

自家製バンズはふっくら香ばしく、パンだけそのまま食べても美味しいくらい!
野菜たっぷりでフルーティーなソースも加わり見た目よりあっさりしたお味。だけどさいぼしがいい味出していて、噛むほどに旨みが口に広がる…!大きいけれどペロリといけちゃいます◎
ハンバーガーに合うようにブレンドされたコーヒーもすっきりしていて飲みやすい♪
朝から歩いてきたらちょうどお昼ごはん時に辿り着けると思うので、おすすめです!!

店名:ご当地カフェ・ビッキーノ
住所:羽曳野市伊賀38-7
地図を見る
電話:072-947-9734
営業時間:11:00〜17:00
定休日:水・祝日
アクセス: ・近鉄南大阪線高鷲駅より徒歩22分
・近鉄バス「埴生」より徒歩11分

【おすすめスポット④野中寺】

(滞在時間目安:25~40分)
街道に戻りまして。道なりに東へ進み、角に高灯篭がある交差点まで来たところで、おすすめスポット!交差点を左折した先すぐのところに、聖徳太子ゆかりのお寺・野中寺(やちゅうじ)さんがあるのでぜひどうぞ!
聖徳太子の御廟がある太子町の叡福寺さんを「上の太子」、八尾にある大聖勝軍寺さんを「下の太子」と呼ぶのに対し、野中寺さんは「中の太子」と呼ばれており、聖徳太子建立48寺院の一つとされ、蘇我馬子の助力を得て、聖徳太子が開基したと伝わっています。
創建時の建物はすべて、南北朝時代に起こった合戦などの兵火により焼失してしまっていて、中世までの沿革は明らかではありません。一時は廃寺に近い状況だったと考えられていますが、江戸時代の1661年に再興され、明治時代初期に高野山金剛峯寺の末寺となり、現在に至ります。
昔の堂宇は全て焼失してしまいましたが、飛鳥時代から奈良時代前半にかけて大規模な伽藍があったことは明らかになっています。上の写真は境内東側に残るかつての金堂の礎石。
また、境内西側には塔の礎石も残っています。この塔が何重のものだったかは明らかではありませんが、基壇の規模は東西13.6m、南北12.9m、さらに、塔の心礎と思しき中央の穴の空いた石の大きさから、相当な大きさの塔が建っていたと考えられます。(穴は心柱を立てるためのもの。直径71cmもある)
また、塔跡の発掘調査ではたくさんの瓦が出土しており、「康戌年正月」という文字が刻まれた瓦が発見されています。これは西暦650年に相当すると考えられ、この時代に塔が建立されたものと想定されます。

姫松なつき
姫松なつき
飛鳥時代の作とされる金銅弥勒菩薩半跏像や、平安時代の木造地蔵菩薩立像という重要文化財が、毎月18日だけご開帳されるよ!
もし18日に街道歩きしたならば絶対寄るしかない…!
現在の山門は、もともと中門があったとされる場所で、元は街道沿いに南門があったらしいから、今よりもっと広いお寺やったんやろね。どんな景色が広がってたんやろねぇ…

境内には石棺もあります!野中寺さんから南西に1km離れた場所にあるヒチンジョ池西古墳という古墳から発見されたもので、二上山から採取された凝灰岩を加工して作られています。

姫松なつき
姫松なつき
1300年くらい前のもので、10個の石材を組み合わせて作られてるねん…すごいよね、コーフンしちゃうね…!
【野中寺】
住所:羽曳野市野々上5-9-24
地図を見る
電話:072-953-2248
拝観時間:毎月18日 9:30〜16:00
拝観料:300円(境内は自由)
アクセス:近鉄バス「野々上」下車すぐ

