【淡輪古墳群】海辺の町で、歴史発見!岬町淡輪のグルメもご紹介
大阪府の南端にある岬町、というと、2020年に閉園してしまいましたがみさき公園が有名ですね!
2024年にリニューアルオープンするみたいで、どんなふうになるのかとても楽しみ♡
あとはやっぱり、海水浴ができるビーチでしょうか♪
大阪っ子なら学生時代行ったことある人も多いんちゃうかな?
そんな岬町にも古墳群があることは、おそらくほとんどの人は知らないのではないでしょうか…!
2019年に世界遺産登録された百舌鳥・古市古墳群は大変有名ですが、実は古墳は全国に16万基もあって(コンビニより多い!)、わりとそこかしこにあったりします。
古墳大好き姫松が、海辺の町の古墳について見どころをご紹介いたします!!
目次
1.岬町淡輪(たんのわ)の歴史
(淡輪駅。奥に見えるのは山ではなく…)
大阪府泉南郡岬町淡輪…大阪の中でも田舎のイメージがありますが、実は5世紀ごろに造られたとされる超巨大古墳があり、小規模ながらも古墳群があることから、古代国家の中では大きな位置と役割を占めていたことが推測される、大変歴史ある町。
淡輪には土器などが出土した遺跡もあって、これは古墳時代よりもっと昔、縄文時代後期~弥生時代のものとされています。今は民家や建物が建ってしまっていてその面影は一切残っていませんが、太古の昔から人々が暮らしていたことがわかります。
中世になると荘園も存在しました。また、淡路島南端から四国諸国へ渡る際の、交通の要衝でもあったこと、和泉山脈を挟んですぐ隣にある紀州と文化的・政治的な関係も深かったことなどから、昔からこの地は多くの人々が暮らす地域だったことがうかがえます。
2. 淡輪(たんのわ)ニサンザイ古墳
岬町にある淡輪古墳群には、2つの大きな前方後円墳があります。その一つが「淡輪ニサンザイ古墳」、あるいは「宇度墓古墳」と呼ばれる古墳。なんと、淡輪駅ホームのすぐ隣にあるんですよ…!
出土した埴輪から、5世紀中ごろから後半に築造された古墳といわれています。全長約170メートルもあり、世界遺産に登録されている古墳と見ごたえは変わりません。
(後世に削られたため、もとは180メートルあったと推測されています)
「ニサンザイ」という言葉は耳馴染みがないかもしれませんが、これは「ミササギ(陵)」が訛ったもの。陵とは、天皇や皇后、皇太子や親王など、皇族を葬る墓のこと。つまり、この古墳は皇族ゆかりの古墳なのです!
(皇族の墳墓にはこのような拝所があります)
こちらに眠るのは、第11代垂仁(すいにん)天皇第2皇子、五十瓊敷入彦命(いにしきいりひこのみこと)。
同母弟である第12代景行(けいこう)天皇の息子、つまり私の甥っ子は、古代の英雄といわれるヤマトタケル。
すごい甥をもったもんです。
垂仁天皇、景行天皇の陵墓は奈良県にあるのに対し、どうして五十瓊敷入彦命だけ淡輪にぽつんとあるのか。それは、この方が南河内に派遣されていたことによります。
弟は皇位を望みましたが、私は弓矢がいいなぁと。父は望み通りの物をくれました。
『古事記』によると、五十瓊敷入彦命は河内の国へ遣わされ、高石池(たかしのいけ)や茅渟池(ちぬのいけ)、狭山池を造られたとあります(※狭山池の築造年には諸説あります)。南大阪を中心に諸国でも、多くの池溝の構築、そして田畑の開拓などの土木事業を推進された方だったそうです。
周濠には水がなみなみと張っていて、拝所周辺には蓮が群生していました。上の写真は、前方部の左角あたりから撮影したものですが、前方後円墳のくびれ感がよくわかり、造出(くびれ部分にある突出した部分。祭祀が行われる場所という説あり)があることも見え、超コーフン(興奮)しちゃいます♡なんて綺麗な前方後円墳!
