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【金剛組】受け継がれる歴史と技術 世界最古の企業は大阪にあり!

金剛組

世界一古い企業って、どこかご存知ですか?
中国か、ヨーロッパか、あるいはエジプトとかインド…とか、想像しますよね。
実は、日本にあるんですよ!しかも、我らが大阪に!!!!!

では、その企業は創業何年だと思いますか?
江戸時代?いやいや室町時代?もっともっと、鎌倉時代とか、まさか平安時代…?

なんのなんの、この企業の創業は飛鳥時代!!聖徳太子が生きていた、578年です!つまり、創業1445年…!!
ちょっと想像を絶する長寿企業すぎて、ウソやん、と思うかもしれませんが、本当です。
世界最古の企業、その名はーー「金剛組」。

世界の大阪が誇る「金剛組」さんの、長い歴史と長寿の秘密をご紹介します!!

1.金剛組ってどんな会社?

金剛組世界最古の企業とは、いったい何の会社でしょうか?
本社は大阪市天王寺区にあるこちらの建物ですが…この外観だけでは普通すぎて分かりませんよね。

金剛組本社にお邪魔して、真っ先に目に入るのがこの、お寺の御堂の木組み模型。
そう、金剛組さんは、社寺建築の設計・施工・文化財建造物の復元、修理等を行う会社なのです!

姫松なつき
姫松なつき
世界最古の企業、ってことで知ってる人は知ってると思うけど、コマーシャルとか一切されてないし、普通一般人には馴染みのない職種だから知らない人も多いんじゃないかな…。
神社仏閣好きの姫松も、実は知りませんでした(汗)

その創業は、578年、聖徳太子が四天王寺を建立するために百済から3人の工匠を招いたことに始まります。この内の一人が金剛組初代の金剛重光(こんごうしげみつ)であり、四天王寺の完成後もこの地に留まり、寺を護り続けました。

金剛組(左は1812年の再建にされた四天王寺金堂の立面計画図。右は1940年に再建された四天王寺五重塔の立面図。)

長年四天王寺お抱えの宮大工として、戦乱や火災、天災等で境内の建物が壊れる度に修理されてきました。現在は四天王寺のみならず、全国各地に支店を置き様々なお寺や神社の建築や修理もされています。

金剛組 刀根会長
金剛組 刀根会長
創業は578年ですが、会社としては1955年に法人化、2006年には髙松建設の支援を受けて「新生 金剛組」として営業譲渡し再スタートしています。

創業から現在に至るまで、その長い歴史の中にはとても色々な出来事がありました。
事実は小説より奇なり。波乱万丈、ドラマチックな1445年の歴史をどうぞお読みくださいませ!

2.金剛組の歴史

金剛組これを見てください。初代・金剛重光さんから先先代の39代目までの系図が書かれた巻物です!

姫松なつき
姫松なつき
な、長い…!24代目からフルネームで書かれていて、名前の下にはその時代の出来事なんかも書かれてることから、このあたりから巻物に系図を記すようになったんじゃないか、とのこと。
こんな巻物らしい巻物初めて見たわ…

現在まで脈々と続く、1445年の歴史…。四天王寺のお抱え宮大工として順風満帆に令和まで来たのかというと、そんなことはないのです。豊かだった時代もあれば、存続が危ぶまれた時代もありました。

2-1.飛鳥時代の創業から江戸時代まで

578年、四天王寺建立のために聖徳太子が百済から招いた3人の工匠。この内の一人が金剛組初代の金剛重光であり、重光さんだけは四天王寺が完成した後もこの地に留まり、寺を護り続けました。

金剛組四天王寺は大変広く諸堂の数も多かったため、重光さん亡き後も建設が続けられました。重光さんから二代目、三代目へと技術が継がれていきます。

金剛組(関西加工センターの事務所には重光さんの像がお祀りされています)

それから1400年の間には、石山寺の戦いや大坂冬の陣に巻き込まれ、あるいは多くの天災に見舞われ、幾度となく四天王寺は焼失してきました。

金剛組 刀根会長
金剛組 刀根会長
五重塔だけでも7回、燃えたり倒れたりしています。現在の五重塔は8代目。

四天王寺は多くの領地(寺領)を持ち裕福だったので、金剛家をお抱え宮大工として手当を与え、焼失してもその都度再建することができていました。金剛家も、四天王寺以外の新たな仕事先を探す必要もなく、四天王寺内の数多くのお堂の整備に携わることで安定した運営が続いていました。

