【平野・町ぐるみ博物館】平野の歴史と伝統を感じながら街歩き!
大阪市の南東にある、平野区。どんなところかご存知でしょうか?
私は生まれも育ちも大阪市ですが、平野とは反対の南西にある住之江区出身。平野の情報なんて、正直1ミリも知りませんでした…。
古墳はもちろん、貿易で栄えて商人がブイブイいわせてた環濠都市!
平野区にも、巨大墳墓こそありませんが、弥生時代の墳丘墓「加美遺跡」があり、また戦国時代には環濠と土居で自衛し、町民自らが町を運営する自治都市として栄えていました。
さらに、チンチン電車も昔は平野まで走っていたんですって!南海平野線という路線で、現在の阪堺線今池駅から、上町線の阿倍野駅を通ってずーっと東へ線路があったそうです。大正3年に開業した南海平野線ですが、地下鉄谷町線や阪神高速道路の延長に伴い、昭和55年に廃線となりました。
現在の平野区はとても広いですが、「平野郷」と呼ばれる環濠都市は、平野区の中心部に位置する約1キロ四方の小さな地域。環濠の外は昔は畑が広がっていましたが、近代になって土地開発が行われ、今はその面影はありません。しかし、平野郷があった地域では奇跡的に戦災も免れたため、戦前の面影が町の至る所に残っています。
ほんの少し西に行った天王寺とかは焼け野原やったのに…よくぞ残ってくれた…!
古い街並みや多数の社寺、地蔵堂など文化財がたくさんある様を、建築学者の故西山夘三氏は「町そのものが博物館」だと評されました。
これにちなみ、「平野・町ぐるみ博物館」と題して町のあちこちに小さな博物館があるんですよ!
平野の人も、平野以外の大阪人も、大阪以外の人たちも、平野探訪にレッツゴ〜〜〜♪
目次
1.平野・町ぐるみ博物館って?
(「駄菓子屋さん博物館」にある平野駅舎のジオラマ)
南海平野線が廃線となった際、平野駅舎の保存を求める住民運動が起こりました。残念ながら駅舎の保存は叶いませんでしたが、住民運動で集まった人々の中で「平野の町づくりを考える会」が発足しました。
「考える会」は、“会長なし・会則なし・会費なし”というゆるい組織で、色んな人たちがゆるやかに連携し、「おもしろいことをいい加減にやる」をモットーに、各々が興味を持って取り組めるテーマを厳選し、無理なく取り組めることを心がけているといいます。
この会の活動の一つが、1993年に始まった「平野・町ぐるみ博物館」。
博物館というと大きなものをイメージしがちですが、お店やお寺、自宅の一部で自分たちの好きなものを好きなように展示する“ミニ博物館”がいくつもあります。また、施設や展示物を整備することが目的ではなく、運営者と訪問者のコミュニケーションを通して住民自身が楽しみながら地域を再発見しようという試みなのだとか。
だから、博物館は基本全部タダ!!
さらに、博物館へ行って展示品を見ることだけを目的とするのではなく、博物館を訪ね歩く道すがら、肌で感じ取る地域の雰囲気を大切にしてほしい、と考えていらっしゃいます。つまり、平野の町を「観光」するのではなく、平野の町で「感風」するのです。
ぶっちゃけ、ネーミングだけで興味惹かれる人はごく一部の人だけやと思うけど、実際行ってみてめっちゃ面白かったから、ぜひみんな行ってみてほしい!展示だけが楽しいんちゃう…平野がめっちゃ好きになるから!!
2.幽霊博物館(大念佛寺)
毎年8月の第4日曜、年に1度しか開催されない大変レアな博物館からご紹介します!!その名も、「幽霊博物館」!
(※2023年は特別に25・26・27日の3日間開催)
2-1.大念佛寺とは?
博物館があるのは、融通念佛宗の総本山である大念佛寺。
(2023年2月撮影。大阪市指定文化財)
融通念佛宗は、平安時代後期の1117年、聖徳太子のお告げを受けた良忍上人(りょうにんしょうにん)によってこの平野の地で開かれました。そして鳥羽上皇の勅願により1127年に創建されたのが大念佛寺の始まりです。日本最古の念仏道場であり、大阪府下最大規模の木造建築物である本堂は、平野を代表するシンボルとなっています。
本堂は建立から約100年が経ちますが、その間に生じた自然災害により損傷が見られるようになり、令和13年(2031年)の元祖大師900回御遠忌に先立った記念事業として屋根の大改修を実施することになったそう。このため、現在は足場が組まれたこのような姿になっています。(令和7年の秋頃に完成予定)
今はまだ大阪市の指定文化財やけど、いずれ国の重要文化財に指定される可能性も大いにある、とても価値のある本堂。
平野の宝が日本の宝になって次の世代へと引き継いでいけますように!
(※特別に許可を頂いて撮影しています)
本堂改修中は、ご本尊は本堂向かって左にある瑞祥閣へと移されていますので、お参りはこちらまで!
2-2.大念佛寺は幽霊寺?