淡輪ニサンザイ古墳にはもともと7つの陪冢(ばいちょう。宝物などを納めた小さい付属の古墳)があったとされますが、現存するのは6つ。周囲には住宅が立ち並んでいるため、よく確認できないものもありましたが、いくつかご紹介しますね!
淡輪駅改札を出てすぐ右手、「歓迎」の文字が書かれたアーチの奥に、宇度墓古墳1号陪冢があります!
続いて2号陪冢。写真中央、線路の真横にこんもりしたものがそうです。(その奥に見えるのは、淡輪ニサンザイ古墳)
こちらは4号陪冢。どれも大きさ、見た目は同じような感じでした。3・5・6号陪冢は、住宅と住宅の間にあるなどして、うまく観察することができませんでした。
でも、すぐ近くに線路が走っていて住宅もたくさんある中で、小さな陪冢までたくさん残ってるのって、すごいことやん!
百舌鳥・古市にも負けへん古墳群!
3. 西陵古墳
淡輪ニサンザイ古墳より800メートルほど西には、さらに大きな前方後円墳があります。府道752号線(旧国道26号線)沿いを歩いて行くと見えてきます、西陵(さいりょう)古墳。
右が前方部、左が後円部。遠くからでも前方後円墳であることがわかります!土地が開けているからこそ見られるアングル。百舌鳥・古市古墳群では市街地すぎて、なかなかこの距離感で前方後円墳を見ることはできないので、かなりコーフン(興奮)しますよ!!
淡輪には、淡輪ニサンザイ古墳と西陵古墳の他もう1つ、ほとんど形状を残していませんが西小山古墳(径50メートルの円墳)という3つの巨大古墳があります。いずれも5世紀中ごろにかけて築造されたもので、多数の埴輪が出土しているのですが、この3基から出土した円筒埴輪には淡輪技法という独特な技法が見られるそう。
そして、同様の技法が和歌山県にある木ノ本古墳群にも見られるとのことで、淡輪古墳群は紀伊勢力との強い関りがあったのではないかといわれています。
それゆえ、具体的な被葬者は不明ながら、紀氏の人物であると考えられており、一説では、5世紀後半の将軍・紀小弓(きのおゆみ)に比定されています。『日本書紀』によると、紀小弓は新羅討伐のために戦いましたが戦地で病気により亡くなり、そのことを惜しんだ天皇が「田身輪邑(たむわのむら)」に紀小弓の墓を造らせた、とあります。「田身輪」が「淡輪」を指すのではないか、というわけです。
さて、西陵古墳は国の史跡に指定されているのですが、なんと中に入ることができる古墳なのです…!!全長200メートル超の巨大古墳で立ち入れる古墳、なかなかありませんよ!
全国には登れる古墳・入れる古墳っていくつかあるけど、完全に登れる仕様に整えられた古墳や小規模な古墳以外で、“ザ・古墳!”って感じの古墳に潜入するの、姫松は初体験…!コーフン!
少々わかりにくいのですが、府道752号線から岬町道海岸連絡線へ曲がって進んだ途中に入り口があります。ささやかな白い立て看板があるので、それが目印です。
入り口は、おそらく前方部の左角あたりになります。私は5月に訪れましたが、かなり草が生い茂っているので、足元はしっかりと覆われた格好で行くことをおすすめします。
看板の右側を進んでいくと、
濠が見えてきます。正面にどんどん近づいてくる古墳。土器土器(ドキドキ)する…!
