【恋人の聖地】縁結びの最強パワースポット!露天神社
言わずと知れた縁結びの最強パワースポット、大都会梅田の中心にある神社・お初天神!
大阪人なら1度は訪れたことがある人も多いのではないでしょうか。他府県の方、外国の方もたくさん訪れる、大阪の観光名所の1つでもありますね!
「お初天神」は通称であり、正式名称は「露天神社(つゆのてんじんじゃ)」ということをご存じでしょうか?
どれくらい昔からあって、どんな神さまが祀られていて、どうして縁結びのご利益があるのか…ご存じですか?
イケメン彼氏ほしい!かわいいお守り!映える神社!…と勢いでお参りする前に、ぜひその歴史や由来についても知ってみてくださいね♪
1.曽根崎の歴史と神社創建について
現在、梅田の一等地にあり四方を高いビルで囲まれた露天神社さんですが、その創建年代は定かではないものの、およそ1300年の歴史を持つ古社であることを意外と知らない人も多いのではないでしょうか。
1-1.太古の梅田
今でこそ日本第2の都市の中心地として栄えている梅田ですが、昔々はまともに陸地もありませんでした。
今からおよそ1万年前の縄文時代、大阪平野のほとんどは海でした。「河内湾」と呼ばれ、上町台地が半島状に突き出しているだけで、生駒山麓まで海水が広がっていたそうです。
その後、淀川や大和川から流れてきた砂が堆積してきて、弥生時代には「河内潟」となり、次第に水は淡水化して「河内湖」となりました。そしてその時代、現在の北区・福島区一帯には、無数の島々が点在していました。
島はいっぱいあるし出口は細いしで、複雑で早い潮の流れがあったんやろね。
だから「浪速(なみはや)」とか「難波(なにわ)」って呼ばれるようになった、って伝わってるよ
1-2.難波八十島祭旧跡の一社
無数の島々が点在していた頃、淀川河口に曽根洲(そねのしま)と呼ばれる砂洲の荒れた孤島がありました。そこに住吉須牟地曽根ノ神(すみよしすむちそねのかみ)を祀りご鎮座されていたと伝えられています。
今はこんなにも豊かな梅田の地だけど、大昔は荒地だったなんて想像もつかないよねぇ
荒れた小さな島に祀られた神さまながら、そこは難波八十島祭の一社でした。
難波八十島祭というのは平安時代から鎌倉時代中期まで行われていた皇位継承の儀式の一つで、淀川流域の島々を「難波八十島」といい、これを日本の国土である「大八洲(おおやしま)」に見立ててその島々の神霊を天皇に遷すというもの。
露天神社さんはその儀礼の旧跡といわれ、須牟地曽根神社はここにあったとされています。
1-3.中世以降の曽根崎
難波八十島祭が執り行われていたとはいえ、平安時代の曽根崎は人が住めない湿地帯でした。
南北朝時代になると「曽根洲」が地続きの「曽根崎」となり、人が移住して田畑を拓き農事を始め、露天神社さんを鎮守神として曽根崎村が起こりました。
江戸時代になると、現在の寺町通りと新御堂筋に囲まれた地域はほぼ市街化し、中之島や堂島周辺には蔵屋敷が立ち並び「天下の台所」と呼ばれるようになりましたが、まだまだ田園も多く、曽根崎村ものどかな地域でした。
露天神社さんも森の中にある神社やったんやで!
2.社名の由来
901年、京の都から筑紫へと左遷配流される途中の菅原道真公がこの地で詠んだ歌があります。
「露と散る涙に袖は朽ちにけり 都のことを思い出ずれば」
これが社名の由来であると、『摂津名所図会』(1796〜98年に刊行された、江戸時代の観光案内書)に記載されています。
『摂陽郡談』(江戸時代に編纂された摂津国の地誌)には、入梅の時期に祭礼をすることから「梅雨天神」と称すると書かれています。またあるいは、梅雨時期になると清水が湧き溢れる井戸があることが由来であるとも伝えられています。
また後で境内紹介のとこで紹介するね!
