【大阪七福神めぐり】大阪市内で福あつめ!ルート、色紙、最寄りのおすすめグルメもご紹介
2023.05.31
誰もがご存じ、「七福神」。
7柱の神さまたちで、それぞれに健康長寿や商売繁盛といったご利益があって、弁天さんとかえべっさんとかがいて、宝船に乗っていて大判小判がざっくざく…というイメージが、思い浮かぶかと思います。
7柱の神さまのご利益にあやかって幸せを願う「七福神霊場巡り」は、全国各地にあります。
神社やお寺といえば、京都?奈良?それとも鎌倉でしょうか?
いえいえ、大阪にもあるのですよ。それも、大都会の大阪市内に!
1日でも十分巡りきることができる、「大阪七福神めぐり」をご紹介いたします♪
1.七福神ってなぁに?
7柱の名前すべて…言えない(汗)
ご利益も…ちゃんとわからない(汗)
そんな方も少なくないのではないでしょうか?そして、どうして7柱なのか、なぜこのメンバーなのか…お参りに行く前にチェックしておきましょ!
1-1.七福神の由来
七福神の神様は、恵比寿神・大黒天・弁財天・毘沙門天・福禄寿・寿老神・布袋尊。七福神信仰は日本のものですが、七福神の中で日本の神さまは恵比寿神だけ。あとは中国やインドの神さま。日本には八百万もの神がいるのに、何故この7柱なのか…
日本には様々な神さまがいますが、中でも漁業の神・商売繁盛の神である恵比須さまは、古くから庶民に親しまれ“えびす信仰”として人気でした。鎌倉時代になると、中国を経てインドから、五穀豊穣と財運の神・大黒天、知恵と音楽と財福の神・弁財天の信仰が加わり、室町時代にかけてこの3柱が庶民の間に深まっていきました。
そしてさらに、仏法の守り神・毘沙門天、家庭円満と招福の神・布袋尊、幸福の神・福禄寿、長寿延命の神・寿老神が加わり、人々の願望に応える七福神として信仰されるようになったといわれています。
7という数字はラッキーセブンを思い浮かべますが、七福神の由来は仏教の経典の中にある「七難即滅 七福即生」だとされています。これは、「仏教の教えを信じ行動すれば世の中の7つの大難(太陽・星の異変・火災・水害・風害・干害・盗難)は消滅し、7つの福が生ずる」という意味。
古代バビロニアの天文学で用いられた七曜が、西洋に広まってインド経由で中国、そして日本へやってきて、現代の暦にも続いてる。中国や日本の知識人も「七」を好んだようで、「七」は完結した数字であり、物事は七日・七月・七年を単位に循環するともいわれたんだとか
七福神信仰がますます広まったのは、江戸時代。徳川将軍家の菩提寺である、東京上野にある寛永寺を建立した天海という僧が、徳川家康に「あなたは乱世を治め、天下泰平の基を気づく招福をお持ちだ」と言いました。そして七福神のもつ「寿命・財福・人望・清廉・威光・敬愛・大量」という7つの福徳を示しました。
家康は大いに喜び、絵師に七福神の画を描かせました。これが、七福神の最初の絵だといわれています。
江戸時代中頃は世の中が安定しており、現代日本のように庶民ものんびりした暮らしを送っていました(もちろん今も昔も貧富の差がまったくないわけではないですが)。江戸の町では様々な名所が開発され、庶民でも気軽に行ける観光と神仏詣を兼ねた行楽が盛んになりました。
1-2.それぞれの神さまのご紹介
《恵比寿神(えびす)》
大阪では「えべっさん」の名前で親しまれている恵比寿神は、七福神の中で唯一の日本の神さまです。
恵比寿神という名で『古事記』や『日本書紀』に登場するわけではなく、事代主命(コトシロヌシノミコト)という神が、“えびす様”とされています。
古来より日本では、砂浜などに打ち上げられる漂流物を神聖なものと考えて「えびす」と呼んでいました。
昔の人にとっては、海の向こうは未知なる異世界であるため、海の向こうには死者の国、あるいは神の国、はたまた不老不死の国があると考えられていました。
それゆえ、未知の世界から流れ着いたものは特別なものであり、大漁を呼ぶものだと考えられていました。
これを「えびす信仰」といい、事代主命の漁のイメージがえびす信仰と混ざりあったことで、「えびす様」と呼ばれるようになったと考えられています。
(その他、蛭子命(ヒルコノミコト)、少彦名命(スクナヒコナノミコト)、彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)が由来とする説もあるため、えびす様を祀る神社でも祭神が異なることがあります)
漁業の神として知られていますが、平安時代末期には市場の神として祀られるようになったため、商売繁盛のご利益が有名ですね!