明るいのはここまで…。目の前の古墳は、どこか人を阻むような暗さを感じます…日常生活でこんなダンジョンみたいな景色、そうお目にかかれませんよ…。
忘れてはいけません、古墳は“お墓”なのです。一礼して、歩を進めます…。
いよいよここからが本当の古墳、墳丘に入っていきます。案外日の光も差し込むので、真っ暗ということはなく、一応道順がわかるようにロープが張られているので、それを越えなければ迷うことはありません。
門のすぐ奥に、板を渡しただけのような橋があります。濠を越えて、墳丘へ…ギシギシ軋んでかなり怖いです。
そしてなにより、私…虫だめなんですよ…そこかしこにクモの巣が張りまくってて、ガサガサ音がするたびにひとりでギャァギャァ叫んで…紀小弓さんごめんなさい(汗)
戦々恐々進んでいくと、
前方部と後円部に進む枝分かれ道が現れます。が、
看板には「マムシ注意」の赤い文字…それはまじでアカンやつ…。
そして、西陵古墳になってからやたらと光の筋が入っちゃってるのは…何…(怖)
全く手入れされていないというわけではないですが、ほとんど自然のままのような雰囲気で、道にはなっているけれど足場はよろしくないですし、虫も多く、まむしも出るかもしれないとのことなので…行かれる場合は、それ相応の格好をして、色々と覚悟を持ってお参りください。
さて、西陵古墳にも陪冢があります。
西陵古墳の北、住宅街の中の小さな公園内にあるのが西陵第一古墳(フェンスに囲まれている盛り上がったところ)。
民家のすぐ隣、小さな空き地に少し盛り上がっただけのように見えるこちらが、西陵第二古墳。
陪冢も、ともに国の史跡に指定されています。かつてはもう1基存在しましたが、線路の敷設時に壊されてしまったとのこと。それでも、こんなにささやかながらも現存していることに感動します!
4. その他の古墳
(中央に見えるのが西陵古墳。その右手に広がる森も…古墳の一部、かも)
淡輪には、淡輪ニサンザイ古墳と西陵古墳、その陪冢以外にもいくつか古墳があります。ただ、形状が綺麗に残っていなかったり、私有地であるために近寄れなかったりするものがほとんど。
グーグルマップで確認する限り、西小山古墳、白峠山古墳、真鍋山古墳、鴻ノ巣山第一号古墳の4基あります。
鴻ノ巣山第一号古墳においては完全に民家の敷地の中…。なんと石室が現存して覗うことができるようなのですが、どのようにお邪魔すればよいのかわからず行けませんでした(汗)
しかし、およそ1キロメートル圏内にこれだけの古墳が密集しているので、それだけこの地が栄えていたことがうかがえます。
5. 船守神社
古墳ではないですが、淡輪ニサンザイ古墳と西陵古墳を紹介したので、ぜひ船守神社も紹介させてください!
こちらのご祭神は、紀小弓・紀船守・五十瓊敷入彦命の3柱です。そう、淡輪の巨大古墳に眠るとされている方々が祀られている神社なのです!
創建は911年と、大変歴史ある神社。現在の本殿は豊臣秀頼(秀吉の子!)の命により1609年に再建されたものと古く、国の重要文化財にも指定されています。神主さんが常駐していないため、普段は拝所からしか拝むことができませんが、この日は総代さんが対応してくださいました!多くの木に囲まれてとても趣があります。
境内にあるご神木も、大阪府の天然記念物に指定されている立派なもの。樹齢約800年の古木で、4本の幹が癒着した珍しい形のクスノキです。
ご祭神の、五十瓊敷入彦命は先述の通り、第11代垂仁天皇の第2皇子で南河内での土木事業で活躍されたお方。紀小弓は古墳時代の豪族で、新羅討伐の任に当たったお方。
神社の社名にもなっている紀船守は奈良時代の人物で、紀伊守や土佐守等を務めたお方。
紀氏というのは、日本最初の大臣ともいわれる武内宿祢(たけのうちのすくね)を祖とする豪族です。
一般的な歴史の授業では、小弓も船守も耳馴染みがないかもしれませんが、紀氏の中でもおそらく誰もが聞いたことのある名前の人物がいます。それは、平安時代の歌人であり、『土佐日記』の著者、紀貫之(きのつらゆき)。
藤原氏が中央政権の座を占めていた平安時代。
古代豪族であった紀氏ですが、その末裔である貫之は辺境の土佐の国司という、あまり恵まれない任を務めていました。
任期を終えた後も、貧弱な船で幾日もかけて帰京したそうです。『土佐日記』は、そんな土佐から京へ帰る最中に起きた出来事を綴ったものですが、その中に「黒崎」という地名が出てきます。
船守神社の御旅所もある、淡輪港周辺の黒崎。『土佐日記』には、
「黒崎の松原を経て行く、所の名は黒く、松の色は青く、磯の波は雪のごとくに、貝の色は蘇芳(すおう。赤紫色)に、五色(黒白青赤黄)にいま一色ぞたらぬ」
とあります。淡輪は貫之の祖先である小弓や船守も眠る紀氏の領地だったので、貫之にとっては本籍の地。
また、かつての紀氏の繁栄を偲ばせる土地でした。帰京への道でここを通った貫之…はたして、ただの風景を読んだだけのものでしょうか?
