1970年大阪万博から学ぶ【2025年大阪万博】誘致は成功するのか?
2025年大阪万博が決定しました!55年ぶりに開催される大阪万博に期待がふくらみますね。
今回は、1970年に行われたEXPO70と呼ばれた大阪万博について振り返り、2025年の万博をどうすれば成功することができるのか、考察していきたいと思います。
ということでまずは1970年の大阪万博を振り返ってみましょう。
目次
1.1970年大阪万国博覧会成功の軌跡を振り返る
1970年当時のことを懐かしく覚えている人は、団塊の世代あたりから、東京オリンピック開催の年1964年生まれの私と同世代くらいまでではないでしょうか?
私より若い方ですと聞いたことがある程度かと思います。しかし、そんな方にも今回は当時どのような万博だったのか?そして、2025年大阪万博はどのような計画なのか?などもお伝えすることで、よりご理解いただけるようお伝えしたいと思います。
当時の入場券
1970年大阪万博の開催期間は1970年3月15日から9月13日までの183日間。万国博覧会として初めて黒字化した万博としても名を残しています。
当時、私は夏休みに入ると、東京から新幹線ひかり号に乗り大阪の親戚の家に母親と泊まり込み、何日も万博会場に足を運びました。特に行きたい!と言った記憶はないのですが、全てのパビリオンに訪問し、スタンプラリーを埋め尽くすことだけに集中していた小学生でした。
記憶によると、物凄い数の人で、人に酔い、暑さに酔い、物珍しいアトラクションの乗り物にも酔い、子供とは思えないくらい酔っていた記憶だけが頭の片隅にあります。
そんな当時の記憶が薄れていく中、当時の大阪万国博覧会会場でもあった、万博公園内にあるEXPO70パビリオンを訪れ、OSAKA,KANSAI,EXPO2025・2025年大阪万国博覧会がどうしたら成功するか?のヒントを!そして、さらに当時の記憶が蘇ることを期待して…大阪府の広報の担当者ウメダさんを訪問しEXPO70パビリオンを取材して来ました。
2.第二次世界大戦後、アジアで初開催の万国博覧会
パビリオンには当時を思い出す色々なモノがたくさん展示されています
当時を懐かしむのはなんと取材陣、大阪府の広報の方の中で私だけでした。もちろん、当時の担当者さんは年齢的に定年退職されているとのことで、昔話はありませんでした。ですので、ここは少し私が詳しくお伝えします。
1940年(昭和15年)に日本の東京市(当時、東京は市でした)で開催予定であった国際博覧会「紀元2600年記念日本万国博覧会」は日中戦争の激化にともなう資材不足など、諸般の事情により中止されました。
そのこともあり、第二次世界大戦後、アジア初、日本初開催の万国博覧会が、1970年の大阪万国博覧会ということになります。
正式名称は日本万国博覧会といい、大阪で開催されたので通称、大阪万博やEXPO70と呼ばれました。いや、今でも呼ばれています。が正しい表記ですね。
現在、大阪でも人気の日本最大級大型複合施設のEXPOCITYはこの当時の会場の一部を三井不動産商業マネジメント株式会社が借り上げて運営しています。
ここで、EXPOCITYに行ったことがある方はお分かりいただけると思いますが、会場の一部でこんな広いのか?ということです。おおよそ、見た目ですが、大阪万博全会場の1/8程度(あくまでも私の勘ですが…)がEXPOCITYだと思うので当時の規模感には本当に驚きます。
また、ららぽーとという名称でも呼ばれていますので、エキスポシティなのか?ららぽーとなのか?不思議に思う方もいるかも知れませんが、EXPOCITYに「ららぽーとEXPOCITY」という施設があります。
また、当時はまだ日中国交正常化はしておらず(日中国交正常化は2年後の1972年9月)この時は台湾が中華民国として参加しています。(中華民国としての万博参加は1970年大阪万博で最後になりました。)
このことなどから、当時を振り返ると、来場者を動員する要因はかなりたくさんあったということがいえるのではないでしょうか。
ここは、2025年大阪万博は少々頭を悩ますところなのかも知れません。世間の関心もイマイチのようですし…どうにか盛り上げないとイケマセンね。東京オリンピックのように徐々に盛り上がるということもあるとは思いますが…
3.1970大阪万博でもあったロゴマーク問題
大阪万博のトレードマークは日本館を上から見たものと同じで、桜の花びらをイメージしたものでした。周りの5つの花弁にあたる部分が5大陸をイメージし、真ん中の丸は日の丸をイメージしたものでした。
ちょっと記憶からこちらもなくなる寸前ということだったかもしれませんが、ここでもロゴマーク問題が発生していました。
しかし、2020年の東京オリンピックと違いパクリ疑惑ではなく、イメージなどの問題だったようです。(記憶にまだありますでしょうか?)