(左から、「累怨霊の図」、「皿屋敷お菊亡霊図」、「菅原道真公怨霊図」)
大念佛寺には、400年前も昔から「片袖縁起」という幽霊伝説があります。
ある旅人が、往生できない女亡者に出会い、着物の片袖を渡されると同時に「ある頼み事」をされました。旅人は片袖を持って大念佛寺へ訪れ、当時住職であった道和上人に託しました。上人は女亡者の思いを酌み、念仏を称えるとたちまち女は極楽へと往生しました。
そして、この話を聞きつけて往生されたいと引き寄せられてきた幽霊画の掛け軸が大念佛寺さんにはた〜〜くさん…
「累怨霊の図」や「皿屋敷お菊亡霊図」、「菅原道真公怨霊図」など、日本の有名幽霊が大念佛寺へ集まりました。いずれも作者も来歴もわからない幽霊画ですが、成仏の場として大念佛寺を選び宿ったものと考えられています。
幽霊画の掛け軸の他、今年は人気アニメのモチーフにもなったという絵画「九相詩(くそうし)絵巻」も特別に展示されます!
2-3.いざ、幽霊博物館へ!
さて、幽霊博物館はというと、改修工事のため境内からは行けなくなっているのでお気をつけて。
外側をぐるりと回ってこちらの建物1階です。(同時に、キッチンカーや、26・27日は3階でワークショップやマルシェなどの「うれしたのし祭りin大念佛TERA’s」も開催★)
幽霊博物館が開催される延喜殿入り口前、平面駐車場にはキッチンカーが。3日間それぞれ違うお店がやってきます♪
では、参りましょう…館内は基本撮影禁止ですよ…ヒタ…ヒタ…ヒタ…
薄暗い館内には、なんとも雰囲気のあるBGMがかかっていて、よく冷房が効いていてスゥーッと冷たい風が…
4つの部屋があり、まずは片袖縁起を紹介する部屋へ。本当にありました…着物の片袖…。セピア色に褪せた布地…歳月の長さを感じさせます。片袖縁起が描かれた巻物も、実物が展示されています。これも、江戸時代は1724年の代物。
それから、九相詩絵巻を展示する部屋へ。こちらは2部屋に分かれているので、ぜひ第一段からご覧くださいね…
どんな美人でも醜く朽ちてく様から、修行僧に現世の無常さを知らしめ煩悩を払うのだとか
どんなに美人でも、死ぬと体から発生するガスで体は膨張し、腐乱が進むと皮膚が破れ内臓が飛び出し、脂肪や体液が体外へと滲み、青黒くなり、ウジがわき、鳥獣に食い荒らされ、やがて骨になる…グロテスクな絵ではありますが、季節感のない草花や白い雪山、朽ちて蔦が巻いた卒塔婆など、無常さを引き立てる背景が、命の儚さを痛感させます。
そして、12枚に及ぶ幽霊掛け軸を展示する部屋。白黒の世界に、ところどころ赤黒く描かれた血がすごくリアル…。どの幽霊も恨めしげな表情をしており、二次元の平面なのにこちらをじっとり睨みつけてくるよう…
それから、特別公演の幽霊寄席も観覧してきました。旭堂みなみさんによる「亡女の片袖」を題材にした講談と、かたりべ満茶乃さんの独特な語り口で語られる「亡女の片袖」のお話…
暗い部屋で、顔の下からライトが当てられ…でも、ただの怪談話ではありませんでした。小さな子どもさんは、途中で怖くなっちゃった子もいるようですが、「亡女の片袖」や幽霊博物館の展示をより詳しく知れるお話なども聞けてよかったですよ…
博物館の出口にはご本尊の掛け軸がありました。幽霊の話をすると幽霊に憑かれやすくなると言いますが、ここでお参りしていけば心配ありません…
そう、「幽霊コワイ」だけで終わらないのが、さすがお寺。嘆き苦しむ幽霊だって救ってくださるのが仏様。
住所:大阪市平野区平野上町1−7−26(大念佛寺境内)
TEL:06−6791−0026
開館日時:大念佛寺のホームページにて確認ください。
(※2023年は8月25、26、27日開館)
3.駄菓子屋さん博物館と平野の音博物館(全興寺)
「地獄から極楽への体験ができる寺」としてSNSでも大人気、外国人も多々訪れる全興寺(せんこうじ)の境内に、「駄菓子屋さん博物館」と「平野の音博物館」という2つのミニ博物館があります!
考える会に会長はいないけど、ここのご住職こそが考える会の発案者。平野のことなら全興寺へ!
3-1.全興寺とは?
お寺なので、どうぞお参りもしてくださいね。
地獄体験ができる「地獄堂」や、地獄堂から迷い出したオニをスマホを使って探す「鬼ハンター」、瞑想体験ができる「ほとけのくに」など、他のお寺にない体験ができるお寺として有名ですが、その由緒はご存じでしょうか?