高灯篭まで戻り、東へ進んだら、1つ目の交差点を右に曲がります。お地蔵さんがある方へ行けば、竹内街道の看板があるので間違わないはず。

【おすすめスポット⑤峯ヶ塚古墳/峰塚公園】

(滞在時間目安:15~60分)
そのまま大通りまで抜ければ、峰塚公園に到着です!
公園の真ん中には峯ヶ塚古墳があります!墳丘の長さ96メートルというなかなか大きな前方後円墳で、世界遺産を構成する古墳の1つです◎被葬者はわかっていませんが、この規模なので大王級の権力を持つ人物だったと推測されています。
木があまり生い茂っていないのと、ちょうど視界に収まるよいサイズなので、横から見ても前方後円墳感が感じられる古墳です♡
古墳がよく見えるというのもおすすめポイントなのですが、二上山がよく見えるというのもおすすめポイントなんです!ラクダの背中のような二つのコブが並んだ山こそ、これから越えようとしている二上山!
公園西側は小高い丘になっていて、ここでひと休憩。パンを頬張りつつ、二上山を眺める…気候が良ければおすすめです♪野鳥も多く飛んでくるようで、鳥の囀りを聞きながら小一時間ほどまったり過ごしてしまいました。

【峯ヶ塚古墳/峰塚公園】
住所:羽曳野市軽里2
地図を見る
電話:072-958-1111
アクセス:近鉄南大阪線古市駅より徒歩17分

公園を出発したら、白鳥通り沿いに東へ進み、国道170号線(大阪外環状線)を超えたら細い住宅街の道の方へ。ここでも、地面に街道を示す案内があるので間違わないはず◎

【おすすめスポット⑥白鳥陵古墳】

道なりまっすぐ進んでいくと、現れるのが白鳥陵古墳!!あの、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の古墳ですよ!
墳丘の長さは200メートルあり、古墳の北側を竹内街道が走っています。地面の舗装も綺麗に整えられていて、長い竹内街道歩きの中でもとても気持ちいい道です♪

姫松なつき
姫松なつき
墳丘と堀の美しさは百舌鳥・古市古墳群の中でもピカイチだと思ってる姫松の推し墳!ここは歩調を緩めてのんびり歩いて〜♪

白鳥陵の名の由来は、遠征から大和への帰り道に亡くなってしまった日本武尊が、白鳥の姿になって古市の地に飛来したことから。また、羽を曳くように飛び去ったことが、“羽曳野”の地名の由来にもなっています。

【白鳥陵古墳】
住所:羽曳野市軽里3
地図を見る
アクセス:近鉄南大阪線古市駅より徒歩13分

白鳥陵を過ぎ、まっすぐ進んでしばらくすると国道170号線に出ます。この道を少し北に出て、白鳥交差点を東へ行けば、近鉄古市駅に到着です。お疲れの方はここで帰っても良いですが、後半の峠越えのために、1日目はもう少し進むことをおすすめします。

姫松なつき
姫松なつき
駅前には大型スーパーやビジターセンターもあり。ここから先は街道沿いにコンビニがないから、古市駅周辺でおトイレ行っておくといいよ〜

(左上)線路を越えてひたすら東に。少し歩いたところで、なんだか久しぶりに石碑を発見。ここは東高野街道との分岐点です。そうそう、そんなに道幅広くないんですが、さっきの白鳥交差点から先しばらくの竹内街道は、国道166号線になります。現代の国道と古の国道が重なっているポイント!
(右上・左下)古い石碑を通り過ぎた先、曲がり角に竹内街道を示す石碑あり。東高野街道と分岐するこの辺りは、今は閑静な住宅街ですが、昔は大層人通りも多く賑やかだったことを説明する絵が描かれています。
(右下)石碑を右手に左を向くと家々の間の細い小道…この先おすすめスポットあり!

【おすすめスポット⑦西琳寺】

(滞在時間目安:15分)
こちらは西琳寺(さいりんじ)さん。現在は高野山真言宗のお寺ですが、ここもまたかなり古いお寺なのですよ。
創建は6世紀後半から7世紀前半、つまり仏教が伝来して間もない頃に、渡来人の王仁(わに)博士の後裔である西文氏(かわちのあやうじ)により建立されたと伝えられています。

姫松なつき
姫松なつき
王仁博士っていうのは、応神天皇(仁徳さんの父)の頃に日本にやってきて、日本に文字という文化をもたらした偉大なお方。“文氏”っていうのは朝廷において文章を司ったことを意味するよ。