簡単にお伝えすると、最初のロゴマークは3つの丸でできているもので、下に2つ上に1つの丸。その上の丸が日の丸をイメージしていたらしいのですが、上に位置しているので、日本が威張っている。というイメージで見られかねない!ということから、再度コンペをして桜の花びらをイメージした、この写真のロゴマークになった!ということのようです。戦後そんなに時間が経っていないことや戦争に負けたことなどを考慮したのでしょうか?
私としては、このイメージしかないのでよくわかりませんが、イメージシンボルとしてこの桜の花びらをイメージしたものは大成功ではないかと思います。
また、最初にもお伝えしましたが、日本館はこのロゴマークの形の建物が建設されました。
そして、今でも万博公園内のマンホールにはマークがあり、当時を思い出すキッカケになったりします。実際に私がこの記事を書くキッカケはこのマンホールでした。
こういうロゴの問題も話題のひとつとしては良いのかも知れませんが、パクリとかはイメージが悪いのでやめて欲しいところですね。
それでは、大阪万博がこれほどまでに成功した要因について詳しくお伝えします。
4.1970大阪万博が大成功した要因とは?
先ほども少し触れましたが、大阪府の広報の担当者のウメダさんも以下のようにおっしゃっています。
当時は高度経済成長期だったこともあり、最新技術、未来世界を凝視していて珍しかったから大成功したのではないでしょうか?
私も同感です。第二次世界大戦が終わり、各国が経済成長著しい中の開催ということもあったのだと思います。
また、後述していますが、1970年大阪万博をキッカケに普及したものもたくさんあります。このように話題になるものが集まるということ、近未来を見せることができる。そんなことも成功の大きな鍵だと思います。
特に日本のお家芸の技術ということは世界の人から見てもやはり魅力的なことだと思いますので、ここは私たちも期待するところでもありますね。特に人工知能やロボット、自動運転などのシステム、リニアモーターカーなど個人的には期待しています。
今回、2025年の大阪万博の誘致が成功したらどのように展開するのか?ここは当時と時代が違うので、コンセプト作りや世界情勢を見据えていくのがとても大切だとも思いますが…。
私個人的には、このEXPO70の成果を見せることで容易に未来を想像することができると思うのです。なので、企業さんの作り出す近未来を展示していただければかなり話題にはなると思うのですが、いかがでしょうか?