およそ1400年前に草創された古刹であり、聖徳太子が平野の野中の地に小宇を建て薬師如来像を安置したことが始まりと寺伝にあります。この薬師堂から次第に町が形づくられたといい、こここそが「平野」発祥の地ともいわれています。
本堂は1615年の大坂夏の陣で一部消失しましたが、1661年に再建され、大阪府下では大変古い木造建築の一つとなっています。
3-2.駄菓子屋さん博物館
昭和20〜30年代ごろに駄菓子屋さんに並んでいたおもちゃが展示されている博物館。
それは、ご住職が趣味でたくさん集めたからなんやって!!
趣味もここまで集めたら博物館になる…すごい〜
私は全然世代じゃないので「懐かしい!」とはなりませんが、この時代に少年少女だった方達にはたまらないのではないでしょうか!最近は昭和レトロブームでもあるので、若い人も楽しいかも◎
平野駅舎があった頃の平野の街並みや、昭和の時代のお家や学校などのミニチュアの展示もあり、小さな空間ながら昭和の空気が濃く、タイムスリップしたような感覚を楽しめますよ♪
全興寺と、パズル茶屋のおもろ庵さんの間にある「おも路地」では、期間限定でリアル駄菓子屋さんも開催中!
3-3.平野の音博物館「聞き耳本舗」
音博物館ってどういう意味だろう…と思いますよね?
駄菓子屋さん博物館がある建物の外側に昭和初期の電話機があり、それがスピーカーになっていて、下のオレンジの機械に番号を入力すると様々な「平野の音」が流れてきます。
昔の平野にあったモノとか、平野の風景の写真やジオラマとか…そうではなく、“音”を展示する。
こういうのを「サウンドスケープ(音風景)のミュージアム」といって、日本では聞き馴染みがないけど、欧州ではわりとよくあるらしい〜
流れてくる音はけっして特別な音ではなく、町の人の会話だったり、井戸水を汲み上げる音だったり。
だんじりの音や、平野のお寺や神社の行事の音など平野特有の音もありますが、まちかどの音が集められています。
これを聞いて、「平野ってこういう町なのか」と勉強しなさい、というものではありません。文字や写真で表すことのできない、音でしか感じることができない“平野の雰囲気”を感じ取ってもらえたら…そういう博物館です。
人間は視覚から得る情報の方が多いので、映像があるとついそっちの方が印象に残りがち。町の雑踏の中遠くで聞こえる子供の声…なんて、意識していないと聞こえてこないもの。
あるいは聞こえていても雑音・騒音にしか聞こえていないかもしれません。でも、あえて聴覚だけに全集中してみる博物館では、他にない発見があるかもしれません♪
住所:大阪市平野区平野本町4−12−21(全興寺境内)
TEL:06−6791−2680
開館時間:9:00〜17:00
4.パズル茶屋(おもろ庵)
全興寺のお隣に、古い町屋をリノベーションした門前茶屋「おもろ庵」さんがあります。こちらは古今東西様々なパズルがある、パズルの博物館!
振り子時計に蓄音機、ちゃぶ台、座布団、木彫りのだるま。レトロであたたかい雰囲気の店内は、何時間でも過ごせちゃいそう!
ドリンクメニューには冷やしあめや昆布茶など、下町感ある飲み物が良心的なお値段でいただけます♡
プラス30円で玉子も入れてもらえちゃう♪
メニューの手前にある木箱には知恵の輪が。注文したもの待ってる間に解けるかな?
他にも、組木パズルや移動パズルなど、100種類以上あるパズルが自由に遊べるそう!
駄菓子にしろパズルにしろ、集めに集めたら博物館になっちゃうの、おもしろいなぁ!
パズル以外にも懐かしいおもちゃや、なんと現代のパチンコの原型とされる昭和25年のパチンコ台で遊ぶことができます!
店主さんご夫婦はとても気さくな方で、平野の歴史についても詳しく、いろいろ教えてくださいます!いろんなパズルで遊ぶだけじゃなく、ぜひ平野のお話も伺ってみてください♪
住所:大阪市平野区平野本町4−12−21
TEL:090−8141−5989
営業時間:10:00〜18:00
定休日:水曜(木曜不定休)
5.和菓子作り体験博物館(梅月堂 西店)
明治42年、老舗「太子堂」の分家として創業された梅月堂さん。平野郷名物「平野酒饅頭」の他、様々な平野郷菓を作ってらっしゃいます。現在の店主は3代目で、大変歴史ある和菓子屋さん。こちらには、創業より受け継がれたお菓子作りの道具が数多く展示されています!
100年以上昔の道具が展示されてるってこと!
しかも、現在でも使ってるものも多々あるんやって!
和菓子…私は団子とかどら焼きとかは食べるけれど、あまり和菓子屋さんへ行くことはありません…。そのため、和菓子の型を見ても今一つピンときませんでした。干菓子なんてお盆の時期に見かけるくらいで食べることはないし、練り切りなどの生菓子をいただく機会もまずないし…
ですが、店主さんが道具を一つ一つ手に取って見せて説明して下さるのを聞いて、和菓子の奥深さに関心を抱きました!