3.曽根崎心中の舞台
――この世のなごり 夜もなごり 死にに行く身をたとふれば
あだしが原の道の霜 一足づヽに消えて行く。――
近松門左衛門の『曽根崎心中』。人形浄瑠璃や歌舞伎を見たことがない人でも、この物語を知っている人は多いのではないでしょうか。
元禄16年(1703年)に実際に起こった心中事件…
堂島新地天満屋の遊女・お初と醤油屋に勤める徳兵衛、2人は恋仲でした。しかしお初は結婚相手を選べる立場になく、また徳兵衛も店の店主に勝手に縁談を進められていました。
徳兵衛が縁談を渋るために、店主は徳兵衛の継母に大金を渡し話をつけました。それを知った徳兵衛はお金を主人に返すために継母より取り戻しましたが、親友に懇願されそのお金を貸してしまいます。
しかし約束の日を過ぎても友はお金を返してはくれず、返せと迫れば「金など借りていない」という始末。さらに徳兵衛は店の金を使い込んだと町中に嘘を吹聴して周り、嘘を信じた町の人々や店主からの信用を失い追われる身に。
どうせ生きて結ばれないのなら、愛をまっとうして共に死にましょう、天国で夫婦になりましょう…
真夜中、ふたりは手を取り合って曽根崎の露天神の森へと向かい、愛と名誉を守ため、固く誓い合って心中を果たしたのでした。
露天神社さんが縁結びのパワースポットといわれる所以は、お初と徳兵衛の恋物語にあやかったもので、ふたりのように強い絆で結ばれたいと願うカップルが、今もたくさん訪れてるんやね!
露天神社さんの通称「お初天神」は、曽根崎心中のお初さんにちなんで呼ばれるようになったものなんやで〜
4.御祭神について
4-1.少彦名大神(すくなひこなのおおかみ)
海の彼方にある常世の国より、光り輝きながらやってきたとされる小さな神さま。大國主大神(おおくにぬしのおおかみ。別名・大己貴大神)とともに国造りをされたといわれており、国土経営の守護神として崇められています。また『日本書紀』では医学・薬学の祖神といわれており、病気平癒のご利益があります。
4-2.大己貴大神(おおむなちのおおかみ)
日本神話に登場する、国造りの神さま。天下を経営し病を療する方法を定められたと伝えられています。国造りの偉業から、国土経営・産業開発・商売繁盛などのご利益があり、また恋多き神さまとして伝えられ、多くの妻を持ち子どももたくさんいることから、縁結び・子授かり・夫婦和合のご利益もあります。
4-3.天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)
天上世界を治める太陽を司る女神であり、八百万の神々の最高位に位置する神さま。万物に光を
注ぐ太陽の力は、五穀豊穣や諸願成就や開運など、あらゆるご神徳があります。
4-4.豊受姫大神(とようけひめのおおかみ)
食物・穀物の神さまで、五穀豊穣のご利益があります。天照皇大神のお食事を司る御饌都神(みけつかみ)として丹波国より伊勢へ迎えられ、伊勢神宮の外宮にお祀りされている神さま。
4-5.菅原道真公(すがわらみちざねこう)
言わずと知れた学問の神。露天神社さんに祀られたのは、1622年のこと。大坂夏の陣の兵火で焼失した社殿を再建する際、その御霊代として後陽成天皇より御神名御宸筆を賜り相殿に合祀されました。
5.境内ご紹介
東梅田の大きなビル群の中に露天神社さんはございます。東西南北に入口がありますが、こちらが南の表鳥居。
お初天神商店街の入口横に、西の鳥居があります。
さすがは梅田の一等地、駅からもすぐのビジネス街。平日の午前中でも観光の方もいれば仕事途中にお参りに来るビジネスマンの姿もあり、境内はいつでも賑わっています。
5-1.社殿
手水舎にて心身を清めたら、まずは御祭神へお参りを。現在の社殿は、旧社殿が太平洋戦争で焼失したため昭和32年に造営されたものです。
5-2.開運稲荷社(かいうんいなりしゃ)
(珍しいピンク色の鳥居!)
境内西側に、稲荷社があります。
鳥居をくぐるとカラフルな提灯のトンネルが。この先にあるのが、末社の開運稲荷社です。
明治42年に起きた「北の大火」と呼ばれる大きな火災により、露天神社さんの近くに祀られていた4社の稲荷社が焼失してしまいました。翌年、この4社を境内地に合祀しお祀りしたものです。
古くは皮膚病の治癒を願って「鯰」の絵馬が数多く掛けられ、多くの人がお参りに来ていたそう。社殿正面を見上げると、「美肌祈願」「美人祈願」と書かれたナマズの彫り物が掲げられています。
もちろんお稲荷さんだから、商売繁盛に五穀豊穣といった御神徳もあるよ〜
5-3.水天宮(すいてんぐう)金刀比羅宮(ことひらぐう)
ご本殿向かって右側には、水天宮・金刀比羅宮の社殿があります。
もともと水天宮は1797年に大阪中之島にあった久留米藩蔵屋敷内に祀られたお社でした。明治維新の際、蔵屋敷は朝廷に返上されたため、水天宮の御神霊は丸亀藩蔵屋敷に祀られていた金刀比羅宮に合祀されました。しかし丸亀藩蔵屋敷も返上することになり、高松藩蔵屋敷内の金刀比羅宮へと遷され、その後堂島2丁目に遷座されるも、「北の大火」により社殿が被災したため露天神社さんの境内に遷され今に至ります。
水天宮の総本社は福岡県久留米市にあります。水天宮にお祀りされている安徳(あんとく)天皇は、歴代の天皇の中でも最も若くして崩御されたお方。源平最後の合戦である壇ノ浦の戦いで、平清盛の血を引く安徳天皇は源氏の軍船に取り囲まれ、祖母に抱かれながら母とともに入水したのです。
この時、女官もともに入水しようとしたのですが安徳天皇の祖母に止められ、「お前は生きて、我らの霊を慰めよ」と託されたため、ひとり逃げて安徳天皇とその一族の霊を慰める祠を建てました。これが水天宮の起源と伝えられています。
次第に水天宮は霊験あらたかであると周辺の民に称えられ、久留米藩主より現在の久留米市瀬下町に敷地が寄進され社殿が造られました。安徳天皇はわずか8歳で犠牲となるも万民を救う尊い神として大きな信仰を集めたのでした。
東京の水天宮が有名やけど、これも江戸の屋敷内に祀られてたのが始まり。
でも大阪の方が21年早よから祀られてたよ!