後述している記事をご覧いただきイメージをしていただけるとわかりやすいかと思います。
5.EXPO70大阪万博参加国は、総数77ヵ国4国際機関9州市
【国】
1. 日本
2. 韓国
3. 中華民国
4. クウェート
5. トルコ
6. タイ
7. フィリピン
8. ラオス王国
9. ビルマ
10. サウジアラビア
11. セイロン
12. インドネシア
13. キプロス
14. シンガポール
15. パキスタン
16. インド
17. ベトナム
18. ネパール
19. アブダビ首長国
20. イラン
21. マレーシア
22. アフガニスタン
23. カンボジア
24. オランダ
25. ソビエト連邦
26. ベルギー
27. 西ドイツ ※ パビリオンは東ドイツと西ドイツでひとつ
28. 東ドイツ ※ パビリオンは東ドイツと西ドイツでひとつ
29. スイス
30. フランス
31. ブルガリア
32. イギリス
33. ポルトガル
34. デンマーク
35. ノルウェー
36. スウェーデン
37. フィンランド
38. ギリシャ王国
39. チェコスロバキア(現在はチェコとスロバキアに分裂)
40. アイスランド
41. バチカン
42. イタリア
43. マルタ
44. モナコ
45. アイルランド
46. カナダ
47. アメリカ合衆国
48. キューバ
49. ドミニカ共和国
50. エルサルバドル
51. ニカラグア
52. パナマ
53. コスタリカ
54. チリ
55. コロンビア
56. エクアドル
57. ペルー
58. アルゼンチン
59. ブラジル
60. ベネズエラ
61. ザンビア
62. アルジェリア
63. エチオピア帝国
64. 象牙海岸
65. タンザニア
66. ガーナ
67. マダガスカル
68. ウガンダ
69. ガボン
70. 中央アフリカ
71. ナイジェリア
72. シエラレオネ
73. モーリシャス
74. ニュージーランド
75. オーストラリア
76. 香港
77.
以上、77ヵ国ですが、聞きなれない国名があると思うので少し解説します。
そして、調査不足で申し訳ないのですが、77ヶ国目が資料ではペルーが重複していたりして現在のところ不明です。ひょっとしたらチェコとスロバキアで77ヶ国なのかもしれませんが…。
もしご存知の方がいましたらお知らせください。
中華民国、こちらは別途記載していますが、中国との国交正常化がまだされていなかったので当時の台湾が中華民国として参加しています。ビルマは現在のミヤンマー。セイロンは現在のスリランカ共和国。アブダビ首長国は現在のアラブ首長国連邦UAEを構成する首長国のひとつ。ソビエト連合は現在のロシア。西ドイツと東ドイツは当時、まだ分断されていましたが、パビリオンはひとつドイツとして参加。ギリシャ王国は現在ギリシャ。チェコスロバキアは、現在、チェコとスロバキアに分裂。象牙海岸は現在のコートジボワールです。
【国際機関】
1. 国際連合
2. EC(ヨーロッパ共同体)
3. OECD(経済協力開発機構)
4. RCD連合
【州・市】
1. イギリス領香港
2. ケベック州(カナダ)
3. コロンビア州(カナダ)
4. オンタリオ州(カナダ)
5. ワシントン州(アメリカ)
6. ハワイ州(アメリカ)
7. アラスカ(アメリカ)
8. ミュンヘン市(ドイツ)
9. ロサンゼルス(アメリカ)
1970年大阪万博に参加表明していた国もいくつか辞退されています。もっと多くの国が名乗りを上げていましたが、資金的なことなどで77ヶ国に収まったわけです。
2025年はどれだけの国や州、市、国際機関が参加していただけるのか?わかりませんが、多くの国が参加していただけることを期待したいと思います。ただ、その反面怖いのがテロなどですが、警備の体制などは安心して見に行けるように、しっかりして欲しいところであります。
6.入場者数6421万8770人は2010年上海万博まで1位
1970年3月15日から9月13日までの183日間開催され、入場者数は6421万8770人、1日の最大入場者数83万5832人、TV中継回数314回というなんとも規模感が掴みにくい感じですが…
2005年に名古屋で開催された愛・地球博の入場者数が2204万9544人(185日間)、1985年茨城県で開催されたつくば科学技術博の入場者数が2033万4727人(184日間)このふたつと比
べると、動員人数が桁違いに多いのがお分かりいただけると思います。
当時史上最大の規模を誇っていたこともありますし、1964年、私が生まれた年に行われた東京オリンピック以来の国家プロジェクトということもあり、ここまでの動員数になったものと思われます。
観客動員数は、大阪万博をはるかに超える動員数7308万人を2010年の上海万博が達成するまではダントツの世界一でした。
それだけの人がこの小さな国日本へ。そして、その中の大阪という都市に集中したのはもの凄いことだと思います。また、テレビ放送314回も凄いというか…、毎日万博の放送をしていた感じだったと記憶しています。
7.人気のパビリオンと観客動員数
全てのパビリオンを周ったと申しましたが、うる覚えでいくつかのパビリオンしか記憶にありませんが…さすがにこの3つは覚えています。
総観客動員数 64,218,770人
1. ソ連館 およそ2800万人
2. カナダ館 およそ2500万人
3. アメリカ館 およそ1650万人
ソ連館は建物の高さも一番だったのですが、およそ3割の来場者は凄いですね。気になる日本館はというとおよそ1100万人で7位でした。
ちょっと残念なのは日本で開催しているのに、7位はちょっといただけない感じがするのは私だけでしょうか?企業のパビリオンもたくさんあったので人が散ってしまったのでしょうね。日本館よりも日本を打ち出している企業さんもありましたからそちらに外国の方は興味を抱いたのでしょう。
2025年は是非、日本館が1位になるように頑張って欲しいものです。
8.一番大掛かりだったパビリオンは?