渡来系豪族の後ろ盾となっていた蘇我氏が没落すると西文氏も衰退し、やがて西琳寺さんも寂れてしまいました。荒廃していたところを鎌倉時代に真言律宗の僧・叡尊(えいそん)が南河内の布教の拠点のために再興しましたが、野中寺さん同様戦乱の世に巻き込まれ堂宇等は焼失。
さらには明治時代の廃仏毀釈でほとんど全てが失われてしまいました。
綺麗に整えられたこぢんまりとした境内ですが、かつては東高野街道と竹内街道に面していたとのことなので、かなり広い寺領があったことがわかります。また、ほとんど全てが焼失してしまった中にも、発掘調査によりいくつかの遺構が見つかっています。
境内にある、幅3m高さ2mのこの巨大な石は、塔の柱を支える心礎。野中寺さんの礎石がほとんどが土に埋まった状態なのに対し、こちらは土の中から掘り起こされた全貌が見えております。かなり高さがあるので上面は見えませんが柱を支える穴が空いていて、野中寺さんの心礎と同じくらいの大きさであることから、ここにもかなり大きな塔が建っていたことが推測されます。

姫松なつき
姫松なつき
見えてるのは本来土に埋もれてる礎石の側面。
なんか顔みたいに見える丸い穴は、石を運ぶときに棒で押すための穴なんやけど…よくまぁこんなん運んできたよね…

こちらの五輪塔は鎌倉時代に作られたもの。再興した叡尊さんは、ここからすぐ南にある高屋丘に奥の院を建立し、この五輪塔を建てられたのですが、室町時代に畠山義就が高屋丘に高屋城を築城した際に土塁の中に消えてしまいました。昭和になり、住宅地造成の折に発見されて西琳寺さんの境内へと移されました。

姫松なつき
姫松なつき
他にも、金堂に使われていたとされる超巨大な鴟尾(屋根につける飾り瓦)が出土したり、野中寺さんから出土した瓦に使われてた印と同じものが使われている瓦が出土したりしてるんやって!
太古の竹内街道は、巨大寺院ロードやったんやろなぁ…
【西琳寺】
住所:羽曳野市古市2-3-2
地図を見る
電話:072-956-0603
アクセス:近鉄南大阪線古市駅より徒歩8分

(左上)街道に戻り道なりに進むと石川が現れます。いよいよ山が近くなってきました。
(右上・左下)橋を渡って少し川沿いに南下して、交差点を国道の方へ入っていきます。信号のところに、1859年に建てられた古い道標がありますね。右のものは、羽曳野にあるお寺で、日本で最初に大黒天が現れたとされる大黒寺への道筋を案内するもの。左のものは、1775年に再建された当時南河内唯一の法華宗のお寺、法華寺への道を案内するものです。
(右下)国道沿いに歩いていると、緑の一里塚を発見。ここはもう駒ヶ谷。そう、羽曳野のブドウの産地!!一里塚から程なく、駒ヶ谷駅に到着します。

姫松なつき
姫松なつき
夏に街道歩き…は酷かもしれへんけど、もし夏だったらブドウ買って行ってみ!!
「金銅さん」と「西馬さん」は、街道沿いにあるよ!詳しくは「羽曳野ぶどう」の記事を見てね!!

《おすすめグルメ③ヒトミクレープ》

駒ヶ谷駅に到着してもまだ帰らないで、もう一駅頑張って歩いて!
でももう疲れたよ…という方は、ぜひ「ヒトミクレープ」さんでエネルギーチャージを!
駅前すぐのところにある、小さなクレープ屋さんです♪定番のバナナチョコやストロベリー、アイスがのったものやおかず系もいろいろ!夏の時期には駒ヶ谷産のブドウをふんだんに使用した贅沢クレープも♡
そんな中で私がいただいたのはこちら、「はびきのブリュレ」!ブリュレクリーム、カスタードクリーム、ホイップクリームとクリームがぎっしり…!甘さで超回復―!(笑)表面のパリパリしたところがほろ苦くて美味しい♪それになんといっても、古墳ちゃんクッキーがうれしい♡
金・土・日・祝日のみですが、ちょうどおやつ時にたどり着くので、ここでひと休憩してください♪