足りない色は、黄色…黄…き…
と、思っていたかもしれません。
6. 淡輪のおいしいお店
せっかく岬町まで来たら、なにか美味しいものも食べて帰りたいですよね♪
府道752号線沿い、淡輪ニサンザイ古墳と西陵古墳の間あたりには「道の駅みさき」もあって、そこの食堂では大阪湾で取れたてのしらす丼なども食べられますが、ちょっとおしゃれなカフェでゆったりランチやティータイムもいかがでしょうか…♡
6-1.pommes frites(ポムフリット)
淡輪ニサンザイ古墳の拝所から徒歩3分(淡輪駅から徒歩8分)のところに、日曜と月曜だけオープンするハンバーガー屋さんがあります。
お店の名前「pommes frites」は、フランス語でフライドポテトの意味。フレンチシェフが作るこだわりのハンバーガーとポテトフライがいただけます♪
店内はテーブル席が2つとカウンターが3席でこぢんまりとしていますが、お天気の日は外のテラス席でいただくこともできます◎
メニューはこちら。どのバーガーにするか決めたら、お次はなんとバンズを選びます!あっさりふっくらベーシックな「フレンチ」、全粒粉を使ったザクっと香ばしい「グラハム」、もっちりとほんのり甘みのある「酒種パン」の3種類。
私は「チーズWバーガー」で、バンズは「グラハム」にしてみました♪
さらにドリンクも選びます。普通のソフトドリンクやアイスコーヒーもありますが、自家製のジンジャーエールやクラフトコーラがおすすめとのこと!私は普通のコーラが苦手なのですが、たくさんのスパイスを漬けこんだ瓶を見せてもらって気になったので、クラフトコーラに挑戦!
つなぎを使わない100%ビーフパティは、焼いている時から最高にいい匂い…!食べるととても肉肉しくて、ステーキを噛みしめているよう!しかも濃厚な味のチーズがたっぷりとろけていてめちゃくちゃ美味しい!マヨネーズやトマトソースももちろん自家製。すべての味がマッチして、夢中で食べちゃいまいた♪
そして自家製コーラ。色の違いもさることながら、味も普通のコーラと思って飲んだら全くの別物です。
コーラ嫌いの私も、これはめちゃくちゃ美味しく飲めました!チャイのような複雑なスパイスの味が苦手な方には不向きかもしれませんが、スパイスの香りと国産レモン、きび砂糖で作られた体にも優しいコーラ、ぜひ飲んでみてください♪(※国産のレモンがある時期限定の商品です)
住所:泉南郡岬町淡輪1532−1
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電話:090−7102−0078
営業日:日・月曜
営業時間:11:00〜完売または日暮れまで
アクセス:南海本線「淡輪駅」より徒歩8分
6-2.豆乃樹(マメノキ)
西陵古墳の入り口から海の方へ向かって徒歩7分(淡輪駅・みさき公園駅から徒歩15分)のところに、美味しいコーヒーがいただけるカフェがあります。綺麗なお家が立ち並ぶ一角、赤いポストと水色のドアが可愛らしいこちら、「豆乃樹」さん。
玄関で靴を脱いで、スリッパに履き替えてお2階へ♪
とっても明るく開放的、そして木のぬくもり溢れる店内♡BGMの鳥のさえずりにつられてくるのか、様々なリアルな鳥の鳴き声も聞こえてきます♪
ランチはキーマカレー(ブレンドコーヒー付き・1100円)またはキッシュプレート(スープ・ブレンドコーヒー付き・1350円)。私は色々食べられるキッシュプレートを♪この日は「そら豆とクリームチーズのキッシュ」と「ベーコンととうもろこしのキッシュ」でした。こちらのタルト生地は、体に優しい蕎麦粉と発酵バターを使用。だからといって蕎麦っぽさはなく、あっさりとしておいしいです◎初夏を感じる具材はどちらも美味しく、1カットも大きくて大満足!他のデリも野菜の味が美味しいです♪