こちらは大阪府の広報の担当者ウメダさんにお聞きしましたが、来場者は7位でしたが、日本館だそうです。
日本館の敷地面積3万7,791平方メートルは日本国土の約1,000万分の1にあたり、最大級の展示館でした。
中央にある高さ80メートルの塔を中心に5つの円形建物がそれぞれ3本柱によって地上から6.5メートルほど浮かんで建っています。 空からみると桜の花びらのように見える建物の配置は、万国博のシンボルマークをかたどったものです。
テーマは「日本と日本人」日本と日本人の過去・現代および未来の理想を 各方面にわたって表し、世界の人々の日本に対する理解を深めるとともに、国民に強い自信と明るい希望を与えるのが狙いでした。
また、ほとんどの建設は日本の企業が行ったため、かなりの経済効果があったものと思われます。
9.移設して使い続けられるパビリオン
現在のEXPO70パビリオンは当時の鉄鋼館がそのまま使われており、その理由も取材で明らかになりましたが、耐震性のようです。
1970年、正確にはおそらくその1年くらい前に建てられた建物が現在の耐震基準を満たしているということに感動しました。日本の鉄鋼技術は凄いですね。
また、これ以外にも使われ続けているパビリオンがあります。オーストラリア館なども移設されていましたが、現在では取り壊されています。
現存するのは、神戸市北区のカンボジア館と岡山県なぎ町のミュンヘン市館の2つのみですが現在も存在しているのには感動します。こちらも現地に行きましたら、写真を掲載しますね。
10.1970年大阪万博がキッカケで普及したもの
これが先ほど記述したちょっとした未来が見ることができる。という部分です。
当時からしたら考えられませんが、現在、私はApple Watchをして、FaceTimeというアプリでテレビ電話を掛け電気自動車に乗り、電動アシスト自転車も乗りこなし生活をしています。
まさか、大阪万博を見に来ていた小学生が50歳を過ぎる時に、こんな生活をしているなんて夢にも思っていなかったわけです。
それでは順番にお伝えします。
10-1.ピクトグラム
聞きなれない感じですが、今ではどこにでもあるトイレのマークとかです。サインシステムとも呼ばれていてこの大阪万博の時に普及したそうです。
かなりの動員数だったことや多くの外国人の方が訪れることを考えてのことだったのだと思います。
とても便利なシステムですよね。そして、現在では一般的になっていますが、当時はとても画期的なことだったと記憶しています。
10-2.エアードーム
当時、アメリカ館と富士グループのパビリオンが採用したのが、エアードームです。
それ以降、このエアーが建物を支えるという考え方のエアードーム型の作りが東京ドームなどに採用され、このパビリオンが先駆け的な存在でした。当時、富士グループのパビリオンが西部劇に出てくるホロ馬車のような形だったのが印象的だったのを思い出します。
そして、現在では東京ドームなんて普通に思えるのですが、1970年にはこういう技術があったということに改めて驚きます。
10-3.ブルガリアヨーグルト
ブルガリア館で本場ブルガリアのヨーグルトが展示されていたのを明治乳業幹部が試食したことがきっかけで、現在のブルガリアヨーグルトが販売されているという経緯があります。
ただ、当時を思い出すと、当時のものは今のものとは少し違い、とってもプレーンな味で甘くなくて美味しくなかったという記憶があります。酸っぱいというか?記憶違いだったら明治乳業さんすみません。
そして、このブルガリアというネーミングも当時、乳酸菌株を定期的にブルガリアから仕入れていたということがあり、その輸出の許可をブルガリア政府から許可をいただく過程でブルガリアというネーミングをブルガリア政府からきちんと許可をいただいて使っているという驚くべき事実があります。
1企業が国とここまで繋がれるのも万国博覧会ならではというところでしょうか?