金剛組 刀根会長
金剛組 刀根会長
昔は当然ながら全て木造。そのためネズミがろうそくを倒して火事に、なんてこともしばしばあったでしょう。
四天王寺境内だけでもあっちこっち修理していたら、仕事は尽きないわけです

2-2.明治維新後の経営危機

天災、戦災は良いことではありませんが、創業から江戸時代まで安定した運営ができていた金剛組に、危機が訪れます。
明治政府が神道を国教化するべく1868年に発令した「神仏分離令」による廃仏毀釈で、四天王寺はかなりの建物を失いました。それゆえ、金剛組の仕事も激減してしまったのです。

姫松なつき
姫松なつき
昔は神仏習合の考えで、お寺の中に神さんがいたり、神社の中に仏さんがいるのは当たり前。
でも、明治政府が《神道を国教化するために》仏と神をきっちり分けなさい!ってなって、あちこちのお寺から神社が追い出され、神社からはお寺が離され…。四天王寺には神社も多数あったようだけど、ほとんど失ってしまったそう

運営を続けるには他の寺社からの仕事を探さねばなりません。四天王寺お抱え宮大工という信用力や高い技術力はありましたが、営業経験がなかったために苦労をされました。それでもなんとか運営を続けていたところにさらなる追い討ちとなったのが、昭和恐慌です。

姫松なつき
姫松なつき
1929年から始まった世界恐慌。
日本経済ももれなくその影響を受けて、大不況やった昭和初期…

当時の金剛組当主は37代・金剛治一さん。大阪で名棟梁として名を知られるほどのとても腕の立つ優れた大工でしたが、無類の職人気質だったために自分が納得できる仕事しか請け負わず、営業してまで仕事をとるということができない方でした。経営は悪化の一途を辿り、経営不振の責任をとると、昭和7年に治一さんは先祖代々のお墓の前で自害してしまわれました。

金剛組当主の自死という衝撃の中、立ち上がったのは治一さんの奥様・よしえさんです。
歴代初の女棟梁として第38代を継ぐと、先代とは打って変わり自ら営業に出て、経営を立て直されました。折しも、昭和9年に室戸台風のため四天王寺の五重塔が倒壊し、金剛組に再建の命が下り、復興工事による収入で会社経営は回復しました。

第二次世界大戦の頃には、政府による会社統廃合策である企業整備令で他社に併合される危機もありました。しかしよしえさんは役所と掛け合い、軍事用木箱を製造することで整理対象から外してもらい、金剛組としての存続を保ちました。

姫松なつき
姫松なつき
でも、よしえさんだって初めから気丈やったわけないねん。突然旦那さんが亡くなっただけでもショックすぎることやのに、この頃って男は仕事・女は家事育児って時代だから、よしえさんは仕事の業績が悪化してるとか何にも知らず、まさか巨額の負債を抱えてることを旦那さんが亡くなってから知らされて、幼い子どもが3人もいて…
後を追おうと思ったこともあったとか

金剛組

姫松なつき
姫松なつき
でも、四天王寺の御用を勤める由緒ある末裔として夫の後を追っては祖先に申し訳が立たないと、強い責任感から必死で立ち上がったよしえさん。
借金取りがきて、毎日のように内容証明が届いて、裁判され、子どもの机から何から何まで家財道具を全て差し押さえられ、それでも命尽きるまで金剛組のためにと駆け抜けていたところに室戸台風が来て、仕事ができて何とか立て直したんやって

姫松なつき
姫松なつき
当主となってからのよしえさんはそれはそれはキリッと仕事に励まはって。自らノミやカンナ持って、というわけではないけど、毎日工事現場に出て大工たちを束ねてたそう。
ある時一人の小頭が遅刻してきた時にはガツンと怒ったりして。強い女性や…

金剛組

姫松なつき
姫松なつき
よしえさんの活躍は一大ニュースとしてマスコミに取り上げられて、戦後にはテレビドラマ化までされたんやって!
よしえさんがいなければ、1400年の歴史と伝統が潰えてしまってたかもしれないんやね…!