店名:ヒトミクレープ駒ヶ谷店
住所:羽曳野市駒ヶ谷161-9
地図を見る
電話:070-2839-9192
営業時間:12:00〜18:00
定休日:月〜木曜(金〜日曜、祝日のみ営業)
アクセス:近鉄南大阪線駒ヶ谷駅すぐ

(左上・右上)糖分摂取で元気になったら街道に戻りましょう!駒ヶ谷駅前の橋を越えたら、川沿いではなく住宅地の中に入っていくのが街道です。車がすれ違うのは難しいんじゃないかというくらい細い生活道路みたいですが、国道なんですよ…!
(左下・右下)駒ヶ谷に入ってからは、少し趣が感じられます。灯篭もいい感じ。飛鳥川に架かる月読橋を渡ります。のどかな風景〜。

(左上)ブドウ畑が続いています。もう少ししたら、デラウェアの季節ですね♡
(右上)右手に現れたのは「役行者錫杖水(えんのぎょうじゃしゃくじょうすい)と刻まれた石碑とお地蔵さん。かつてここには、役行者が錫杖で掘り当てた水が沸いていたそうです。江戸時代後期の作と推定されるお地蔵さんと石碑。昔の人はここで旅の安全を祈り、喉を潤したのかもしれません。
(左下)道なりに歩いていると再び住宅地に入ります。何度も言いますが、ここ、国道…(笑)
(右下)そしてついに、上ノ太子駅に到着です!写真右手に駅があります。駅前の道路に、今までで一番大きな竹内街道の文字!!

姫松なつき
姫松なつき
お疲れさまでしたー!
ここから先は駅から離れていくばかりだから、たとえまだ歩けそうでもここで区切ることをおすすめするよ!
姫松は…ヒトミクレープさんで超回復したはずなんだけど、ヘロッヘロになって、天王寺までの電車内爆睡で記憶がない…(笑)そして翌日、ほんのり筋肉痛になりました〜〜ウヒィ

2日目(上ノ太子〜ゴール長尾神社)

2日目でございます!!1日目に7時間かけてやってきた上ノ太子駅まで電車でビューンとやってまいりまして、これからいよいよ峠越えを目指しますよ!

姫松なつき
姫松なつき
堺〜古市まではどこかしらにコンビニがあるからトイレの心配しなくていいけど、後半戦はちょっと気をつけた方がいいかも。まずは駅でトイレいっといれ〜

(左上)太子町に入ると、二上山もすぐそこ。万葉の森と呼ばれる二上山への道が示されています。
(右上・左下・右下)春日西の交差点で、いったん国道166号線とは離れます。石碑がある右の道へ。太子町の看板はなんだか味がありますねぇ。
(左上)太子町に入ってからずっと、緩やかな上り坂が続いています。でもまだまだ、準備運動レベル。
(右上)緑の一里塚発見!水分補給を忘れずに。
(左下)歩いていると道の正面に二上山が!峯塚公園から見た時よりうんと近づいてきましたね!
(右下)分かれ道があっても石碑があるから迷わず安心♪
(左上・右上)何やら歴史ありそうな古い石の灯篭に、古い道標。

姫松なつき
姫松なつき
この道標を越えてしばらくすると少し太い道との交差点に出るよ。街道はまっすぐ進んだらええんやけど、もし体力バリバリあるぜって方は右折して1キロ弱歩いたところに、聖徳太子の御廟がある叡福寺さんがあるよ!さらに、叡福寺さんの南側一帯には飛鳥時代の天皇家のお墓が点在する「王陵の谷」と呼ばれるところになるんだけど…街道歩きの途中で全部寄り道するのはハードすぎるから、また改めて太子町に来たいな!

(左下・右下)写真じゃわかりにくいですが、ずーっと上り坂。
(左上)江戸時代中期にこの場所に安置されたというお地蔵さん。200年以上この場所から竹内街道を通る人を見守ってきたんですね。この先の峠越えの安全を祈りましょう。

姫松なつき
姫松なつき
この後わりとピンチに陥るんだけど、今こうして執筆できてるのはこのお地蔵さんのおかげかもしれない…。何があったかは続きをどうぞ(笑)

(右上)竹内街道歩きの中で一番簡素な道標?だけど、道はすごく雰囲気出てきました。
(左下)この辺りから勾配がキツくなってきますが、雰囲気のある街並みを歩くのは楽しい♪
(右下)石標発見!ここが、後半戦最初のおすすめスポットですよ!