10-4.UCCコーヒー
現在でも販売されていて、見慣れた缶コーヒーですが、なんと1970年から変わらずあるコーヒーということに驚きます。
少し大人になりかけた時はよく飲んでいましたが、今ではちょっと糖質が気になるお年頃になりあまり飲まなくはなっています。UCCさん、ごめんなさい。
10-5.動く歩道
大阪万博の時に採用された未来の歩道でした。
現在は色々なところ、例えば、東京都庁に向かう新宿の地下道や羽田空港をはじめとして多くの空港などで採用されています。
エスカレーターがあり動く歩道なんていつでも実現できそうだったと思うのですが、発想の転換なのでしょうか?
今では便利で当たり前になっていますね。
10-6.電気自動車
こちらは1970年には夢の自動車で大阪万博内を移動するバスでしたが、現在は一般自動車として実用化までされています。
電気自動車は当時も現段階でも次世代の自動車という認識が強いかと思いますが、実はその歴史は古く、1839年に電気自動車は誕生しています。しかし、当時はまだ実用に至る電気自動車を作る技術はなく、普及には至りませんでした。驚くのはガソリン車よりも早く考えられていました。
その後、何度か実用化されましたが色々な理由でガソリン車が普及していきます。そして、この1970年の大阪万博で多くの大衆の前を電気自動車が走ることで実用化が進んだ!とも言えるのではないでしょうか?
私もHONDAでメカニックをしていた時代がありますが、まさかここまで自動車が進化するとは思ってもみませんでした。デロリアン以外の車でタイムスリップするのも時間の問題でしょうか?
10-7.電動自転車
今では私の地元多摩丘陵のオバア達も急な坂道をスイスイと自転車を漕いでいます。
電動アシスト付き自転車万歳といったところでしょうか?かなり遠くのスーパーまで買い物に行く姿を目撃したりしていますが、元気になってくれるならこの発明は一石二鳥なのかもしれません。
高齢化の街で最適な乗り物になるなんて、当時の開発者は考えても見なかったでしょうね。
10-8.テレビ電話
スマートフォンをお持ちの方はもう使っている方も多いと思いますが、FaceTimeです。まさに、この時のテレビ電話です。
電気自動車や電動自転車、テレビ電話と今となっては普通ですが、1970年当時はまるで夢の世界、未来の物語でした。漫画の世界というか?
実際に私もApple Watch をしていますが、たまにApple Watchで電話に出ています。当時はヒーロー漫画の世界でしたよね。
11.今も残る当時の展示物
11-1.平和の鐘
「平和の鐘」は、1954年に当時の財団法人日本国際連合協会理事であった中川千代治氏(元愛媛県宇和島市長)が、世界平和への願いを込めて、世界60数カ国の人々から集めたコインなどから鐘を鋳造し、ニューヨークの国連本部に寄贈されたものです。
そして、1970年の大阪万博開催時に、ニューヨークから16年ぶりに里帰りし、国連館に展示されていました。そして、大阪万博終了後は、国連本部に戻されました。
現在の万博公園にある「平和の鐘」は、大阪万博開催中にニューヨークの国連本部の留守番鐘として、中川千代治氏が世界133カ国の人々から集めたコインなどから鋳造された姉妹鐘です。
大阪万博終了後に、万博記念公園へ寄贈され現在もパビリオン前に設置されています。
11-2.太陽の塔
映画20世紀少年でもおなじみの太陽の塔は、当時のシンボルであり現在の万博記念公園のシンボルでもあります。
ご存知の方も多いかと思います。中には大阪に住んでいる方で金色の顔が光るのを子供の頃から見ていて怖いという印象をお持ちの方もいるかと思いますが、当時は中にも入れてエスカレーターも設置されていました。
そして、現在太陽の塔は再生事業が行われていて、4つの太陽の塔の顔がもう直ぐご覧いただけるようになるようです。
太陽の塔について詳しい記事はこちらを参考にされてください。
▶ 太陽の塔の再生事業
▶ 太陽の塔(工事進捗)
【関連記事】大阪万博記念公園の「太陽の塔」って中に入れるの?太陽の塔内部再生事業が開始しています。2018年再び中に入れるんです!