終戦後しばらく仕事の少ない期間はあったものの、1950年に文化財保護法が施行されると神社仏閣の再建ブームが到来し、金剛組は四天王寺以外の寺社からも注文が殺到しました。

2-3.近代化する金剛組、そして新生金剛組としての再出発

昭和30年、よしえさんが金剛組を「株式会社金剛組」に改組しました。
この頃、全国各地の社寺が戦火や火災、台風や地震などの被害を受けていたため、戦後復興の中で防火・防災・経済性に優れる鉄筋コンクリート建築が注目されていました。金剛組は鉄筋コンクリートでも日本建築本来の美しさやあたたかみを損なわない独自の工法を開発、その他一般のマンションなどの建築も手がけるようになりました。

金剛組 刀根会長
金剛組 刀根会長
昭和55年には埼玉県に関東営業所と加工センターを開設して、東京本店、関東支店…景気も良く、そこから全国に支店や営業所を展開していきました。
しかし平成11年をピークに売り上げが低下していきました

木造の社寺をつくることとコンクリートの一般建築では、工期の設定もコスト管理も営業手法も全く異なります。しかし、金剛組は昔の木造社寺建築の感覚のままでいました。
社寺建築ではどこよりも確かなクオリティーを発揮できます。一般のコンクリート建築でももちろん品質の良い建物を作ることはできました。しかしライバルとなる大手ゼネコン等と比べると、仕入れ価格や工事費の競争では劣ってしまい、不採算工事が多く発生しました。

姫松なつき
姫松なつき
質が良いのはわかってても、客からしたらちょっとでもおトクなところに惹かれるよね…。ボーナスカット、給与カット、宮大工への工賃も引き下げ…それでももうどうにもならなくなってきていた平成17年…

平成18年、金剛組は髙松建設株式会社の傘下となり、「新生 金剛組」へ営業譲渡しました。
と、このように書くとよくある企業同士の吸収合併に思われますが、そうではありません。

「金剛組をつぶしたら大阪の恥や」

そう、当時の髙松建設の会長・髙松孝育さんは仰いました。髙松建設と金剛組の接点はメインバンクが同じだったことだけ。銀行から金剛組の状況を聞いた髙松さんが、実際に金剛組の技術を見て、全額出資して金剛組を立て直したのです。

姫松なつき
姫松なつき
ぶゎーーーーーー!(涙)この話聞いた時、感動で涙飛び出したわ…!「1400年の歴史」と「1400年の技術」を、損得ではなく救おうとした髙松会長…なんてスゴいお人なんや…!
でも、1400年真面目にやってきたからこそ救い…奇跡の出会いは、きっと神仏の思し召しに違いない…っ

髙松建設による金剛組の再建には多くの人や会社が関与しましたが、誰も髙松会長の意見に異を唱える人はいなかったそうです。
しかし、金剛組が髙松建設の傘下となり、髙松建設より小川副社長が金剛組の社長となったことに、金剛組の社員は警戒心を抱きました。「より良い素材で良いものをつくる」ことをモットーにするあまり利益を後回しにしていた金剛組に対し、小川社長は社寺建築以外の受注を禁止し、様々なコスト管理を徹底するよう伝えました。

姫松なつき
姫松なつき
「社寺建築という神聖な仕事で儲けようなんてけしからん」、というのが金剛組さんの意見だったけど、何百年も社寺を守るためには経営が安定してへんとアカンのよ、っていうことを何度も何度も繰り返し伝えたんやって。
普通買収した先の企業の再生ってなると、「そんな仕方じゃアカン!」って一蹴して親会社のやり方で無理くり動かそうとしかねへんところやけど、技術と歴史に対するリスペクトがあったからこそ小川社長も頑張って、大工たちもついていけたんやろね…!

こうして金剛組は髙松建設の存在により原点回帰し、社寺建築を専門に行う会社となって現在に至ります。

3.長寿の秘訣

明治〜平成にかけては廃業の危機に陥りつつも、1445年という長きに渡って続いてきた金剛組さん。その長寿の秘訣とは一体なんでしょうか?

姫松なつき
姫松なつき
廃業の危機も乗り越えての1445年、すごいよね。でも、どんだけ儲かってても跡を継ぐ人がおらんかったら1代で終わっていくお店なんてごまんとあるやん。41代続くってどういうことやろ…

3-1.血縁に固持しなかった

金剛組金剛重光さんから、その長男が代々後を継いできた…わけではありません。長男が必ずしも優秀な大工になるとは限りません。そういった場合、番頭が経営を支えるものと思われがちですが、金剛組では常に優秀な人が当主を継いできました。そのため、分家が継承したり、あるいは外部から婿をとっていました。

姫松なつき
姫松なつき
一度当主になっても能力不足と言われたら解任されて家から追い出される…とかもあったらしい。めっちゃ厳しいけど、だからこそ確実な技術が現代まで引き継がれていったんよねぇ