【おすすめスポット⑧旧山本家住宅】

(滞在時間目安:15分)
こちら、国登録文化財の「大道旧山本家住宅」。江戸時代末期に建てられたとされる、古い民家です。
瓦と茅葺屋根が融合したような、独特な屋根が特徴。「大和棟」と呼ばれ、18世紀後期に庄屋などの上層農家を中心に流行したそうですが、江戸末期には庶民の農家にも普及して、大和や河内の民家の特徴的な形式となりました。
昔は竹内街道沿いにはこのようなお宅がたくさんあったそうですが、今はここのみ。竹内街道沿いの景観保存のため、平成14年に国の文化財に登録されました。
ほんの20〜30年前まで人が暮らしていたお宅で、なんだかまだ人が暮らしているような気配を感じる雰囲気があります。中には昔の生活道具などが展示されていました。
お庭から見た景色。茅葺がのっているのが本宅で、奥に離れもあるのですがそちらは大正時代に増築されたもの。お家の南側には小川が流れ、川のせせらぎとウグイスの鳴く声がしてここが大阪であることを忘れてしまいそう。
開館は土・日・祝日のみですが、建物の外観は街道から見えるのでチェックしてみてくださいね!

【大道旧山本家住宅】
住所:南河内郡太子町山田1797
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電話:0721-98-5534(太子町教育委員会事務局生涯学習課)
開館日:土・日・祝日 ※都合により臨時休館することもあり
開館時間:10:00〜16:00(入館は15:30まで)
入館料:100円(満18歳以上)
アクセス:近鉄南大阪線上ノ太子駅または近鉄長野線喜志駅下車、バス「太子町役場」」より徒歩15分

旧山本家住宅の隣には竹内街道交流館があります。
ちょっとした休憩スペースになっています◎ここまででだいぶ坂を登ってきたと思うので、小休憩にどうぞ!太子町のキャラクター、「たいしくん」グッズなどの販売もあります♪
では改めて街道へ戻り、ふと歩いてきた道を振り向いてみたら…高!!
写真じゃ遠くがよくわからないかもしれないですが、この時点でかなり標高高いところまで来ていることに気づきました!遠くに大阪平野が見えます。多分ハルカス…と思しき高いビルも見えます。でも、まだまだ上りは続きますよ!

【おすすめスポット⑨竹内街道資料館】

(滞在時間目安:30~60分)
竹内街道交流館から3分ほど登った先にある、「竹内街道歴史資料館」。こちらもぜひお立ち寄りください!!
(※特別に館内撮影許可いただいています)
第1展示室では、古代から中世、近世に至るまでの時代ごとの資料が数々展示されており、竹内街道の歴史についてよく知ることができます。

姫松なつき
姫松なつき
写真中央のボックスは、模型や特殊な映像を使用したマジックビジョン。
約15分で、子どもでも楽しめる内容でわかりやすく竹内街道の歴史について学べるよ〜!なんか怪しげなおじいさんが出てくるから…まぁ観てみ!

第2展示室では、これまでに見てきたものからこの先にある竹内街道の道標をずらりと展示されていて圧巻!さらに太子町の歴史資料の展示もあります!
全館合わせてじっくり見たら1時間くらい、さらりと見るなら30分くらいでしょうか。お手洗いもあるので、休憩がてらにぜひどうぞ!

【太子町立 竹内街道歴史資料館】
住所:南河内郡太子町大字山田1855
地図を見る
電話:0721-98-3266
開館時間:9:30〜17:00(入館は16:00まで)
休館日:月曜(祝日の場合は開館)、年末年始(12/28〜1/4)
入館料:一般料 200円 高校・大学生 100円 小・中学生 50円
アクセス:近鉄南大阪線上ノ太子駅または近鉄長野線喜志駅下車、バス「太子町役場」」より徒歩15分