《大黒天(だいこくてん)》
インド出身の神で、ヒンドゥー教の神さまです。
ヒンドゥー教の中でも最高位に位置するシヴァ神は破壊や創造など様々な一面を持つ神ですが、それに合わせて姿を変化させます。シヴァ神が世界を灰にするときになる姿が「大いなる暗黒」という意味をもつマハーカーラ。これこそが、大黒天であると考えられています。
大黒天といえばにこにこ笑顔で打ち出の小づちを持っている姿をイメージすると思いますが、もとは戦いや冥府といった悪のイメージが強い神さまなのです。
マハーカーラが中国へ伝わり仏教に取り入れられると、大黒天という名の天部になりました。天部とは、「仏やその教えを守る護法神」あるいは「現世利益をもたらす福徳神」のことで、大黒天は後者。マハーカーラには戦闘・財福・冥府という3つの性格がありましたが、仏教の天部となってからは「財福神」としての性格が強調して祀られるようになり、日本へもそのまま伝わりました。
日本には古来より大国主命(オオクニヌシノミコト)という神さまがいましたが、音読みすると「だいこく」と読めるため、大国主命と大黒天は同一人物であるという考えが広まりました。
大黒天は財運福徳のご利益が主ですが、恵比寿神と共に祀られることが多く、恵比寿神のご利益と混ざって五穀豊穣や出世開運といったご利益もあるといわれています。
また、大国主命が縁結びの神さまであることから、大黒天にも縁結びや、それに関連して子孫繁栄のご利益もあるといわれています。
ただし、大国主命と大黒天が同一であるという考えを否とするところもあります。大国主命は有名な出雲大社の神さまですが、出雲大社の神さまは七福神の大黒天ではありません。
一概に大国主命を祀っている=七福神の神社とは思わないよう注意してください。
《毘沙門天(びしゃもんてん)》
もとは古代インドのクーベラという名の神さまでした。
クーベラは別名「ヴァイシュラヴァナ」といい、これが中国に伝わると「毘沙門」という表記になり、そこに天界に住む者を示す「天」をつけ、毘沙門天と呼ばれるようになりました。
クーベラはインド神話において世界の守護者として北の方角を守っていたため、毘沙門天も仏教世界の四方を守る四天王のとなり、北方の守護神となりました(四天王として祀られる際は「多聞天」、単独で祀られる際は「毘沙門天」という名になります)。
他の七福神が朗らかな表情にゆったりとした着物姿であるのに対し、迫力のある表情に武装した姿で描かれているのは守護神としてのイメージがあるためです。
しかし元々のクーベラは財宝の神さまであったため、日本でも毘沙門天は財福の神さまとして信仰されてきました。金運・開運・商売繁盛などのご利益の他、疫病をなぎ払うとして健康長寿のご利益もあり、あるいは武運・勝運の福もあります。
『毘沙門天王功徳教』というお経には、毘沙門天を信仰すると得られる10種の福が書かれており、「皆から愛される福」「知恵により物事を正しく判断する福」「周囲の信頼に恵まれる福」など、ご利益の多い神さまです。
《弁財天(べんざいてん)》
「弁天さん」の名で知られているこの神さまは、もとはインド神話の女神サラスバティー。サンスクリット語で聖なる川を意味するため、水の神とされていました。
仏教に取り入れられると、弁才天という名の仏教守護神の天部となりました。日本へ伝来すると、水神信仰と結びつき農業の神として庶民に広まりました。また、川の流れる音が音楽に例えられることから、音楽の神としても信仰されるようになりました。
また、日本へ渡って来た際に財運の神としての性格も与えられたことにより、「弁財天」という表記になったとされます。
そのため、弁財天には財運上昇・商売繁盛、そして音楽に関わらず芸事上達のご利益があるとされています。
また、とても美人な神さまなので、それにあやかった美人祈願も◎
《寿老神(じゅろうじん)》
中国出身で、道教の仙人です。
日本に伝わったのは鎌倉時代後期ごろ。その頃、中国の禅宗文化を積極的に学ぶために水墨画が日本へもたらされました。その水墨画の中に寿老神が描かれており、そこから知られるようになったとされています。
見た目は仙人らしく白いひげをたくわえたおじいさんで、長寿と自然との調和のシンボルである牡鹿を従え、手にはこれまた長寿のシンボルである不老長寿の桃を持っています。いわずもがな、長寿の神さまで、ご利益は健康長寿と富貴長寿。
《福禄寿(ふくろくじゅ)》
こちらも寿老神と同じく中国出身の長寿の神さま。道教で強く願われる3種の願い「幸福(ここでは子宝のこと)・封禄(財産のこと)・長寿(健康に長生きすること)」の三徳を具現化したものといわれています。
日本へ伝わった理由も寿老神と同じく水墨画に描かれていたことだとされています。
長い頭と長いあごひげ、大きな耳たぶが特徴。ご利益はもちろん先述の三徳、子宝・安産、金運上昇、健康長寿です。
《布袋尊(ほていそん)》
「ほていさん」の名前で知られている布袋尊は、800年代ごろの中国に実際にいたとされるお坊さんがモデルとされています。
この僧侶はいつも大きな袋を担いで国中を旅していたことから「布袋」と呼ばれるようになりました。
旅の途中、行く先々で貧しい人に出会うとその度手を差し伸べ、袋の中から必要なものをあげていました。救ってあげた人たちは、助けてくれたお礼をまた袋に入れたといいます。
そんな徳の高いお坊さんが由来の布袋尊は、でっぷりとしたまるいおなかと、目じりをさげたにっこり笑顔で大きな袋を担いでいる姿をしています。この袋の中には徳がたくさん詰まっています♡
ご利益は、笑門来福の他、子宝や良縁、夫婦円満など◎
2.大阪七福神めぐりについて
江戸時代、江戸の町で人気となった七福神巡拝が大坂でも行われるようになったという記載が、江戸時代に書かれた大坂・摂津の雑記『摂陽奇観』にあります。この中の、享和3年(1803年)を記すページに「今年七福神巡拝発起」とあり、これが大阪七福神めぐりの起源とされています。
大阪七福神の寺社は以下の通りです。
●三光神社(寿老神)
●長久寺(福禄寿)
●法案寺(弁財天)
●大乗坊(毘沙門天)
●大国主神社(大黒天)
●今宮戎神社(恵比寿神)
●四天王寺布袋堂(布袋尊)
2-1.参拝の方法は?