一言に型といっても、その種類は様々。大きなものから小さなもの、片面にのみ模様が出てくるものから裏表ともに立体的になるもの、葉っぱや花びらのリアルな曲線を作り出すものなどなど。よくよく見せていただくと、完成系の和菓子以前に、この型がもはや芸術品…。彫刻が美しいし、よりリアルな形にするための試行錯誤が素晴らしくて。
和菓子の木型は、専門の職人さんがいるそうです。でも、近年和菓子の木型職人さんは減っているらしく、日本の伝統が途切れたらと思うと、悲しいですよね…
美しい和菓子とともに、木型のことももっと知ってもらえたらいいなと思う〜
木型の他に、紙の型もあるんですよ。こっちは職人さんではなく、和菓子屋さんが自分でデザインして作るそう。
「引菓子の羊羹に文字とか模様が入ってるの見たことない?」と言われたけど、今時冠婚葬祭で羊羹なんてもらわへん…(汗)
「刷り込み」という技法で、羊羹や饅頭、煎餅の上に模様をつけるときに使うそうです。展示さているものをよく見ると、鯛や植物や「寿」などの一般的なものと並んで、日の丸の旗や鉄砲、「武運長久」や「祝入魂」の文字が見えます。戦時中、家族が兵隊となると、お祝いにと刷り込みをしたお煎餅などを近所に配っていたとのこと。なんとも時代を感じさせられます。
ここに展示されている紙の型は現在は使われていませんが、刷り込みの技法を使った美しい和菓子がありました!餅米を寒天で閉じた涼し気な道明寺羹に、大輪の花火が刷り込まれています。(初めて道明寺羹を食べました!とても美味しかったです♡)
こちらは明治38年製の菓子見本帳。中には様々なデザインのお菓子が描かれていました。それが、全く時代の古さを感じさせないんです…!どのデザインも垢抜けていて、色も形も綺麗で。
あんこって甘いけどヘルシーっていうし。ついチョコとかケーキとか食べちゃうけど、四季折々の和菓子、食べてみたくなったよ~
「和菓子作りが楽しくて、作りながらもっとこうしたらええんちゃうかと考えてたら、品数がえらいことになってもた」と話す店主さん。定番の品から平野郷菓もいくつかあるし、季節の商品もたくさんで、ほんと品数がとっても豊富!(写真に写ってないところにまだまだショーケースあります!)
普通見る機会がない型などをこうして展示しているのも、「和菓子作りをもっと知ってもらえたらと思ってね」とのこと。無知な私にもたくさん教えてくださって、和菓子が本当に好きなんだなぁと伝わってきました。
梅月堂さんは「和菓子作り体験博物館」の名の通り、型の見学だけでなく、生菓子作りの体験もできるんです!ただ、こちらは毎月第4日曜日のみの開催で、1年先までほぼ予約が埋まっています(汗)
体験は難しいかもしれませんが、代々受け継がれてきた和菓子の道具の見学はいつでもOK。店主さんの想いがこもった素敵な和菓子をお土産にどうぞ♪
住所:大阪市平野区平野本町2−12−15
TEL:06−6791−1970
営業時間:9:00〜18:00
定休日:水曜
6.かたなの博物館(御刀研處 真澄庵)
私は刀については1ミリの知識もないので知りませんでしたが、こちらの博物館を営む方は、その道ではかなり有名な方とのこと…
刀なんて何もわからない奴が行って大丈夫かしら…無口な頑固職人しかいなかったらどうしよう…とおそるおそる扉を開くと、気さくな若いお姉さんが「どうぞどうぞ〜♪」と。
広くはない館内では、刀の展示の他、刀を研ぐ体験も行っているとのことで、奥では数人刀を研いでいらっしゃいました。が、皆若い女性。この日いらっしゃったのは、最初に声をかけてくださったお姉さんを含め全員1日体験ではなく、かたなの博物館の館長である刀剣研師・真津仁彰さんの生徒さんたち。
私はそのタイトルしか知らなかったんやけど、「刀剣乱舞」好きが高じてリアル刀剣にハマる女性が続出してるんやって…!
「昔は刀っていうたら男のものやったけどね、今は逆。習いに来るのもほぼほぼ女性やし、展示販売の場所でもお客はほとんど女性ですよ」と館長。
しかし私には知識もなければ魅力も一切分かりません。時代劇で見る、人を斬る武器でしかないわけです。
「もちろん昔は人を斬る道具でしたが、昔から祭り事のときに使われるものもあれば、代々受け継がれていくものでもあり、現在では美術品として価値があります」
「刀にある波模様、刃文(はもん)の美しさ。刃文で故郷の山並みを表現したりもするんですよ」
それにはびっくり…!あのナミナミは偶然の産物だと思っていましたが、意図して作れるものだったことにも驚きですし、刃文で山の稜線を表現するなんて…何というか、日本っぽい…!