資料館からさらに上へ。坂道はしんどいですが、古めかしい祠を見つけては古の街道感を感じてワクワクします。そして5分ほど上ったところで、またおすすめスポット★

【おすすめスポット⑩道の駅 近つ飛鳥・太子】

(滞在時間目安:15~60分)
みんな大好き道の駅!!これから迎える峠越えに向けて、ぜひ立ち寄ってエネルギーチャージを!
太子町産の野菜や果物、河内産のブドウを使用したワイン…は、さすがにまだ街道歩きをするなら買いたくても買えませんが(汗)お弁当やパンに和菓子なども売っています♪(※午前中であればお弁当にありつけると思いますが、売り切れの可能性もあるので、街道歩き後半戦はおにぎりなど持ってくることをおすすめします。)
この道の駅で一番おすすめしたいのは、特産品を使用した「太子リッチジェラート」!!
シャインマスカットや巨峰やピオーネ、みかんや柿などいろいろあって悩んじゃいますが、私はデラウェアにしてみました!フタを開けてびっくり、茶色…。なんとなく、いわゆるブドウ色をイメージしていたので見た目で「えっ」となったのですが、食べてまたびっくり、めちゃくちゃデラウェア…!
もう、そのものを凍らせたような味なんです!
皮ごと使用されているから茶色い見た目になってますが、それはつまり余計なものを使用していない証拠!
デラウェアで作られた自然な色なのです◎さっぱりしていて、これまでの疲労がスーッと取れていくよう♪
太子町の和菓子屋「好月堂」さんの「たいしくんどら焼き」と「二上山饅頭 ふたかみ物語」はお土産に買いました♡

姫松なつき
姫松なつき
休日はキッチンカーが来ていることもあり!お弁当は午前中ならありつけると思うけど、売り切れちゃう可能性もあり〜
【道の駅 近つ飛鳥・太子】
住所:南河内郡太子町山田2254-3
地図を見る
電話:0721-98-0760
営業時間:9:30〜17:00
アクセス:近鉄南大阪線上ノ太子駅または近鉄長野線喜志駅下車、バス「太子町役場」」より徒歩20分

道の駅を過ぎたら再び国道166号線を歩いていきますよ!なだらかそうに見えますが、それなりに上り坂です。足にきます。
道の駅から20分ほど歩いたところで、飲食店を発見しました。二上山はハイキングや登山道もあり、ここがちょうどハイキングの入り口にあたるみたいで、広い駐車場とお手洗いもありました。(※登山道の入り口はここ以外にもいくつかあります)

姫松なつき
姫松なつき
私はここの存在を知らなかったからコンビニのおにぎりを持参したけど、ここでお昼ごはん食べられたらいいかもね♪

二上山には、石切場跡や千年杉、奈良時代に造られた石窟寺院などの史跡があり、また展望台や雌岳山頂には広場もあります。標準のハイキングコースは山頂広場まで約40分、子ども連れの家族で訪れる人も多いそう◎
この時点で11:30分。まっすぐ峠越えをしていたとしたら、13時には街道歩き終了していたと思います。思いのほか時間に余裕があることに気づいた私は、「片道40分なら行けそうだ。頂上でおにぎり食べたら最高じゃないか!」とひらめき、山へ寄り道することにしました。

が、、、

私はここで大変な勘違いをしてしまい、死にそうな思いをしました。皆さんけっして間違わぬよう、注意してください……

案内板の右手に登山口があるのですが、正面の舗装された道が標準のハイキングコース、右に行けば166号線に出ます。
なのに私は、意気揚々と左手の階段を登っていってしまいました。

姫松なつき
姫松なつき
そんなん言われなくても案内板見たらわかるやん、って思うよね…
この時姫松のアタマどうかしてたんや…
なんでか右手は行き止まりに見えて、正面が国道に出る道で、左の階段がハイキングコースやと思ってしもうたんや…
だってちゃんと階段になってたんだもの…

なんだか山歩き感のある階段にワクワク♪始めはスタスタ登っていきました。これ子ども登れるかい?という高さの段もありましたが、ハイキングコースと思い込んでいるのであまり気にせず進んでいくと、5分ほどで鹿谷寺(ろくたんじ)跡に出ました。
ここは奈良時代に造られた石窟寺院で、十三重の石塔と岩窟に彫りこまれた三尊仏坐像が遺っています。