安徳天皇の御神徳から、水天宮には児童守護や安産など、子どもにまつわる御利益があると言われています。
5-4.難波神明社
境内の東にあります。「神明社」とは、天照皇大神や伊勢内外宮の神さまをお祀りした神社のこと。
かつては「夕日の神明」とも称されたこの神社は、平安時代初期に源融公が現在の西天満伊勢町あたりの孤島に祀られたのが始まりといわれています。
かつては大いに栄え境内も広大でしたが、1834年に起こった火災で社殿が消失すると次第に社勢も衰え、さらに「北の大火」でも被災し、翌年の明治43年に露天神社さんに合祀されることになりました。
3つ合わせて「大阪三神明」って呼ばれてたんやって〜
5-5.神牛舎
菅原道真公をお祀りする神社には必ずある神牛さん。「撫で牛さん」とも呼ばれ、己の身体の病むところと神牛さんとを交互に撫でると身代わりになってくださるという信仰が古来よりあります。
道真公と牛の関係は多々あります。道真公が丑の年・丑の刻に生まれたこと、牛をよく愛でていたこと。また、道真公は亡くなる間際、「人にひかせず牛の行くところに止めよ」との遺言を遺し、亡骸を牛車でお運びする途中で車を曳く牛が座り込んで動かなくなった場所に埋葬されたといわれています。
5-6.御井社・祓戸社
この社殿の真下には、露天神社さんの社名の由来の一説とされる「露の井戸」があります。かつては「浪速七名井」の一つとして、周辺地域や社有地横を通る池田街道を行き交う人々にとって貴重な清水とされていました。
梅雨の時期には清水が湧き溢れたと伝えられていますが、地下鉄や高層ビル群の建設などにより地下水脈が分断された現在は、水位が著しく低下してしまいました。
5-7.曽根崎心中 ゆかりの碑
昭和47年7月に建てられた、「曽根崎心中 お初 徳兵衛 ゆかりの地」と刻まれた石碑。
石碑の手前には、平成16年に建立されたお初と徳兵衛のブロンズ像も。
この石碑がある場所には恋愛成就を願う絵馬がたくさん納められています。
授与所で授かったらブロンズ像の正面にある小さな手水で水をかけると文字が浮かび上がるよ♪
「お初・徳兵衛 恋の手本になりにけり」ってあるし、ふたりに恋の行末見守ってもらお…!
5-8.恋人の聖地
今風なイラストのお初さんと徳兵衛さんが目印。「恋人の聖地」として定められた証が掲げられています。全国に138ヵ所ある「恋人の聖地」(2024年2月現在)。露天神社さんは2013年に選定されました。
お初さんと徳兵衛さんに後押しされて、お初天神で告白…♡
「恋人の聖地」は梅田のスカイビルも有名よね〜
「未来成仏うたがひなき 恋の手本となりにけり」
告白成功したらぜひこの顔出しパネルでツーショットを記念に♡
6.授与品いろいろ
厄除け、健康、交通安全、学業などなど、いろんなお守りがありますが、ここでは縁結びの授与品をどどんとご紹介!縁結びだけでもすごくたくさん種類があるんですよ…!
6-1.縁結びのお守り
古風な形のものや、貝御守、桜でハート型になっているかわいいものまでいろいろ♡
色違いのお揃いを恋人と一緒に持っていれば、お初さんと徳兵衛さんのように永遠に結ばれるかも…?