7つの神社・お寺の、どこからスタートしても構いません。後にご紹介するルートなら1日で巡りきることもできますが、必ずしも1日で巡らなければいけないわけでもありません。ご自分のペースで、お好きなところからお参りしてください♡
御朱印をいただく場合は、1社寺につき300円お納めします。七福神詣りに限ることではないですが、寺社では大きなお札を出さず、なるべくお釣りが出ないように小銭を用意しておきましょう。
手持ちの御朱印帳を持参してもよいですが、大阪七福神めぐり専用の色紙もあります!(1500円)
(七福神の絵も描いてあって、全てが揃うと壮観なのでおススメ!)
御朱印の他には絵馬もあります。大きな絵馬は1000円、キーホルダーサイズのかわいらしい豆絵馬は100円。豆絵馬を1つの板に並べて飾るのも素敵ですよ♪
2-2.おすすめルート
もし1日ですべて巡りたいと思っているなら、このルートがおススメです♪
総距離約6.7㎞、移動時間は約1時間半。お参り時間を含めても、朝からスタートすれば十分巡れますよ◎
(三光神社で頂いたオススメルートマップ)
2-3.各社寺のご紹介
七福神だけをただ巡るだけではもったいない。「こんなとこにこんな歴史ある寺社があったの!?」と驚くこと間違いなしなので、ぜひ各お寺・神社について、その歴史について少し知ってみてください♪
でも、混んでたりするとゆっくりお話…といかないこともあるから、ぜひ姫松の話も読んでって★
2-3-1.三光(さんこう)神社
かの有名な戦国武将、真田幸村ゆかりの神社として有名な三光神社!
守りが手薄な大阪城の南側へ徳川勢が攻めてくる!
そう察知した幸村は、わずか1カ月余りで真田丸と呼ばれる砦を作りました。三光神社の社殿の下には、大阪城まで続く抜け穴が今なお残っています。
(真田幸村の像。左奥に見えるのが抜け穴!)
さて、創建はというと第18代反正天皇の御代(406~410年)と伝えられています。
三光神社は古墳時代にできた神社なんやね~!
ご祭神は、天照大神(アマテラスオオカミ)・月読尊(ツクヨミノミコト)・素戔嗚尊(スサノオノミコト)の3柱。七福神の寿老人は、本殿のご祭神ではありません。三光神社は創建以後、代々武内宿祢(たけのうちのすくね)の末裔が神職として奉仕していたのですが、この人物が寿老人の由来とされています。
武内宿祢とは、古代天皇に仕えていた人物で、日本で最初の大臣(今でいう総理大臣みたいなもの)となった人です。仕えた天皇は、第12代景行天皇から第16代仁徳天皇までの5代。
景行天皇の在位は59年間、その次の成務天皇も59年…その次の仲哀天皇は8年と短いですが、早くに亡くなってしまったのでその後は神功皇后が治世を治めていました。そして応神天皇は40年、最後の仁徳天皇は86年…その間ずっと大臣をしていたとなると、その任期は324年!そう、武内宿祢は360歳まで生きたなどとも伝えられている超長寿なお方なのです!
それゆえ、長寿の神として祀られることもあり、三光神社境内にも武内宿祢を祀る末社があります。三光神社では、長寿な武内宿祢が寿老神と重ねられたというわけです。
(末社 野見宿祢社・武内宿祢社・稲荷社)
ホントにミラクル長寿だったのかもしれない…歴史のミステリー。
そして武内宿祢の86代目まで、三光神社の神職をされてたんだって!現在の神職のひいおじいさんの代で武内宿祢の末裔ではなくなったそうなのだけど、武内宿祢の末裔たちはまだ現代日本にもいるんだって…!すご…!
住所:大阪市天王寺区玉造本町14-90
TEL:06-6761-0372
社務所受付時間:平日10:00〜15:00 土日祝9:00〜16:00
アクセス:
・JR環状線「玉造駅」より徒歩5分
・大阪メトロ長堀鶴見緑地線「玉造駅」より徒歩2分
2-3-2.長久寺(ちょうきゅうじ)
三光神社から西へ向かって歩き、谷町筋を渡るとあります日蓮宗のお寺、長久寺。あまりにも近代的なコンクリート造の建物ゆえに、うっかり通り過ぎてしまわないように注意してください!
外見がお寺っぽくない、普通のビルのようだからといって、歴史の浅いお寺というわけではありません。なんとこちらは、「淀殿の寺」と呼ばれている由緒あるお寺!
1579年に創設された長久寺は、その10年後、豊臣秀吉の子・秀頼の武運長久を祈るため、淀殿の命によって本堂が建立されたと伝えられています。
江戸時代の1712年にあった火災で境内のほとんどの建物が燃えてしまいましたが、淀殿が建てた本堂は免れました。その後の第二次世界大戦でも本堂が燃えることはなかったのですが、戦前戦後に行われた近隣道路の拡張や都市計画の際に寺領がかなり縮小されてしまい、昭和37年に淀殿が建てた本堂は奈良の薬師寺へ移築されました。そして、現在のお寺の姿になりました。
趣きがないとか言う人もいるけど、これは時代の移り変わり…姿が変わっても歴史は続いてる。すごいことやで!