12大阪万博記念公園
12-1.施設概要
名称
万博記念公園
住所
〒565-0826 大阪府吹田市千里万博公園1-1
電話
06-6877-7387(万博記念公園 総合案内所)
営業時間
9時30分から17時まで
休館日
水曜日
10月1日から11月30日までの期間は無休。
入場料
【日本庭園・自然文化園共通】
個人
大人 250円
小中学生 70円
※ 団体は別途問い合わせ
06-6877-7387(万博記念公園 総合案内所)
【EXPO’70パビリオン】
一般
高校生以上 200円
中学生以下 無料
【自然観察学習館】
無料でご利用いただけます。
※別途自然文化園入園料が必要です。
12-2.交通・アクセス
車
万博公園は広いので行き先、駐車場で行き方が異なります。詳しくは公式サイトをご覧ください。
▶ 交通アクセス情報
マップコード
1 799 245*84
駐車場
東駐車場、南駐車場、中央駐車場、西1駐車場、日本庭園前駐車場、EXPOCITY駐車場
計8564台
駐車場は数があるので公式サイトをご覧ください。
▶ 駐車場情報
駐車料金
■平日
区分 | 普通車 | マイクロバス | 大型車 | 二輪車 |
2時間 まで |
400円 | 610円 | 860円 | 200円 (1日1回) 東・南駐車場 のみ |
2時間超 3時間まで |
600円 | 920円 | 1,300円 | |
3時間超 4時間まで |
800円 | 1,230円 | 1,740円 | |
4時間超 | 1,000円 | 1,540円 | 2,180円 |
■土曜日・日曜日・祝日
区分 | 普通車 | マイクロバス | 大型車 | 二輪車 |
2時間 まで |
600円 | 930円 | 1,330円 | 200円 (1日1回) 東・南駐車場 のみ |
2時間超 3時間まで |
900円 | 1,390円 | 2,000円 | |
3時間超 4時間まで |
1,200円 | 1,850円 | 2,670円 | |
4時間超 | 1,500円 | 2,310円 | 3,340円 |
※ テニスコート・フットサルコート利用者に限り、西第1駐車場は無料です。
電車
阪急線:南茨木駅、山田駅、蛍池駅
地下鉄御堂筋線(北大阪急行線):千里中央駅
地下鉄 谷町線:大日駅
京阪本線:門真市駅
各駅のそれぞれから大阪モノレール「万博記念公園駅」「公園東口駅」が便利です。
【新幹線でお越しの場合】
新幹線「新大阪駅」下車。 地下鉄御堂筋線(北大阪急行線)で「新大阪駅」→「千里中央駅」へ。 大阪モノレールで「千里中央駅」→「万博記念公園駅」下車。大阪モノレール「万博記念公園駅」「公園東口駅」が便利です。
【大阪空港からお越しの場合】
大阪モノレールで「大阪空港駅」→「万博記念公園駅」下車。 関西国際空港からお越しの場合 南海電鉄で「関西空港駅」→「なんば駅」へ。 地下鉄御堂筋線(北大阪急行線)で「なんば駅」→「千里中央駅」へ。 大阪モノレールで「千里中央駅」→「万博記念公園駅」下車。
バス
阪急バスと近鉄バスが運行していますので、各サイトでご確認ください。
▶【阪急バス】
▶【近鉄バス】
12-3.地図
12-4.ストリートビューで見る
12-5.イベント情報
イベントはかなり多く開催されていますので、公式サイトをご覧ください。
▶ 万博公園イベント開催情報
13.EXPOCITY(日本最大級大型複合施設)
万博記念公園内で営業していた遊園地「エキスポランド」の跡地に出来た複合施設です。
日本最大級のEXPOCITYについて、当時のことも交えながら解説したいところではありますが、かなり多くのアトラクションがあり、記憶の片隅に残っているものがイマイチ無く…。
エキスポランドという当時の名前のみということで、現在もパビリオン展示されている当時のエキスポランドをご覧いただき、規模の大きさを把握していただければ幸いです。