西洋にも剣はありますが、日本の刀剣とはまったく違う代物だそうです。製法はもちろんのこと、剣を飾ることがあったとしてもよもや剣の表面で何かを表現するなんてこと、まずしないでしょう。
また、これも知らなかったのですが、1つの刀を作るのには色々な職人が必要なんですね。まずは刀の原料を作る鉄師がいて、そこから刀鍛冶が刀身の形にし、それを真津さんのような研師がいくつもの砥石を使って研ぎ、彫刻を施す場合には彫師に渡り、柄巻師が刀を持つ部分・柄に柄糸を巻き付け、そして鞘師がそれぞれの刀にぴったりの鞘を作る…。
真津さんは創業3代目の研師であり、国指定重要文化財の刀剣や住吉大社の「御神宝剣」、第69代横綱白鵬翔関の守護御太刀、その他多くの重要刀剣の研磨を行ってらっしゃる凄いお方。
職人さんというのは一人で黙々と作業に打ち込む方が多いですが、真津さんは、私のようなまったくの無知な人にも嫌な顔一つせず色々教えてくださいました。そして、「かたなの博物館」ではだいたいいつでも誰かが研いでいるとのことで、一般人がふらっと立ち寄って研磨の様子を生で見られる場所というのは、おそらく全国でも稀。
少しでも刀剣に興味がある方はぜひ行くことをお勧めしますし、あまり興味がないという人でも何かしらの発見があるはず。日本の伝統工芸をどうぞご覧ください♪
住所:大阪市平野区平野上町2−8−13
TEL:080−5712−9408
営業時間:10:00〜17:00
定休日:不定休
7.くらしの博物館(がんこ平野郷屋敷)
JR加美駅すぐのところにあるがんこ寿司さん。なんと300年以上の歴史があるお屋敷をお店にしています!約1100坪もある広いお屋敷内には5つの蔵(米蔵・炭蔵・味噌蔵・内蔵・衣装蔵)も現存しており、そのうちの衣装蔵を改装して「くらしの博物館」にされています。
このお屋敷は平野の地で代々豪農として栄えた辻元家のものでした。くらしの博物館では、その辻元家が数百年に渡り日常使用したり集めてきた什器・備品・書画・骨董の数々を展示しています。
これだけの品が綺麗に残ってることにも感心する〜
中国の画生・兆殿司作の掛け軸や、美しい七宝の水差し、初期伊万里・織部の香炉といった貴重品の数々が展示されています。また、上を見上げると当時の箪笥も!
くらしの博物館へ訪れるなら、せっかくなのでがんこさんでお食事もどうぞ♪
懐石料理や高級な食事しかないのかと思っていましたが、ランチタイムならリーズナブルな定食もあり。
また、平野郷屋敷店さんでは「お屋敷カフェメニュー」もあります◎
がんこさんでカヌレが食べられるなんて思ってもいませんでした…が、すごく美味しい!(5種類の中から2つ選べて580円)
他にもパフェやケーキなども良心的なお値段ですごく美味しそうでしたよ♪
店内はかなり広く、立派なお屋敷であることがわかります。
店内にも飾られている骨董品の数々は流石に辻元家のものではないとのこと…ですが、レジの上にある長持は、昔辻元家に嫁いだお嫁さんが乗ってきたもの!
せっかくなので、お庭もご覧になっていってください♪これまた広大なお庭で、大阪万博の日本庭園を手がけた木戸雅光氏による作庭。
私が行った時は真夏だったためひたすら濃い緑が鬱蒼としていましたが、70種類ほどの樹木が植えられており、春や秋はきっと美しいことと思います。
真夏は虫の宝庫すぎて、私にはちょっと…デンジャラスでした…(汗)
昔の平野の暮らしが見える、「くらしの博物館」。がんこさんの美味しいお料理・スイーツと共にお楽しみください♪
住所:大阪市平野区加美鞍作1−3−19
TEL:06−6796−0728
営業時間:11:30〜22:00
定休日:月一回不定休
8.ゆうびん局博物館(平野郵便局)
こちら、平野郵便局。その端っこに博物館があります!
ここには、明治時代の封筒や切手、古い絵はがきや昔の制服の展示などが見られます。
郵便局って、現代人からするとあるのが当たり前の存在で、その始まりなど気にしたこともなかったですが…
明治4年(1871年)に東京〜大阪間で官営の郵便事業を開始したのが始まり。まず、東京・京都・大阪に政府直轄の「郵便役所」が設置され、東海道の各宿駅に民間の「郵便取扱所」が置かれていました。その後明治政府は全国の主要都市に「郵便役所」を設置しますが、財政難だった明治政府が全国に「郵便役所」を設けることは難しかったそう。
これが短期間のうちに全国津々浦々にぶわぁーっと広がって、日本の郵便制度はギュンと普及していったんやって!