3-2.受け継がれる家訓

金剛組1801年、落雷により五重塔が燃え、その火が移り四天王寺境内の大半が焼失しました。その再建に尽力した32代目・喜定さんが、後継者に向けて残した「遺言書」の言葉が、金剛家の家訓として今なお受け継がれています。

「読書・そろばんの稽古をせよ。これは職家で一番必要なことである」
「配下や弟子など、目下の人には深く情けをかけ、穏やかな言葉で召し使いなさい」
「正直な見積もりを書きつけ、差し出しなさい」
「先祖の霊年、廻忌日、命日には怠けることなく香華を供え、仏事・供養の営みをしなさい」

といった、当たり前でありながらも真に大切にしなければいけないことが16項目に渡り記されています。

姫松なつき
姫松なつき
「お酒飲みすぎるな」とか「身分以上のオシャレするな」なんてものも。なんでも、やっぱり真面目がええんよ…。
1つだらけたらどんどんだらけていくから…。この言葉をちゃんと受け継いでる後継者たちも、ほんと真面目でえらいよね!見習わねば……

3-3.守るべき歴史

そうして真面目に繋いできた1445年の歴史と技術。その信頼は、他のどの企業よりも確かなものです。
良い材料で良いものを、神仏のため人のため、常にそのときの最高の技術を提供する職人ゆえに近代社会では経営が上手くいかないこともありましたが、髙松建設という救いの手が差し伸べられたのです。

現在、髙松建設より金剛組へ入社した多田社長が経営を担っていますが、多田社長が金剛家当主というわけではありません。宮大工としての技術を継承し続けるのは金剛家であり、現在は41代目の女性の方が正大工職(四天王寺を護る大工の称号)を務めています。
そして未来への技術継承のため、2021年から宮大工を志願する若者を対象とした「金剛組匠育成塾」を始められました。

姫松なつき
姫松なつき
専門学校のようなものやけど、半年の研修期間でかかる塾費はわずか10万円という破格!本格的な大工道具を支給することを考えると、金剛組に利益があるわけじゃない事業。未来へ技術を繋いでいくための、人材育成のための塾やから、これで儲けようってわけじゃないんよね

3-4.長寿企業大国、日本

金剛組さん以外にも、創業1000年超の会社はいくつかあります。世界にも、ヨーロッパにはいくつかご長寿企業がありますが、日本が圧倒的に多いです。

ところで、世界で一番古い国ってどこでしょう?
4000年の歴史がある中国?古代文明の一つ、エジプト?

いえいえ、これまた日本なのですよ。人類が存在していた順でも、文明が起こった順でもなく、“国”として最も長い歴史があるのは、我らが日本。
最初の天皇である神武天皇が日本を建国したのは紀元前660年。毎年何気なく建国記念日という休日を過ごしていますが、今年で建国2683年目なのです!

金剛組日本にご長寿企業が多い理由の一つに、日本は他の国と違って平和に続いてきたことが挙げられます。もちろん、南北朝時代や戦国時代、昔は日本国内でも多々戦はありましたが、日本では王様(天皇)が変わることはありませんでした。

姫松なつき
姫松なつき
織田信長が天下をとっても天皇家が滅びたわけではないし。よからぬことして島流しにあった天皇もいるけど、126代目の今上天皇まで脈々と続いているのは他の国にはないこと!

諸外国のような革命が起きることがなく、また他国の植民地にされたこともない、この社会的要因は大きいといえるでしょう。

姫松なつき
姫松なつき
他にはやっぱり、昔から日本人は堅実な性格してる人が多いってのもあるやろうね〜。最近は中国やインドに技術で負けてるとか、日本は遅れてるとか言われるけど…世界に誇れることもいっぱいあると思う!

4.金剛組の技術

金剛組金剛組さんは、関東と関西に自社工場である加工センターを持っていて、広大な敷地内で日々宮大工さんたちが材木を加工していらっしゃいます。
今回特別に、堺市美原区にある関西加工センターにお邪魔してきました!

金剛組

姫松なつき
姫松なつき
めっちゃヒノキの良い香りがする〜〜!

《宮大工さんのスゴ技①》手作業 

とっても大きな工場で、あちこちのお寺や神社のための大きな材木たちが並べられています。しかし、目立った機械が見当たりません。宮大工さんたちは、ほとんど手作業で加工するのです!

金剛組 木内棟梁
金剛組 木内棟梁
僕らが造るのは神さまや仏さまのもんやからね、心を込めなあかん。機械じゃぁできひんよ

金剛組こちらの木内棟梁はこの道50年以上の超ベテラン宮大工さん!この日、木内棟梁が削ったかんなくずの厚さはなんと30ミクロン!!木が透けてる…!