13-1.日本一の観覧車(OSAKAWHEEL)
そして、当時も観覧車はありましたが、現在あるこのOSAKAWEELは123mあり、日本で一番大きい観覧車です。
ゴンドラはスケルトンで上も下もガラス張りでスケスケです。ちょっと、高所恐怖症の方にはオススメできない代物かもしれません。
また、女性はスカートで行く際はちょっと気をつけないといけません。また、頭の薄くなったお父さんも上から見えちゃいますので要注意です。半分は真面目なお話で半分は冗談です。
しかしながら、かなり見通しの良いゴンドラなので景色は最高です。
13-2.水族館(NIFREL ニフレル)
EXPOCITYには水族館があります。
私が知っている水族館とはちょっと違っていて、コンセプトが「感性にふれる」というもので今までにない新たなジャンルということで作られた水族館で、生きているミュージアムニフレルと呼ばれています。
館内は7つのゾーンに分かれていて、それぞれが、わざにふれる、すがたにふれる、いろにふれる、みずべにふれる、うごきにふれる、つながりにふれる、ワンダーモーメンツの7つになっています。
そして、キュレーターと呼ばれるスタッフさんがあなたを日常から連れ出してくれます。
ぜひ、あなたも体験して見てください。
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入場料
大人(高校生/16歳以上)1,900円
こども(小・中学生)1,000円
幼児(3歳以上)600円
営業時間
10:00~20:00
※最終⼊館は閉館の1時間前まで
※季節により営業時間が変更あり
休館日
年中無休
お問い合わせ
ニフレルインフォメーション : 0570-022060(ナビダイヤル)
※IP電話・国際電話の方:06-6876-2216
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14.2025年大阪万博
さて、1970年の万国博覧会を振り返り数々の成功事例などもご紹介してきましたが、2025年万博は果たしてどうなるのか?
「いのち輝く未来社会のデザイン」というテーマのもと、「多様で心身ともに健康な生き方」「持続可能な社会・経済システム」など人にフォーカスし、個々人がポテンシャルを発揮できる生き方と、それを支える社会の在り方を議論する場を目指されています。
「未来社会の実験場」というコンセプトで、展示をみるだけではなく、世界80億人がアイデアを交換し、未来社会を「共創」していくこと、開催前から世界中の課題やソリューションを共有できるオンラインプラットフォームを立ち上げ、人類共通の課題解決に向け、先端技術など世界の英知を集め、新たなアイデアを創造・発信していくという壮大なコンセプトな中、開催されますので、いったいどうなるのか楽しみですよね。
15.まとめ
1970年大阪万博の成功は、やはり高度経済成長期だったことが成功の大きな要因といえるのではないでしょうか?また、戦後の国家プロジェクトとしても国と国民が一致団結していた時期でもあります。
あれほどまでに多くの日本人や外国人を見たのは初めてだったので、もう直ぐ半世紀も経とうとしているのに、部分部分ではありますが鮮明に覚えているのだと思います。たくさんあったパビリオンは新鮮で今まで目にしたことがないものばかりだったとも記憶しています。
時代の流れ的には、ロボットであったり、AIといった人工知能であったり、または宇宙旅行など、夢と希望があるものが出展されることは間違いないと思います。
また、リニアモーターカーなど現状も続いている実用化が進めばさらに話題性には事欠かないと思いますし、自動運転の車が会場内を走るなどの期待もあります。
近未来の世界が広がる2025年大阪万博に期待大です。