「郵便役所」という名前は1875年に「郵便局」へと改称されました。
平野郵便局は、1873年に「平野郵便取扱所」として住吉郡平野郷野堂に開設された、歴史ある郵便局。
そんな、今から150年以上も昔の、郵便局始まりの頃の物が多数展示されています!セピア色に褪せた、「東住吉区」時代の住所が記載された手紙たち…戦争で燃えなかった平野だからこそ見られる物かもしれません。
ただ、残念ながら、現在はゆうびん局博物館を開設した館長さんが不在のため、外側から展示を見るだけとなっています。
※平野郵便局の職員さんにお問い合わせいただいてもコメント等はいただけません。
住所:大阪市平野区平野西3−1−5
※入館することはできませんが、郵便局前からご覧いただけます。
9.消火器博物館(青木防災(株))
青木防災さんの建物前に展示されている、「消火器博物館」。
人生の中で消火器に思いを馳せたことがある人は、ほぼいないでしょう…もちろん私もその一人。消防訓練などで試しに触ったことがあるくらい。身近で火事にあったこともないので、いつも傍で埃をかぶっているイメージがあります…。
そんな消火器も、古いものから新しいものまでこうして並べれば博物館に◎
あるいは水さえ近くにないって時は、「とび口」という先端の尖った道具で火の元近辺をぶっ壊して、これ以上被害が広がらないようにしてたんやって…
桶で水を運ぶ、とび口で近辺を壊す、それ以外に有効だったのが、上の写真の水鉄砲。押したら消火剤(水鉄砲は水だけど)が出る…という形は、江戸時代からあったんですね◎
ところでこの消火器すごくないですか…!地球儀型!(笑)
これは青木防災さんの商品ではありませんが、平成元年に旧モリタ防災テックという会社が販売していたそう。普段人目につきにくい場所へ追いやられてしまいがちな消火器を、インテリアにもなるように…と。発想が斬新。
街角のこんな小さな博物館も、面白い物です♪
青木防災さんのSNS面白いよ…フォロワー数、ういらぶ大阪より多い…^^;
住所:大阪市平野区平野本町5−6−15
TEL:06−6795−2664
営業時間:9:00〜17:00
定休日:なし
10.へっついさん博物館&おもろいライター博物館(長尾家)
住宅街の中にぽつりとあるこちらの博物館…なかなか見つけられませんでした(汗)
地図アプリで住所を検索すると、駐車場にたどり着くんですよ…。でもね、「平野・町ぐるみ博物館」は、本来スマホなんて文明の力を使う街歩きじゃないんです。「平野・町ぐるみ博物館」の地図にも書いてあります。
「探してください 迷ってください 迷ったら町の人にたずねてください」
とはいえ近辺に人の姿がなかったので、近くだったので全興寺のご住職を訪ねまして。
「ふふふ、よくぞたずねてきましたね。近所だから案内しましょ」と、連れて行ってくださいました…!
そしてスマホに頼るより先に誰かに聞いてみて!
平野の人はみんな優しくてきっと道案内してくれるから…!最悪全興寺に辿り着けばなんとかなる!
そしてこちらがへっついさん。へっついとは竈(かまど)のことです。知ってました…?
ガスコンロがない時代は、こういうへっついさんが各家庭にあって、これでごはんを炊いたりしていたんですね。平野では今でもへっついさんがある家庭があるそう!ここに展示しているのは本物で、過去にはへっついさんでごはんを炊いて振る舞うイベントもされたとか。
ここで一つ、末恐ろしいお話を聞いたんですがね…
竈で薪燃やしてごはん炊く、なんて、大人からするとちょっとワクワクするイベントじゃないですか?(姫松はアラフォー)
普段見ることないパチパチと燃える火、ぐつぐつと音がする土鍋。火ってついつい引き寄せられません?
ごみ焼きしてるとことかろうそくとか、じーっと見入っちゃったりして。
でも、へっついさんでごはんを炊いても、寄ってくるのは大人ばかりで子どもらは全くの無関心だったそう。というのも、「今の子は生の火ぃを見たことない子が多い」からなのだとか…。
そう、今時は仏壇もないからろうそくや線香に火をつける習慣もほぼないし、タバコも電子タバコが多いし、花火が気軽にできない地域も多々あるだろうし、なんてったって自宅のコンロがIHだったりしたら、日常的に火を見ることがなく。
「人間とサルの違いは火が使えるかどうかやのに、現代人は…電気使ってるか(笑)」
火を見ないから、その怖さがわからない、興味がない…というのは、なんだか末恐ろしいなと。現代の技術は素晴らしいけれど、古き良き時代の物が忘れ去られていくというのは、もの悲しい気がします。
ところで、こっちはままごと用のミニへっついさん。ままごと用ですが、銅板製で本物同様火をつけて使えるんですって!!リアル〜。
そしてこちらが、いろいろな形のライターたち。「へっついさんと火ぃ繋がりで展示してます」とのこと…この自由さが、平野・町ぐるみ博物館!
ライターの背景には、へっついさんがある昭和の台所の風景画があるのですが、そこに描かれている電化製品から時代を読み取るおじさんたち(全興寺ご住職とへっついさん博物館の館長)。
そして、私が撮影している間に館長が捕まえてきたイモリを観察するおじさんたち。
へっついさん博物館の館長さんは、虫や生き物を捕まえてきて、近所の子どもたちにあげているんですって。(へっついさんの上にある緑の虫かごはそのため(笑))
こんな博物館、よそではまずないよー!だから絶対、館長さんや町の人に話しかけてね!