そんな長久寺にいらっしゃるのは、福禄寿!なぜ福禄寿が長久寺にいるのか理由はわからないとのことですが、おそらくずっと昔からいらっしゃったそう。
お寺の扉を開いたら、すぐ右手にいらっしゃいます◎
(本来は撮影禁止ですが、特別に許可をいただきました)
【注意】
長久寺さんの七福神は建物の中にいらっしゃるので、参拝は扉が開いている「9:30~15:00」の時間厳守のこと。
また、建物の奥では法事をされていることもあるので、お静かに。お彼岸やお盆の期間など、お寺が忙しい時期は御朱印の対応ができない可能性もあるのでご了承ください。
住所:大阪市中央区谷町8-2-49
TEL:06-6761-1363
開門時間:9:30〜15:00
アクセス:
・大阪メトロ谷町線「谷町6丁目駅」より徒歩5分
・大阪メトロ千日前線「谷町9丁目駅」より徒歩7分
2-3-3.法案寺南坊(ほうあんじなんぼう)
道頓堀のほど近く、外国人も多くひしめく“ザ・ミナミ”感あふれる雑多な街の中に、そこだけがまるで別世界かのような、立派な朱色の山門があります。
弁財天を祀る、法案寺南坊。このお寺を建立したのは、なんと聖徳太子!!
飛鳥時代、推古天皇の御代(593~628年)に、聖徳太子が志宜野(しぎの。現在の大阪市城東区鴫野)に建てたことから、山号を「志宜山」といいます。また、どうすれば仏法が世に広がるだろうかと思案されたところから、「法案寺」という名になったといわれています。
平安時代には隣接していた生國玉神社(今は天王寺にありますが、昔は大阪城のあるあたりにありました)の神宮寺となり、盛衰はあったものの、四天王寺ほどの伽藍を有す大きなお寺でした。
天正11年(1583年)には、豊臣秀吉の大阪城建設のため、生國玉神社とともに現在の天王寺区生玉町へと強制移転させられました。そしてさらに時が経ち、明治維新の廃仏毀釈によって寺領を失いましたが、明治12年に現在の地に再建復興しました。
それまで、日本では神さまも仏さまも一緒に祀ってたけど、「神と仏を分けなさい!」って言って、神社の中にあったお寺を追い出しまくってたんやって…
昭和20年の大阪大空襲では建物すべてが焼け落ちてしまったため、現在の建物は戦後に復興されたものです。
ご本尊は薬師如来ですが、戦火を免れた聖観音と歓喜天が有名で、「日本橋の聖天さん」とも呼ばれています。また、聖観音像は平安時代後期に造られた木造の仏像で、国の重要文化財にも指定されています。(こちらは毎年1月元旦から1週間だけ開帳されます)
そんな歴史深い法案寺南坊は寺院としての格も高く、摂津八十八カ所巡礼の第1番霊場。ですが、大阪七福神めぐりとして注目したいのは、七福神唯一の女神・弁財天。それはそれは美しい木像の弁天さんがお祀りされていますよ♡
住所:大阪市中央区島之内2-10-14
TEL:06-6211-4585
開門時間:10:00〜16:00
アクセス:大阪メトロ堺筋線「日本橋駅」より徒歩5分
2-3-4.大乗坊(だいじょうぼう)
参るまでに何度もメイドさんに声をかけられてしまう日本橋・オタロードの近くにあるお寺、宝満寺大乗坊。広くはない境内では周囲から流れてくる萌え萌えした歌声が聞こえてきますが、一歩本堂の中へ入れば驚くほど静かに澄んだ空気が広がっています。
もともとは四天王寺の北東に位置する牛崎というところにあった崑崙山宝満寺の37院坊のうちの1つでした。
戦国時代、織田信長の石山本願寺の合戦に巻き込まれた宝満寺は燃えてしまいました。しかし、大乗坊の当時の住職がなんとかご本尊の毘沙門天の仏頭だけは守り、現在の日本橋筋あたりへ逃れて草庵を建てて大乗坊のみを再興されました。
江戸時代になると、備前国岡山藩主や船場の商店主、堂島の米問屋などの帰依によって境内は整備・拡張され、「浪速の毘沙門天」として浪速の名所の一つとなりました。
ご本尊の毘沙門天像は秘仏なのですが、毎年5月と11月の第2日曜に御開帳法要が行われます。準備の都合で法要の1週間ほど前からご開帳されているとのことで、私は運よくご開帳している時にお参りに行けました!
(秘仏であるにも関わらず、快く撮影許可していただきました!)