金剛組 木内棟梁
金剛組 木内棟梁
いやいや2ケタもあったら分厚い分厚い。1週間かけて調整したら1ケタまでいくよ。
そしたらもう、透明になるから
姫松なつき
姫松なつき
2枚重ねになってるティッシュの1枚の厚さが40ミクロンらしいから、これでもティッシュより薄いのに、1ケタて…!しかも木が透明になるって、異次元すぎる…これは機械も敵わないわ。ちなみに、よし、と思えるくらいの技術を身につけるのには一体何年くらいかかるんでしょう?
金剛組 木内棟梁
金剛組 木内棟梁
最低10年。でも、もっと早くから「おっ」と思える出来のヤツもいれば、もっと長くやってても全然アカンヤツもいる。センスやね

機械で削ると、見た目は滑らかでも表面が毛羽立ってしまうそうですが、丁寧に手作業でかんなをかけて仕上げた木は、水をも弾くほどツルツルになるそう!見た目の綺麗さだけではなく、雨水が染み込まないことで耐久性も上がるのです。

《宮大工さんのスゴ技②》継手 

社寺建築では釘や接着剤など一切使わずに建てるんですよ!継手(つぎて)といって、木をパズルの凸凹のようにカットして、それを組み合わせていくのですが、そう単純な凸凹ではないのです…

金剛組単純そうに見えますが、「え、どうやって外すの?」ってなります(汗)
簡単にスッと抜けたと思っても、「え、どうやってはめるの!?」ってなります(笑)


▲動画で詳しく紹介しています。ぜひご覧ください

姫松なつき
姫松なつき
木の立体パズルみたいな…私アタマ固いから、こういうのすこぶる苦手…。それにしても、よくこんなの思いついたなぁ

継手は200〜300種類あるそうで、あらゆる継手を組み合わせて1つの建物が出来上がります。
とある五重塔の1層目の1/3模型を組み立てるデモンストレーションを見させていただいたのですが…いつまでも見ていられるくらい、サクッサクッとはまっていく様子に感動しました…!

金剛組(山門の木組模型の一部)

あらゆる角度から木と木が組み合わさり、支え合っていきます。
また驚くべきことに、現在はコンクリート造の基礎を作りますが、昔の社寺建築では石(礎石)の上に柱を立て、あとは木を組み合わせていくだけなのに、地震で倒れることは滅多にないのですって!

金剛組(石場建て工法)

金剛組 木内棟梁
金剛組 木内棟梁
基礎を地面の中に埋めてしもとったら、地震の力に耐えられずボキッといくけど、石の上に乗っかってるだけやと揺れるだけ。
複雑に木を組んでるから力が分散されるし、屋根の重みがあるから傾いても戻ろうとする力が働く。
多少歪んで傾くことはあっても、地震ではまず倒れない
姫松なつき
姫松なつき
屋根にはすごい量の木が使われてるし、瓦ものっててすごい重さなはず。ガラガラ〜って倒れそうなイメージあるけど、逆にバランスが釣り合うっていうのが、文系脳にはちょっと理解できないけど…すごいねぇ

四天王寺の五重塔も、木造なので火には弱く幾度か燃えていますが、地震大国日本において地震で倒壊した記録はないのです!(※室戸台風では倒壊。一方向から強く押される台風では倒れてしまうこともある。)

さらに継手のすごいところは、組み立てと逆の順番で分解していくこともできる点です。よく、お寺の由緒等を見ていると、「◯◯寺の本堂を△△寺の境内に移築」とあり、どうやって動かしていたのか不思議だったのですが、分解して運んで再び建ててたんですね…!

《宮大工さんのスゴ技③》1/1スケールの型板 

一般建築でも社寺建築でも、まずは製図が描かれます。一般建築では、それを元に実際の寸法を計算して材料を用意します。しかし社寺建築では、はじめに1/1スケールの型板を作るのです!
一般建築ではほぼ直線しかありませんが、神社やお寺の建物の屋根には反りの箇所があるためです。

金剛組

金剛組 刀根会長
金剛組 刀根会長
加工センターの2階には型板を作るための広い現寸場があります。
ここで各組が各々の型板を作成しています。
これだけ広い現寸場を持ってるのはウチくらいちゃうかな