住所:大阪市平野区平野本町3−12−2
※扉が閉められている時もありますが、声をかけていらっしゃれば開けてくれます。
11.鎮守の森博物館(杭全神社)
創建は平安時代初期、862年という大変歴史ある杭全(くまた)神社。こちらの神社全体が、生きた博物館といわれています。
杭全神社には本殿が3つあります。かの有名な征夷大将軍・坂上田村麻呂の子がかつてこの地に住んでおり、さらにその子(田村麻呂の孫)が862年に氏神として素盞嗚尊(スサノオノミコト)を勧請し、そうして建てた祇園社が第一殿。
時は経ち、熊野信仰が流行していた1190年、熊野證証権現(くまのしょうせいごんげん(伊弉諾尊(イザナギノミコト))を祀り、これが現在の第三殿。そして1321年には熊野三所権現(伊弉冉尊(イザナミノミコト)・速玉男尊(ハヤタマオノミコト)・事解男尊(コトサカオノミコト)を勧請し、建立したのが第二殿。
参道をまっすぐ入っていくと現れるのは拝殿です。3つの社殿はこの建物の奥に並んでいるので、ぜひ拝殿の裏へまわって奥までお参りくださいね。
写真手前から、第一、第二、第三殿。全て国の重要文化財に指定されています。中門があるためその全貌を間近で見ることはできませんが、連子窓から覗いてみると…すごく歴史を感じる社殿を拝むことができます。
第二殿・第三殿は室町時代1513年に造られたもの。第一殿は1711年に春日大社より移築されたものです。
ところで、ほとんどの神社では、その参道や拝殿などを取り囲むように木々があります。古来神道では山や森、川、滝など自然そのものに神様が宿っていて、神社の建物だけではなくその土地全体が神域であると考えられていました。それゆえ神社は木々に囲まれていることが多く、これを鎮守の森と呼びます。
杭全神社は他の神社よりも立派な樹木が大変多く、市街地とは思えないほど広い鎮守の森を有しています。大きな木々に囲まれた境内はとても神聖な空気が流れていて、また生命力も感じられます。
ひときわ大きいのが、参道標柱横にある樹齢1000年といわれる大きなクスノキ。四方に枝を広げるその様は圧巻です。
中門手前には、樹齢700年の大きなイチョウも。
この生きた博物館は、永遠に続いていきますように…!
杭全神社の周囲には、一部環濠の跡も残っています。古の平野を感じてみてくださいね!
住所:大阪市平野区平野宮町2-1-67
TEL:06−6791-0208
営業時間:8:00〜17:00
定休日:なし
12.ちっこいだんじり館(梵屋なんて)
だんじり、といえば岸和田を思い浮かべると思いますが、「だんじり」とは日本の祭礼に奉納される山車を指す西日本特有の呼び方で、各地にあります。
岸和田がひときわ規模が大きいので全国的にもニュースで取り上げられていますが、平野のだんじりもかなり歴史があり、毎年およそ30万人以上もが集まり多いに盛り上がる熱いお祭りです。
平野のだんじりは、鎮守の森博物館で紹介した杭全神社の夏祭りで、毎年7月11日〜14日まで4日間に渡り行われます。
悪疫や天災を鎮めるべく、平安時代初期に始まった祇園会が、次第に祭礼としての形を整え賑わいを見せるようになり、江戸時代中頃から神輿や太鼓台、だんじりを出し物とするようになったそう。
9つの町がそれぞれだんじりを持っていて、一番古い物では1845年に作られたものが現存しているとのこと!
本物は夏祭りの時にしか見られませんが、こちらでは9つの町それぞれのミニチュアだんじりを見ることができます♪
ところで、この「ちっこいだんじり館」がある建物、なんと150年もの歴史ある古民家なんです。
現在は、「梵屋なんて」さんというお店のオーナーさんが管理されており、ヨガやアロマセラピーなどのイベントスペースとして使ってらっしゃいます。
各種イベントは事前予約が必要だったりしますが、オーナーさんがいらっしゃる時であれば古民家の中を見せていただくこともできます!
田舎のおばあちゃんちに来たような懐かしい匂いがします。外は車通りもあるのに家の中は驚くほど静かで、ゆったりとした時間が流れていて、ここでヨガをしたら気持ちいいだろうなぁ…。
リノベーションされたおしゃれな古民家はあちこちありますが、ここは電気設備等の最低限のリフォームのみで、時間が止まっているかのよう。奥には小さな庭もあり、そこには今も使えるという井戸まであります!