おわかりいただけるでしょうか、毘沙門天が縦に4体並んでいます。
一番奥にあるのが、石山本願寺の合戦時に当時の住職が仏頭だけ持ち出してきた毘沙門天。これは奈良時代のもので、首から下は江戸時代に再建されました。
奥から2番目は江戸時代、その手前は鎌倉時代、一番手前にあるのは江戸時代に建立されたもので、よく見ると時代を追うほど視線が下がっているのがわかります。
ご住職曰く、「古いものは比較的視線はまっすぐ前方を見ている。これは、遠くまで全体を見渡して人々を救っていたから。しかし時代とともに悩み苦しむ人々が増え、すぐ側まで集まってきたから下方を見てるんですよ」
また、奥の毘沙門天の左右には、妻の吉祥天(きっしょうてん)像・子の善膩師童子(ぜんにしどうじ)像もあり、それらは桃山時代の作といわれています。それらの手前には毘沙門天の眷属である剱鎧童子(けんがいどうじ)・空鉢竜王(くうはつりゅうおう)の像、そしてさらに、大黒天と弁財天も祀られています。弁財天は吉祥天の妹で、大黒天は毘沙門天の義兄弟にあたります。
さらにご住職は、「毘沙門天曼荼羅」を見せてくださいました。これは、毘沙門天を中心に、吉祥天と剱鎧童子、空鉢竜王、そして善膩師童子を含む5人の子供、8人の義兄弟(八夜叉)、28人の使者(二十八使者)が描かれた曼荼羅です。
これは、奥さんや子供や親族たちと一緒に祀られてるからなんやね!
かの有名な戦国武将・武田信玄も毘沙門天を祀っていたといわれているのだけど、武運の神としてよりも、国の民の平和を願って祀っていたのだと、ご住職が教えてくれたよ
もし、ご開帳されていなくてもぜひ見ていただきたいのが、毘沙門天像を納めている大きな厨子。
大正時代に作られた本堂一体の耐火収蔵庫型厨子で、収蔵庫型厨子としては極めて早い年代の物で他に類例がありません。大阪大空襲の際に本堂は焼けてしまいましたが、この厨子のおかげで内部の仏像は焼失を免れ、現在に至ります。(現在の本堂はこの厨子を組み込む形で1960年に再建されたもの)
でも、ご住職の説明があってこそ!いろんな興味深いお話ありがとうございました♡
(おみくじを結んでいる石柱には、よく見るとムカデが彫られています。
気持ち悪い…けど、ムカデは毘沙門天の使いの生き物なのですよ)
住所:大阪市浪速区日本橋3-6-13
TEL:06-6643-4078
開門時間:6:00〜18:00
アクセス:
・大阪メトロ各線「なんば駅」より徒歩10分
・大阪メトロ堺筋線、千日前線「日本橋駅」より徒歩8分
2-3-5.大国主(おおくにぬし)神社
(南の鳥居の正面には敷津松之宮)
大阪木津卸売市場の近くにある、敷津松之宮 大国主神社。大国主神社は敷津松之宮の摂社なのですが、こちらの方が有名であるため、地元では「木津の大国さん」と呼ばれています。
(東の鳥居の正面には大国主神社があります)
神功皇后(仁徳天皇のおばあちゃん)が三韓征伐後、住吉大社へ凱旋報告へ向かう途中の敷津浦を航海されたとき、敷津浜に荒波が打ち寄せられるのを見て、
「ここから先潮が満ちちゃダメ!」と渚に松の木を3本植えて素戔嗚尊をお祀りになり、航海の安全を祈られました。これが、敷津松之宮の由来です。
大国主神社は、江戸時代1744年に御神託があり、出雲大社の神を勧請して建立されました。以来、今宮戎神社と並んで大阪市外からの参拝が多い神社となりました。
ちなみに、戎橋も今宮戎神社への参道に由来するよ!
大国主神社では「種銭」という金運アップのお守りが大人気です。「お金をつくる種」という意味があって、財布に入れておくと効果があるのだとか。「種銭を手に入れたら宝くじが当たった」とか「収入がアップした」などとテレビでも取り上げられているので、ご存じの方も多いのでは?七福神めぐりの御朱印とともにいかがでしょうか♪
住所:大阪市浪速区敷津西1-2-12
TEL:06-6641-4353
社務所受付時間:9:00〜16:00
アクセス:大阪メトロ四つ橋線、御堂筋線「大国町駅」より徒歩2分
2-3-6.今宮戎(いまみやえびす)神社
大阪でえべっさんと言えばここですね!