金剛組こちら、加工された材木です。まるで1本の木をグネッと曲げたように見えますが、もちろんそんなわけではなく、手作業で削ってこの形に作られています。

金剛組 木内棟梁
金剛組 木内棟梁
この反っている部分を機械だけで作ることは不可能。1/1で描いてみると、ちょっと反り具合が足らんな、とか。その辺は大工の経験で調整してね。
その型板に合わせて、最初は大きめに木を切り取って、ちょっとずつ切ったり削ったりして作っていく

金剛組これをご覧ください。木内棟梁が10ヶ月かけて作成された某お寺の山門の木組み模型!実際の建物を建てる前に、まずは小さい模型を組み立ててみるそうです。

金剛組屋根の反りこそが、社寺建築の美しいところであり、難しいところなのです。この反っている木を「茅負(かやおい)」といい、その下にずらっと並んでいる木を「垂木(たるき)」といいます。垂木は一見どれも同じ直方体と思われるかもしれませんが、茅負が緩やかに反っているため、接している面は直線ではありません。

金剛組

金剛組 木内棟梁
金剛組 木内棟梁
同じように見えて垂木は1本1本微妙に形が違う。設計図から計算だけではこの微妙な角度は作れない。現寸場で、垂木のための定規を使って手で書き出して、その型板を元に木を削る。そうしないとできないんだよ
姫松なつき
姫松なつき
まさに匠の技…!今まで何気なく見てたお寺や神社の建物だけど、もう…「すごい」としか言えない。そして何より、緻密で繊細なこの技術をずっとずっと途切れさせずに1400年以上繋いできたことに感動する!!…ちなみに、実際に組んでみて現場で「アッ サイズ合わない!」なんてことは…?
金剛組 木内棟梁
金剛組 木内棟梁
50年やってるけど、1回もないよ(笑)

金剛組(木内棟梁の大事なかんなたち)

5.金剛組が携わった建築物

金剛組さんでは、全国各地の様々な神社仏閣の新築・改修や文化財の修理に携わっていらっしゃいます。たくさんありすぎて全てはご紹介できないので、初代から護り続けた四天王寺さんだけ、ご紹介させていただきます!

姫松なつき
姫松なつき
国宝の住吉大社の本殿や大阪城の一番櫓の修理工事なんかも、金剛組さんが手がけたそう!こないだ平野探訪した時(「平野・町ぐるみ博物館」の記事もどうぞ★)、大念佛寺さんが大改修中やったけど、そこも金剛組さんがやるんやって!

5-1.四天王寺

四天王寺大阪で一番有名な寺院と言っても過言ではない、四天王寺さん。お参りに行ったことがある人も、まだ行ったことがない人も、金剛組さんの歴史とともにご覧ください!

5-1-1.四天王寺の由緒と建物

四天王寺物部守屋と蘇我馬子の合戦で、崇仏派の蘇我氏についていた聖徳太子が自ら四天王像を彫り、「この戦い勝利した暁には四天王を安置する寺院を建立し、この世の全ての人々を救済する」と誓願されました。そして見事勝利し、その誓いを果たすため593年に四天王寺は建立されました。

四天王寺建立にあたり、聖徳太子が大陸から招いた工匠の一人が金剛組さんの初代ということは先述しました。しかし593年の創建時には、当初計画にあった廻廊と講堂の建築が残っていたといいます。これらの完成は創建時から百数十年後、奈良時代前期頃でした。

姫松なつき
姫松なつき
初代重光さんは当然ながらお亡くなりになっていたけど、2代目、3代目へと技術と心が受け継がれて、完成に至ったんやね

四天王寺は日本仏法最初の官寺です。「衆生救済(生きとし生ける者全てを救済すること)」と「仏法興隆」の実現のため、太子は四天王寺建立の際初めて四箇院制度を導入しました。

金剛組戦国時代は幾多の戦乱に巻き込まれ、あるいは落雷や火災で燃えてしまう度に金剛組さんが再建してきました。室戸台風では、倒壊した五重塔をよしえさんが5年がかりで再建しましたが、そのわずか5年後に大阪空襲により四天王寺境内の南半分が火の海に。

四天王寺戦後は火災に強い建物を求められ、神社仏閣でも鉄筋コンクリート建築が流行しました。この時初めて、再建を他の大手建設会社が担当することになり、現在8代目にあたる五重塔は金剛組さんによるものではありません。

金剛組しかし、金剛組さんもコンクリート工法を学び、金堂の再建は金剛組さんへ任されました。現在の金堂は、昭和34年に建てられたものです。

5-1-2.鷹の止まり木

金剛組金堂の東面に、黒い鳥居のような形のものがあることをご存知でしょうか?これは「鷹の止まり木」と呼ばれています。
蘇我氏に敗北した物部守屋がキツツキに化けて四天王寺建立のための材木を突きまくり工事が難航したので、聖徳太子はそれを止めるため白鷹となって退治した、という逸話があるのです。