この建物を見学させていただくだけでも価値があると思うので、オーナーさんがいらっしゃればぜひお声がけしてみてくださいね♪
住所:大阪市平野区平野本町3−8−1
営業時間:9:00〜17:00
定休日:なし
13.新聞屋さん博物館(小林新聞舗)
小林新聞舗さんが運営する、「新聞屋さん博物館」。小林新聞舗さんは創業が明治22年で、大阪市内で一番古い朝日新聞販売店です。
なんなら小林一族は安土桃山時代からいたという記録もあるとかないとか…
館内では、明治・大正・昭和・平成、歴代の様々な新聞や資料が展示されています。これだけの資料が残っているのも、やはり平野が戦争で燃えなかったからでしょう…とても貴重。
私的に衝撃的だったのが、太平洋戦争の記事。大なり小なり現在も日々何かしらの事件やニュースがありますが、他国を襲撃した様を写真に収めて新聞記事にしていた時代があったこと…もちろん戦争があった事実は知っていますが、恐ろしい世の中です。
日本が外国を攻めて、「日本やったぞ!すごいぞ!」ってなってる時代があったことが恐ろしいなと思う…
日付が書き込まれていないから使用されずに終わったと思われるポスター。日本が外国のどこかを占領したら、こんな風に宣伝していたんですね…。
そして戦後。昭和33年の、現在の上皇と上皇后の若かりしお姿。美智子さますごくかわいい…!平成7年の阪神大震災。平成13年の雅子さまご出産ニュース。ようやく私の記憶にある時代になりました。
他にも資料はたくさんあります。館長さんや学芸員さんが、丁寧に説明してくださるので見ごたえがありますよ!館内に展示しきれない資料も山ほどあるそうで、よくぞこれまで大事に保管されてきたなぁと感心しました。
博物館の隣には旧本店の建物が残っており、こちらは昭和4年に建てられたもので、有形文化財に登録されています!窓の形や看板がレトロ!
毎月第4日曜のみの開館ではありますが、ぜひ行ってみてくださいー!
住所:大阪市平野区平野本町4−12−3
TEL:06-6790-0022
営業時間:毎月第4日曜 11:00〜17:00
14.平野郷 綿とくらし博物館(戎井家)
今年オープンしたばかり!古民家の戎井さん宅の蔵が博物館になっています。
昔平野では綿の栽培が大変盛んでした。戎井家は代々「撚(よ)り糸」の製造を営んできたお家で、ここでは綿花から織物ができるまでの道具が展示されています。
この辺にはいつ広まったのかは不明やけど、豊臣氏の時代には河内地方で栽培が進んで機織りも始まってたとか。
江戸時代、河内木綿っていうと厚くて丈夫な布で有名やったらしい〜
江戸時代には平野郷の綿栽培は全耕地面積62%を占めていました。また、平野郷の商人・職人のうち、8人に1人は「木綿繰り屋」を営み、その他にも綿に関する職業の人がたくさんいたそうです。
綿の花って見たことないんやけど、夏にハイビスカスに似た花が咲くんやって~
蔵の一階では、フラダンスやウクレレ教室などもされています。ハワイアンな音楽が流れる中、戎井家の思い出の写真などがたくさん飾られている蔵の階段を上っていくと、立派な展示室が!
実物の展示の他、実綿から布になるまでを説明した動画も見られるので、大変わかりやすいです♪
綿の実から種を取り除く「綿くり」、空気を含ませふわっとさせる「綿うち」、そして「じんぎ」と呼ばれる形状に整え、糸にしていく「糸つむぎ」。最後は機織り機で布になっていくところまで。
綿から糸が作られていることは知っていても、実際どんな風に作られるのかなんて知らなかったので、とても興味深かったです。昔の人はよく考えたものですね…。
明治に入ると、紡績業は手工業から機械工業へと移り変わり、需要の増大から安い外国産の綿が使用されるようになりました。そうして明治29年には、河内地方の綿作は廃滅してしまいました。
蔵には、戎井家が使っていた日用品や玩具、古い写真なども展示されています。平野の昔のお家を感じられる博物館は、ある人には懐かしく、またある人にはきっと新鮮に感じることでしょう。
古民家の蔵というのもそうそう入る機会があるものではないので、ぜひ訪れてみてください♪
住所:大阪市平野区平野東2−6−14
TEL:06-6791-0046
営業時間:毎週土曜 13:00〜16:00
※日曜見学は要予約
15.ふくろう博物館(ふくろう薬局)
町の薬局さんの、外側ウィンドウケースにたくさんのふくろうが展示されている…のですが、残念ながら現在外構工事中でお写真撮れませんでした…。
繁栄・英知・開運・厄除けなど、幸運を招く鳥といわれるふくろう。そんなふくろうに魅せられた薬剤師のご夫婦営む「ふくろう薬局」をには、趣味で集めたふくろうが約500点もあるそう。
ふくろう好きにはたまらない博物館だと思いますが、一般の患者さんの邪魔にならないよう、工事が終了しても外側から見るだけにしてくださいね◎
古民家の蔵というのもそうそう入る機会があるものではないので、ぜひ訪れてみてください♪
住所:大阪市平野区平野東1−2−14
TEL:06-6791-0046
営業時間:平日・第4日曜 9:00〜17:00
※外側ウインドウケース見学
16.まとめ
平野・町ぐるみ博物館、いかがだったでしょうか!
普通の博物館とは違って、各博物館の館長さんや町の人と話すこと込みで楽しい、ほんとに町ぐるみの博物館!1キロ四方の小さな地域ながら、歴史と魅力がたっぷり詰まった平野郷。
JRと地下鉄両方あってアクセスも便利!近くには古民家を使ったおしゃれなカフェもたくさんあり◎
秋のお散歩に、ぜひ訪れてみてはいかがでしょうか♪