毎年1月10日の十日戎には、宵戎・本戎・残り戎の3日間で100万人が訪れるという、ご存じ今宮戎神社。
何も祭事のない日に行くと、十日戎の人出が嘘のように静かな境内で、ゆっくりお参りすることができます。
今宮戎神社の創建は古く、聖徳太子が四天王寺を建立した際に、この地の西方守護神としてお祀りしたのが始まりです。ご祭神は天照皇大神(アマテラススメオオミカミ)、事代主命(コトシロヌシノミコト)、素戔嗚尊(スサノオノミコト)、月読尊(ツクヨミノミコト)、稚日女尊(ワカヒメノミコト)の5柱ですが、「えべっさん」といわれているのは「事代主命」です。
かつてこの地のすぐそばには海岸があり、平安時代中頃には宮中に鮮魚を納めるために漁師たちは今宮戎神社のえびす様に大漁祈願をしていたそうです(海からの帰路、都への道中の安全祈願なども)。
平安時代末期には四天王寺の西門に「浜の市」が開かれるようになり、その守り神としても祀られるようになりました。時代とともに市場はよりにぎやかさを増し、商業が発展すると、えびす様は商売繁盛の神として庶民に厚く信仰されるように。
大坂が「天下の台所」と呼ばれるほど商業が盛んになった江戸時代に、十日戎の行事も賑わいを見せるようになり、元禄期(1680年~)には今日と同じような祭礼をするようになりました。
えべっさんを祀ってる神社自体西日本に比べるとだいぶ少ないみたいやし、十日戎の祭事もあんまり認知されてないんやって。
大阪と違って関東以北では農業を生業とする人が多かったから、コテコテの商売人が多い関西とは文化が違うのよね。
もちろん、商売繁盛と福を願うのは西も東も皆一緒だから、関東でも少しずつえべっさんが知られるようになってってん。
江戸時代後期の『享和雑記』によると荒川区にある青雲寺にえべっさんが祀られてるという記載があったり、明治になると群馬の桐生で西宮神社の分霊を勧請して祀るようになったんやって~。
東の人!ぜひ大阪の十日戎に来てみ!すっっっっごい賑やかやで~~(笑)
今宮戎神社では独特のお参りの仕方があります。まず本殿正面に向かって普通にお参りをして、その後社殿の裏側へと回って、もう一度お参りします。裏側には銅鑼があり、これを叩いて念を押すのです。神さまに念押しで後ろからバンバン銅鑼を叩くなんて無礼な、と思われるかもしれませんが、「神さん頼んまっせ!」という大阪人らしさが溢れていると思ってください(笑)
今宮戎のえべっさんなら、「しゃ~ないな~ホンマにもぅ」なんて言いながらニコニコ笑って聞いてくれてるんかな…?(笑)
住所:大阪市浪速区恵美須西1-6-10
TEL:06-6643-0150
社務所受付時間:9:00〜17:00
アクセス:
・大阪メトロ四つ橋線・御堂筋線「大国町駅」より徒歩5分
・大阪メトロ堺筋線「恵美須町駅」より徒歩5分
・南海高野線「今宮戎駅」すぐ
・阪堺線「恵美須町駅」より徒歩5分
2-3-7.四天王寺布袋堂(してんのうじほていどう)
いわずと知れた聖徳太子建立の、日本仏法最初の官寺、四天王寺。
その広い境内の中の、西門の石鳥居から入り極楽門をくぐる手前、右手にある布袋堂が、大阪七福神めぐりのポイントです。
なぜ四天王寺で布袋尊が祀られているのかはわかりませんが、昔からお祀りされていたそうです。
寺伝によると、その昔、この場所では聖徳太子の乳母が祀られていたこともあり、四天王寺の布袋尊は「乳布袋(乳のおんばさん)」と呼ばれて信仰されています。
産後お乳の出が悪い方は、宝前に絵馬を奉納してあんころ餅を供えて祈願し、そのお供え物をいただくとお乳がよく出るようになるといわれています。(※現在はあんころ餅のお供えはしていません)
また、胸に凝りができて困った時には「乳預け」の願をかけるとすぐに応験があるそうです。
産婦の母乳に関すること以外でも、乳がんや様々な胸の悩みにご利益があるとされています。
笑っちゃいけないんだけど…斬新なお守りだなぁ…
「乳布袋」だからといって、お乳が豊満な布袋さんがいるわけではありません。ふくよかな体と、“ニッコリ”とはこのことと言わんばかりに弧を描いた目が印象的な石造りの布袋尊がお祭りされています。胸の悩みに限らず、その笑顔にぜひ心を預けてみてください♪
四天王寺は再三戦や戦争で燃えていて、いつの時代のものかわからなくなるんだって
さて、四天王寺へお参りに来るほとんどの方は西門から入られると思います。七福神めぐりでおススメのルートで巡ってきたら、十中八九西門から入られるでしょう。
西門をくぐれば布袋堂へはすぐにたどり着けるので、本堂にお参りせずに満足してしまう方も中にはいらっしゃるようですが…それはとてももったいない!
崇仏派の蘇我氏と排仏派の物部氏が戦った際に、蘇我氏側の聖徳太子が「勝てば四天王を安置する寺を建立し、この世の全ての人々を救済する」と誓願、見事勝利し、誓いを果たすために建立された四天王寺。幾多の戦や台風、戦争により焼失を繰り返したため、建立当初の建造物は残っていません。しかし、当時と変わらぬ構造で復興されている伽藍は「四天王寺伽藍」といわれるもので、日本最古の伽藍形式。回廊から五重塔や金堂を見れば、太子も同じ景色を見ていたかもしれないと思うとドキドキしますよ。
【注意】
七福神めぐりのおすすめルート的に、1日で七福神すべて巡った場合に最後に四天王寺に訪れる方が多いと思います。四天王寺は24時間門が開いていて、お堂の外側からのお参りは何時でもできます。
ただし、ご朱印がいただける納経所は夕方の4時に閉まります。
夕方ギリギリに駆け込んで来る方や、閉所後に「御朱印ください」と問合せてくる方もいるようですが、必ず時間には余裕をもってお参りくださいませ。
住所:大阪市天王寺区四天王寺1-11-18
TEL:06-6771-0066
納経所受付時間:4~9月8:30〜16:30 10~3月8:30〜16:00
アクセス:
・JR環状線、大阪メトロ各線「天王寺駅」より徒歩12分
・大阪メトロ谷町線「四天王寺夕陽ケ丘駅」より徒歩5分
・近鉄南大阪線「阿部野橋駅」より徒歩14分
3.最寄りの美味しいお店も紹介♪
旅の始まり、旅の道中におすすめのお店を紹介します♪どこもほっこり素敵なところばかりなので…思わずのんびりしすぎちゃって寺社に駆け込む、なんてことにならないようにだけ、注意ですよ!(笑)
3-1.三光神社最寄り!七福神めぐりスタートにぴったりな朝ごはん「こち かぜ」
もし大阪七福神めぐりをおすすめルートを1日で参ろうと考えているなら、朝ごはんから素敵にキメちゃいませんか!