金剛組守屋の霊を鎮めるための祠が金堂の東側にあるのですが、ちょうどその祠を見下ろす位置に「鷹の止まり木」を設置したといわれています。

後に、太子は戦に負けて困っていた守屋の家臣たちに四天王寺での役を与え、そのことに感謝した守屋の霊は良い霊になったそうですが、戦前の金堂にもあった「鷹の止まり木」を、金剛組さんも変わらず設置したんですね。

5-1-3.聖霊院

金剛組中心伽藍の東に位置する一角に、聖徳太子をお祀りするお堂があります。聖霊院(しょうりょういん)といい、太子信仰の中心となっています。毎月22日には太子忌法要が行われています。

姫松なつき
姫松なつき
毎年2月22日には「太子二歳まいり」が合って、お太子様の知恵にあやかるために2歳前後の子どもたちを連れた家族で賑わうそう。なんで2歳かというと、並外れて優れていた聖徳太子は、2歳の頃に東に向かって「南無仏」と唱え手を合わせたという逸話があるねん

聖霊院も、金剛組さんが昭和54年に建てたものです。つい中心伽藍だけを参って満足してしまいがちですが、ぜひ境内奥にある聖霊院までお参りしてみてくださいね!

5-1-4.手斧始め式と番匠堂

毎年1月11日に、四天王寺の金堂で行われる「手斧(ちょんな)始め式」という儀式があります。一般には非公開なので、知らない人も多いと思います。

金剛組これは、四天王寺創建の際に聖徳太子から大工職を与えられた金剛家に伝来する、大工職の仕事始めの儀式です。棟梁たちは伝統の装束を身にまとい、手斧を使って材木を荒削りして槍鉋で仕上げていた昔の大工仕事を模した行事を執り行います。

金剛組金堂で行われますが、金剛家が主催する聖徳太子に対して行われるもので、ご本尊の前に神式の祭壇を設け、鯛の神饌や祝詞を捧げます。

金剛組「手斧始め式」が終わると、堂内に入れなかった社員さんたちも加わり、番匠堂へ。
番匠堂には曲尺(かねじゃく)という大工道具を手に持つ聖徳太子の像が祀られています。毎年この日だけはかしわ手を打ち、大工の始祖としての聖徳太子にお参りするそうです。

姫松なつき
姫松なつき
お寺でパンパンするって、そうありえへんこと。これぞ神仏習合…!平安時代から続くこの伝統は、2010年に大阪市の無形民俗文化財に指定されているよ!ちなみに、「ちょんな」とは「手斧(ちょうな)」が訛ったものやで

番匠堂は、全国の宮大工発祥の地として平成14年に建立されました。毎年11月22日には、建築関係者が集まり大工・建築技術向上や工事の無事安全を願う、四天王寺番匠堂曲尺太子奉賛法要が行われます。

番匠堂を囲うように建てられたのぼり。「番匠器名号」といって、金剛組さんの加工センターにも大きなものがありました。

金剛組大工道具(番匠器)で「南無阿弥陀佛」と書いてあります。
お寺を建てるには木を使います。つまり大地の産物の命を絶ってしまうので、金槌や鋸、錐などに仏性を入れて、番匠器で「南無阿弥陀佛」の名号を入れて工事の安全と無事建立を祈念したのが始まりだそうです。

5-2.愛染堂勝鬘院の多宝塔

金剛組金剛組さんが建立したものの中で現存する最も古いものが、愛染堂勝鬘院(あいぜんどうしょうまんいん)さんにあります。

金剛組ここはもともと、四天王寺の施薬院として建立された寺院でした。「勝鬘院」という名は、この場所で聖徳太子が「勝鬘経」というお経を人々に講じた場所と伝わることが所以です。

一般的には「愛染さん」という呼び方で親しまれているお寺ですが、これは平安時代に弘法大師空海により密教が日本へ伝わり、金堂に愛染明王を本尊としてお祀りされたためです。

金剛組金堂の後ろに、金剛組さんが建てた多宝塔があります。
四天王寺建立の頃からあった多宝塔は、織田信長の石山寺攻めの際に焼失してしまいました。その後1597年に豊臣秀吉により再建されたものが、現在まで残っています。

姫松なつき
姫松なつき
大阪空襲で焼け野原になった天王寺で奇跡的に残ったこの塔は、大阪市最古の木造建造物として国の重要文化財になっているよ!この多宝塔にある雷除けの銅板に、「総棟梁金剛匠」って銘が残されているんだって!!