そして食後のコーヒーと、デザートにカボチャプリン(400円)もいただいちゃいました♡砂糖は控えめに、豆乳を使用して作られていて、カボチャの味が濃い…!けどあっさりとしていて、ランチを食べた後にもペロリといけちゃいます♡
そして何よりコーヒーが美味しいんです…!こちらのコーヒーは、挽きたてどころか、煎り立てなんです!!焙煎というと大きな機械をイメージしますが、1杯分ずつ生の豆を急須のような形の焙煎器で炒って提供してくださるのです。これがまぁ美味しい。
一切の雑味がなく澄んだ味わいで、身体に染みわたっていくような…こんなに美味しいコーヒーは飲んだことがありません!
豆乃樹さんでは、焙煎体験も行っています!自分好みの至高の一杯を作って、最高のコーヒータイムをぜひお過ごしください!
住所:泉南郡岬町淡輪3061−20
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電話:090−3947−6548
営業日:木・金・土曜(講座は水曜)
営業時間:11:00〜17:00
アクセス:南海本線「淡輪駅」「みさき公園駅」より徒歩15分
6-3.MARINOWA CAFÉ(マリノワカフェ)
窓から淡輪ニサンザイ古墳の後円部が見えるほど古墳の近く(淡輪駅から徒歩6分)にある「MARINOWA CAFÉ」さん。カフェのオーナーであるマリさんは、2階でネイルサロンもされています◎
ビーチが近い淡輪らしく、マリンテイストなインテリアがオシャレな店内♪いろんなランチセットや、新鮮な泉州ダコを使用したたこ焼き、クレープなどがいただけるカフェです。
おすすめのランチはクレープランチ!おかずクレープは好きだけど、おやつには甘いのが食べたいし…でもおかずクレープ1つじゃお昼ごはんには足りないし…というわがままを言うのは私だけじゃないはず!(笑)お好きなクレープ(おかず系じゃなくてもOK)に色々おかずがついて、これならおなかも満たされますね♪
しかし今回、私はおやつタイムに伺ったのでこちらをいただきました♪MARINOWA CAFEオリジナルの「ガレット風クレープ」(780円)。焼き立てのクレープ生地の上に、カスタードクリームとアップルシナモン、それにバニラアイスがついてきて、あつあつとひやひやが楽しめる贅沢な一皿♡生地はほんのり甘く、もっちりやわらか。このスタイルだと、生地自体も味わえてよきでした!
ランチやクレープはテイクアウトもできるので、古墳巡りの後にこちらでおしゃれなランチを買ってビーチへ行ったりしても素敵かも♪
たこ焼きも、それだけをお昼ごはんにするにはちょっともの足らんやん?たこ焼きに色々おかずがついてくるの、よそにはあんましないよね~!
住所:泉南郡岬町淡輪953−7
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電話:072−477−7034
営業日:土・日・月曜
営業時間:11:00〜18:00
アクセス:南海本線「淡輪駅」より徒歩6分
7. まとめ
あまり知られていないディープな大阪「淡輪古墳群」、いかがだったでしょうか?レジャーや海だけではない、大変興味深い歴史をもつ岬町淡輪。
なんばからだと南海電車に乗って1時間足らずで行けるので、休日の歴史探訪に出かけてみてはいかがでしょうか♪