こちらは三光神社すぐ近くにある、こぢんまりとした古民家風のカフェ「こち かぜ」さん♪
店内は広くはありませんが、ゆったりした雰囲気でとても落ち着けます♪
そして、こちらでいただける朝食はほっこり優しい「朝がゆ」セット!
コーヒーショップでサンドイッチを食べるより、七福神めぐりの朝ごはんにぴったりではないでしょうか?(笑)
(朝はパン!という方には、「蒸しパン」セットというのもあります◎)
この日のお粥はほうじ茶粥。香ばしさとお粥のとろみが空腹に染み渡ってゆきます…。
右端にある生姜風味の出汁のあんや、かつおでんぷをかけて味変するのも◎
お茶の葉の佃煮やキュウリの糠漬けもおいしい!あっさり味の出汁巻きや、春らしい木の芽の入った筍の煮物も、おかずすべてお粥に合います♪
小さなおかずを少しずつ、あつあつのお粥をはふはふ食べていると、お腹も心もほかほか満たされて、最高の朝時間でした!
けっこう量があるので、お粥とはいえ満腹になりますよ!
お昼ごはんには松花堂弁当やミニ懐石コースなどもあります。
お茶屋さんなので、和菓子やあんみつもあって、おすすめルートの逆向きで参った場合はお茶休憩にも◎
そして、かき氷がたくさん種類あって有名なのですよ!
お茶屋さんらしい宇治金時や白玉がのったもの、甘酒やお豆腐を使った変わり種や、野菜をペーストにしたものや、木の芽風味のシロップに白味噌なんて組み合わせも!
これから暑くなるので、旅の終わりをかき氷で〆るのもいいですよね♪(朝から食べたい人は朝からでもどうぞ★)
住所:大阪市天王寺区空清町2−22
TEL:06−6766−6505
営業時間:9:00〜17:00
定休日:HPにてお知らせ
アクセス:
・大阪メトロ長堀鶴見緑地線「玉造駅」より徒歩7分
・JR環状線「玉造駅」より徒歩10分
3-2.長久寺最寄り!のんびり休憩に「パカラ堂」
三光神社、長久寺…と来て、まだ疲れてはいないかもしれませんが、法案寺へ行く前に小休憩などいかがでしょうか(笑)
私は数日に分けて行ったので、午後に法案寺さんへ参った足でこちらにやってきました。
大阪七福神とは関係ありませんが、由緒ある高津宮の参道すぐ隣にあります、「パカラ堂」さん。
「パカラ」というのは〈解放の音〉。「パカラーーーーっとアタマもココロもおっぴろげて、ほんわかと過ごせる菓子処でありたい」という店主さんの想いが店名になっています♡
広くはない店内ですが、パカラ~っとするにはちょうどいい雰囲気。
お友達とおしゃべりに興じるお客さんもいれば、店内の書棚から本を取り読書にふけるおひとり様など、自由な空気が漂っていました。
お店に入るとすぐにショーケースがあり、いろんな味のチーズケーキや様々なタルト、焼き菓子が並んでいます。先に注文とお会計をしてから席へ。窓際の席で、チーズケーキ(450円)とアイスコーヒー(550円)(ドリンクとケーキを一緒に注文すると50円引き)をいただきました♪
だるまと謎のぬいぐるみの視線を感じながら…シーサーのおしりを見ていると、頭からっぽになるしかありません(笑)
チーズケーキはふわっとなめらかで、スフレでもなくベイクドでもなく不思議な食感!そしてとってもミルク感のある優しい味わい。すっきりした苦みのアイスコーヒーに合います◎
だるまの他にも、なんとも言えない絶妙な置物があちこちにあって、一口食べてはほっこりして、謎の置物にへらりと笑ってみたりして…至福のひとときでした(笑)
七福神めぐりの休憩に、なんなら人生の休憩にも立ち寄りたいカフェ、おすすめです♪
住所:大阪市中央区高津1−1−29
TEL:06−4305−7150
営業時間:11:00〜19:00(カフェ営業 ~18:00)
定休日:月・火曜
アクセス:大阪メトロ谷町線「谷町9丁目駅」より徒歩4分
3-3.大国主神社最寄り!奥なんばにある和菓子の老舗「浪芳庵」
知る人ぞ知る、奥なんばの名店、「浪芳庵」さん!
なんばパークスよりさらに10分ほど南下した“奥なんば”は、飲食店も商業施設も少ないので、あまりぶらりと立ち寄ることはないエリアではないでしょうか?そんな場所に、なんと1858年創業の老舗の和菓子屋さんがあるのです!
一見料亭か旅館かと見紛う佇まい。
法案寺~大乗坊のあたりは人が多くてガヤガヤしていますが、そこから大国主神社へ向かう道中にこんな都会のオアシスがあるのですよ…!のれんをくぐって、正面はショップ、右手側にカフェがあります。
老舗和菓子屋さんですが、店内は古臭いわけではなく、とってもモダンで大人な雰囲気。
どら焼きやあんドーナツ、わらび餅にぜんざいなど、和菓子屋さんらしいメニューの中で一番人気は「炙りみたらし」。ドリンクセットとはいえ、みたらし3本で1,815円という価格に少し怯んでしまいましたが…
作りたて、炙りたてのだんごが、壺に入ったたっぷりのみたらし餡に浸って登場。
しかも、餡が冷えないように、料亭でいただくお鍋のように固形燃料で壺を温められています!