姫松なつき
姫松なつき
中国大陸には石窟寺院ってよく見られるけど、日本で奈良時代にまでさかのぼる本格的な石窟寺院って二上山山麓以外知られてないんやって!って、ここに来れたのはよかったけれど、鹿谷寺跡に来る=ハイキングコースじゃないってことに、気づかなかった大バカ姫松…案内板の横に階段があったから、さらに登っていってしまった

途中で階段もなくなり、おかしいなぁと思い始めつつも、他の登山者さんもちらほら行き来するし踏みならされた道ができていたから登っていきますと、

あれれ〜おかしいぞぉ〜〜〜〜〜

目の前に広がる岩肌。そういえば案内板に書いてあったことを思い出す。
「険しい岩場が続くルート すべらないように!」
…Oh、ここにきてようやく私は道を間違えたことに気づきました(遅)
しかし、下る方が滑ってしまいそうな気がして危ないかなと思って、突き進んでしまいました(バカ)

人は行き来するのに、なぜかすぐに姿が見えなくなる。
登ってしまった岩を下る方が怖すぎるので、とりあえず登っていくしかない。
踏みならされた道があるようなないような、どれが道なのかわからない。

迷子/(^o^)\

ふと視線を上げると、ずいぶん高いところまで来たもんだ(頭真っ白)

しばらく登り続けたところで登山者さんを見かけたので道を訪ねたら、「もうちょっと登ったら舗装された道に出ますよ」と教えていただき、無事に展望台に辿り着きました。(大冒険したような気分でしたが、展望台に着いた時点で12:00。登山口から30分ほどしか経っていませんでした)

姫松なつき
姫松なつき
山頂は展望台のさらに上なんやけど、もう精神的にも肉体的にも疲れ過ぎて諦めた。
途中岩屋や石切場跡にも寄れたはずだけどそれも諦めて、街道に戻る道を教えてもらってひたすら下ってきたら、お地蔵さんのところに出てきたよ…。展望台で食べたおにぎりは美味しかった(遠い目)

無計画な山登りは大変危険ですのでおやめください。
ハイキングコースを登ることはおすすめしますが、道がよくわからない場合は必ず誰かにお尋ねください。

12:35に国道へ戻り、20分ほど登ると峠はすぐそこ。ここまでは歩道がないのですが、緑の一里塚があるところで側道へ。

ついに竹内峠にやってきました!!これより東、奈良県です!遠くに奈良のまちが見えます…!
(左上)石碑を越えてまっすぐ進むと憩いの場のようなちょっとした広場にたどり着きます。
(右上)その先には階段があるので降りていきます。ここでまた、国道から離れます。
(左下)舗装はされているけれど人の気配がまったくなくて、さっきの登山道よりちょっと怖い感じが…。まだ真っ昼間だったので良いですが、ここを日暮に通るのはちょっと危険かもしれません。
(右下)そして突然の分かれ道。なのにここには街道を示す石碑がない…!竹内街道は左です!!間違わないように!

(左上)轍があるのでまったく誰も通らないということはないと思うのですが、だーれも通りません…。
(右上)そしてまたしても案内のない分かれ道。ここも左に進んでください。
(左下)なんだか不安になりますが、峠から25分ほど歩いて池が現れたら正解。
(右下)久しぶりに案内板を見つけました…なんか、簡素(汗)

遊歩道がありました。のどかな道を進んでいくと、住宅地の中に抜けます。
(左上・右上)道なりに進んでいくと、「綿弓塚」があります。かつて松尾芭蕉が竹内街道に訪れた際、滞在中親しくなった村の庄屋に、「綿弓や 琵琶になぐさむ 竹の奥」という句を贈ったそうで、これを記念して1809年に高田(大和高田市)の俳人が「綿弓塚碑」を建てました。句碑が建つ庭と近くの民家は休憩所として整備され、芭蕉の資料や江戸時代の竹内街道の街並みを再現した地図が掲示されています。

姫松なつき
姫松なつき
綿弓っていうのは、綿花から不純物を取り除くときに使う弓型の道具。
綿花に向かってベーンベーンって弦を弾いてその振動で不純物を取り除くんやけど、その音は琵琶の音色みたいなんやって。竹林の奥の家でその音を聞きながら、芭蕉は旅の心を慰めてたよっていう句なんやって〜

(左下)綿弓塚から程なくして、久しぶりに車が行き交う道に出ました!
(右下)そして久しぶりに緑の一里塚も発見。

ゴール目前、石碑を発見。「左 いせ」「右 こうや」…でしょうか。
ついに、ついに…!