6-2.絵馬
境内にもたくさん奉納されていたハート型の絵馬♡今風なお初&徳兵衛バージョンと、「恋人の聖地」と書かれたバージョンがあります。
こちらは「縁結び手鏡絵馬」。二つ並べるとお初さんと徳兵衛さんが見つめ合う、手鏡形をした絵馬です♡ぜひ恋人同士で願い事書いてみてくださいね♪
住所:大阪市北区曽根崎2丁目5番4号
⇒地図を見る
TEL:06-6311-0895
時間:6:00〜24:00(社務所 9:00~18:00)
アクセス:
・大阪市営地下鉄谷町線 東梅田駅
・大阪市営地下鉄御堂筋線
・阪急電鉄・阪神電鉄 梅田駅
・大阪市営地下鉄四ツ橋線 西梅田駅
・JR 大阪駅
・JR 東西線 北新地駅
より徒歩約5~10分
7. 最寄りの素敵なお店
露天神社さんは梅田のど真ん中にあるので、すぐ近くに美味しいお店もおしゃれなお店もごまんとありますが…
そんな中でも、超!最寄りのおすすめのお店をご紹介★
7-1.瓢亭(ひょうてい)
露天神社さんより徒歩0分!神社の東側にある路地にある、昭和27年創業の老舗おそば屋さん。
車も通れないような路地(通れるのかもしれないけど、すっっごく細い)にあって、しかも老舗のおそば屋さん…なんて、なかなか1人で入るのに勇気がいりますよね。
日が差し込まないので昼間でもしっぽりと薄暗い、趣のある店内。
ちょっと身構えてしまいましたが、店員さんは気さくな方ばかりなので一安心。
こちらの名物は「夕霧そば」。細かくすりおろした柚子の上皮を真っ白なそば粉に混ぜて打った変わり蕎麦とのことですが、味の想像がつきません…。
店内は温かかったので冷たい夕霧そばを。ざるそばをイメージしていると、その白さに驚きます。
そして、つゆの中には生卵!麺からふんわり柚子の香りがして、ひと口食べると鼻に柚子の香りが抜けてなんとも上品な味わい。卵は軽くほぐす程度にして絡めると、まったりとしてより美味しい◎
初めて食べましたが、こんなに美味しいおそばは初めてと思うくらい、感動しているうちに最後のひと口まであっという間に食べちゃいました。最後にはそば湯も下さってほっこり♡
「夕霧そば」という名前は、評論家の鳥江鉄也氏が、「色や香りの優れたこのそばをぜひ大阪唯一の名物そばとして育つように」と、近松門左衛門作「廓文章」吉田屋の夕霧大夫にちなんでつけられたもの。
瓢亭さんにはこの他、そば粉に梅肉とシソ酢を混ぜて打った淡い紅色の「お初そば」もあります。もちろんこれは、お初天神のお初さんにちなんだもの♪
露天神社さんお参り帰りには、ぜひ瓢亭さんへどうぞ!
住所:大阪市北区曽根崎2-2-7
電話番号:06-6311-5041
営業時間:
月〜金 11:00〜23:00(L.O.22:30)
土 11:00〜22:30(L.O.22:00)
定休日:日曜・祝日
アクセス:大阪メトロ谷町線東梅田駅・JR北新地駅より徒歩5分
7-2.ルミステールお初天神店
こちらも露天神社さんより徒歩0分、神社東側の路地、瓢亭さんのすぐ隣にあります!
築70年を超える3階建ての蔵をリノベーションしたカフェ、「ルミステール」さん。
窓がなく、昼間でも暗い店内。静かにクラシックが流れるアンティークな雰囲気です。ここで静かに読書などすれば、時間の流れを忘れてしまいそう。
数種類ある自家製スイーツの中から、レトロな見た目のプリンをいただきました♪
上にたっぷりクリームがのっていて、昔ながらの硬めのプリンと食べたら幸せ気分♡
紅茶は種類豊富で、ポットで提供してくださいます。香りの良いアールグレイをゆっくりいただき、贅沢なひとり時間が過ごせました。
夜まで開いているので、仕事終わりのひと時にも。好きな人のことに静かに想いを馳せるには最適な空間ですよ…♡
住所:大阪市北区曽根崎2-2-4
電話番号:06-7709-0772
営業時間:11:00〜21:30
定休日:なし
アクセス:大阪メトロ谷町線東梅田駅・JR北新地駅より徒歩5分
8.まとめ
いかがだったでしょうか!縁結びのパワースポット、恋人の聖地としてお初天神をご存じだった方も、意外と知らない露天神社さんの歴史があったのではないでしょうか?
今は面影もありませんが、かつては天神の森があった曽根崎。またさらに太古は小さな島々が浮かぶ荒れた土地だった梅田。いつもとは違う見方で梅田のまちを歩いてみるのも楽しいかもしれませんよ♪
<参考文献>
・UMEDA CONNECT
http://umeda-connect.jp/report/vol5/
・曽根崎アーカイブ地域史
http://sonezaki-area.com/index.html
・全国総本宮 水天宮ホームページ
http://suitengu.net
・東京材木丼や協同組合 歴史探訪No.42
https://www.mokuzai-tonya.jp/05bunen/zuisou/2006/05rekishi.html