ほんのり甘く、また炙ったところが香ばしいできたてのだんごはとってもやわらかく、甘じょっぱいみたらし餡をたっぷりまとうと至福の味!しっかり濃い味ですが、ひとりで3本ぺろりと食べられちゃうくらい美味しいです。
右に添えられているバニラアイスには、温かいみたらし餡をかけていただきます。
もう、口の中が超幸せになります…♡
考えた人天才…!
餡がたっぷりなので、だんごやバニラアイスを追加することもできます!お友達とシェアすることもできますよ♪
こちらは「もちあんドーナツわがままセット」(1,595円)。
これまた作り立てのあんドーナツが、アルミホイルに包まれて冷めないように提供されます!中にはこしあんと、炙りみたらしで使用されているだんごが入っています。
わがままセットにはドーナツの上にバター、そして別添えでつぶあんと生クリームがたっぷり…♡
サクッ、ふわっ、もちっ…あんこは上品な甘さで、揚げてあっても全然くどくなく、最後の一口まで美味しくいただけます♪
ドリンクはコーヒーや紅茶、各種ラテなどもありますが、甘味をいただくなら日本茶がおすすめ!
ホットでもアイスでも、急須とポットで提供され、たっぷり3杯分あります♪
茶葉の蒸らし方、1杯目から最後の一滴までの美味しい飲み方など、お店の方がとても丁寧に説明してくださいます。
注意しなくてはいけなないのが、完全予約制であること。
思い立って七福神めぐりに出かけるのは良いですが、浪芳庵のカフェへは計画的に!
席の時間も75分と決められていますが、この上なく贅沢な75分を過ごすことができます…♡
店員さんは皆さん丁寧に商品の紹介をしてくださいますし、100%美味しいものを提供するという姿勢が素晴らしく、これこそが老舗か…と感動しました。
最初にお値段に少しびっくりしてしまうかもしれませんが、非日常的な幸せなひとときを過ごせることはまちがいないので、ぜひ皆さま、出来立ての甘味をご賞味ください♡
住所:大阪市浪速区敷津東1−7−31
TEL:06−6641−5886
営業時間:平日11:00〜18:15 土日祝11:00~18:45
定休日:不定休
アクセス:
・大阪メトロ四つ橋線、御堂筋線「大国町駅」より徒歩5分
・南海線「難波駅」より徒歩15分
3-4.四天王寺最寄り!京都に負けない美味しい抹茶「四天王寺茶屋」
四天王寺の西の鳥居のすぐ手前にある、「四天王寺茶屋」さん!七福神を巡り切ったあとに立ち寄るのにぴったりですが、四天王寺スタートでランチをいただくのにもおすすめです♪
限定5食のおにぎり定食をブランチにして出発するのもあり◎
私は旅の終わりだったのでスイーツセットにしました♪
「四天王寺ロール」と玉露のセット。しっとりしたスポンジは抹茶の風味が濃くて、抹茶好きにはたまりません♡
生クリームは栗のペーストが入ってほんのり栗味、さらに栗の甘露煮も入っていて、抹茶に合います◎
真ん中に見える半透明の四角いものは、わらび餅。
とろっとやわらかくて、不思議な食感だけど美味しい♪
寺院も抹茶も京都のイメージがありますが、なんのなんの、天王寺も負けてません!
抹茶スイーツを楽しんでいる欧米人のお客さんの姿もありましたが、京都もいいけど大阪にも歴史ある寺社も抹茶の美味しいお店もあること、もっともっと広まればいいなと思います◎
住所:大阪市天王寺区四天王寺1−11−70
TEL:050−5492−3651
営業時間:10:00〜17:30
定休日:無休 年末年始(要確認)
アクセス:
・JR環状線、大阪メトロ各線「天王寺駅」より徒歩8分
・大阪メトロ谷町線「四天王寺夕陽ケ丘駅」より徒歩5分
・近鉄南大阪線「阿部野橋駅」より徒歩10分
4.まとめ
いかがだったでしょうか?
わざわざ京都や奈良へ行かずとも、由緒ある寺社が大阪市内にもあるんですよ!
行きなれた街の中でいつもと違う景色を発見することもできる大阪七福神めぐり。
福あつめだけではなく、ぜひ寺社の歴史にも触れてみてくださいね♪
最後に…七福神はなぜ宝船に乗っているのかご存じでしょうか?
恵比寿神の項でも書きましたが、昔は海の向こうに神の国があったと考えられていたため、神さまたちは船に乗ってやってくるのです◎
船の形をしていますが、「これは神さまの使いの龍の化身なんですよ」と、大乗坊のご住職が教えてくださいました。
七福神、もとは福禄寿と寿老神は同一と考えられていたとか、その代わりに吉祥天がいた、とか…掘り下げればまだまだお話は出てきます。
ただ御朱印をいただくだけではなく、寺社の方にお話を伺うことができたら、もっと楽しくなりますよ♪
〈参考文献〉
「天台宗公式ホームページ 法話集No.59七福神」
https://www.tendai.or.jp/houwashuu/kiji.php?nid=61
「浅草名所七福神」
http://www.asakusa7.jp/konjaku.html
「エビスマガジン」
https://y.sapporobeer.jp/culture/2305/