【おすすめスポット⑪長尾神社】

(滞在時間目安:15分)
最後のおすすめスポットであり、この旅のゴール、長尾神社さんに到着です!!!!!
来た道を振り返ってみると、遠くに二上山が見えました…!ついさっき遭難しかけた山が、あんなに後ろに…
ご祭神は伊勢神宮の内宮外宮の神である天照大神(あまてらすおおかみ)と豊受大神(とようけのおおかみ)、それと『日本書紀』に登場する水の神・水光姫命(みひかひめのみこと)と、その父神であり水と雲の神とされる白雲別命(しらくもわけのみこと)の4柱。
長尾神社さんの創建年代は不明ですが、平安時代の書物にその名が記されています。また、神宮寺であった放光寺の『放光寺古今縁起』には、飛鳥時代に天武天皇が壬申の乱で勝利した後、感謝の気持ちから葛下郡一群を当社に献じた、という記載があります。

竹内街道、横大路、高野街道、長尾街道(堺から二上山の北麓・田尻峠を越えて長尾神社に至る街道)が交差する所にあたり、古来より交通安全や旅行安全の神さまとしても信仰されてきました。

姫松なつき
姫松なつき
ここから堺へ向かって街道歩きをするなら、ぜひ旅の始めにお参りしてね!
ところで、むかーしむかし大和に大きな蛇が住んでいて、三輪山から長尾一帯までその体があったんだとか。
長尾神社さんの東の方に三輪山があって、その麓にある大神神社の三輪明神が蛇の頭で、長尾神社さんが尾っぽっていう伝承があるんやって!“ナガモノ(蛇)の尾=長尾”が名前の由来とか…
【長尾神社】
住所:奈良県葛城市長尾471
地図を見る
電話:0745-48-3018
アクセス:近鉄南大阪線磐城駅から南に徒歩3分、尺土駅から西に徒歩13分
尺土駅は急行・特急も停車するよ★姫松は磐城駅へと向かったから気づかなかったけど、上の写真の鳥居は二の鳥居で、東の方に一の鳥居があるのよ。もう少し歩けるなら、参道通って一の鳥居も見てから尺土駅からお帰りどうぞ〜)

3.感想&まとめ

<大変長い私の街道歩記(あるき)にお付き合いくださりありがとうございました(笑)文章と写真は膨大になってしまいましたが、歩いた感想としては「思っていたよりラクだった」です。

日暮までに峠越えできるだろうか…とかなりビビっておりましたが、寄り道しながらでも日の高いうちに帰れることがわかったので、ビギナーにも安心です!(峠付近でもスマホの電波も立ってました★)
徒歩で大阪から奈良へ行く、というだけでもわりと非日常的な行動で楽しいですし、車や電車だと見ることのできない景色が見られるのも歩き旅の醍醐味♪

日本文化遺産に登録されている最古の官道。古代のままの景観が見られるわけではありませんが、古の名残を見つけながら昔を想像するのは楽しいですよ!それに、山の稜線のように変わらない景色もあると思うのです。昔の人も、ラクダの背のような二上山を見て大和を目指し、また二上山を背にして堺へ進んでいったんじゃないかと考えれば、「1400年の時を超えて私は今聖徳太子と同じものを目にしている」とワクワクします♡

もっと細かにご紹介したい史跡は多々あるのですが、この記事を参考に皆さんが実際に歩いて発見し、そして大阪が歴史深いところだということを知ってもらえたら幸いです!

ライター紹介

姫松なつき
大阪生まれ大阪育ちの歴史好き。京都や奈良より、難波宮があった大阪こそが古都であることを世に知らしめるため、ゆるおもしろい絵と文で大阪の歴史・史跡をご紹介します♪ InstagramID:@himenatt77
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