金剛組なんとも複雑な形をしています。どんな風に組まれているのか…金剛組さんの歴史と技術を知ってから見ると、改めて社寺建築の凄さに感動しますね。

6.まとめ

金剛組(金剛組さんの本社・加工センターには、聖徳太子を祀る厨子がある)

いかがだったでしょうか!1445年の歴史と技術…本当に、感動しました。
神社仏閣に参った時に、◯百年前に建てられた本堂、とか聞くと、誰しも「お〜すご〜い。歴史あるお寺なんだな〜」と思うでしょう。しかし、そのお寺や神社が今なお存在するのは、当然ながら建てた人がいるからで、社寺自体の歴史はもとより、その素晴らしい建築技術も現代に続いていることに、もっと注目すべきだなと感じました。

加工センターにある切り出された材木ひとつとっても、受け継がれてきた技術が詰め込まれているわけです。
こんなにも続いていることは本当に素晴らしいことで、何より世界に誇れることです。
この数十年で人類の技術は恐ろしく進化し続けてきましたが、古きものを守り続け、その歴史を刻み続ける大阪の誇りを、世界中の人々に知っていただければと思います!

ただひとつ懸念があるとすれば、昨今の宗教への関心が低下していることです。
いやいや、初詣に行くし、法要やお葬式もするし、パワースポット巡りやご朱印巡りも流行ってるし神社仏閣行ってるよ、と思うかもしれません。では、ご自分の氏神様はご存知ですか?

神社では氏子離れにより、一人の宮司さんがいくつかの神社を兼任されていたり、お寺では檀家離れにより廃寺になってしまうところも少なくありません。
神社仏閣は、特別な日に訪れる場所になっているのではないでしょうか。受験があるからお参りに行く、子どもが生まれたからお参りに行く、旅先に有名な神社仏閣があるからお参りに行く…でも本来は、もっと身近なところに神さまも仏さまもいてくださるのです。

金剛組 刀根会長
金剛組 刀根会長
神社仏閣が永久に続くことを願い、金剛組は300年、500年の未来を見据えて、社寺建築を行なっていく。

金剛組 木内棟梁
金剛組 木内棟梁
たとえ今仕事がなくなっても、次の世代へこの技術を継承していくことはできる。継承していかなければいかない。技術さえあれば、未来にもし建物が壊れたとしても、直すことができるからね

世界最古の国の誇るべき歴史と技術を途切れさせぬよう、さらなる未来へ繋ぐことができるよう、まずは身近な神社やお寺を訪ねてみてください。実は「もの凄い歴史」があって、「もの凄く貴重なもの」があるかもしれません。それは目にみえる形のあるものではないかもしれません。これまで受け継ぎ続けられてきた心だけでも、とても価値のあるものです。

新しいものが求められる現代ですが、古いものを変わらず受け継ぎ、そして残していく大切さにも目を向けてみてはいかがでしょうか。


想像を絶する歴史を誇る「金剛組」さんの、長い歴史と長寿の秘密を動画でもご紹介いたします。
ぜひご覧ください!

7.おまけ

加工センターに伺った際に、木内棟梁から「ハイ、お土産」といただいたものがあります♡

金剛組金剛組さんオリジナルカードケース!!嬉しい!!金剛組さんの営業の方が使ってらっしゃるのを見て、いいなぁと思ってたんです…♡仲間!!

金剛組さらに、キーホルダー2種類と、ミニ継手!!

金剛組パッケージが絶妙におもしろいんですよ…。“金剛”の焼き印が入った方の名称は「邪魔に成る キーホルダー」(笑)
注意事項「ポケットに入れたらポケットが破れる恐れが有ります」
消費期限「紛失するまで大丈夫です。」

金剛組ネジ型のキーホルダーの名称は「心の螺子緩んでいまへんか?」
注意事項「締めすぎない様に、ほどほどに」
そして何気に、「返品可」(笑)

大阪生まれの会社らしいユーモアあふれる品々!非売品の大変貴重なお宝です♡

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ライター紹介

姫松なつき
姫松なつき
大阪生まれ大阪育ちの歴史好き。京都や奈良より、難波宮があった大阪こそが古都であることを世に知らしめるため、ゆるおもしろい絵と文で大阪の歴史・史跡をご紹介します♪ InstagramID:@himenatt77
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